学校法人中部大学 80周年のあゆみ
20/94

 学園の創立者であり、理事長・学園長・中部工業大学長の三浦幸平が、1975年(昭和50年)6月7日逝去し、学園は深い悲しみに包まれた。 日ごろは極めて健康であったが、多年にわたる激務の疲れもあって、1974年(昭和49年)夏ごろから身体に異常を訴え、翌年1月に入院し、治療と療養に専念していた。 多くの人々の励ましを受け、一日も早い回復が望まれ、あらゆる手立てが尽くされたがその甲斐もなく、1975年(昭和50年)6月7日息をひきとった。享年84歳。 学園葬は6月27日、名古屋市民会館大ホールにおいて、しめやかな中にも荘厳に営まれた。葬儀に参列した2,500人余におよぶ広範な各層の方々が創立者の功績と遺徳を偲び、別れを惜しんだ。 48歳で学園を創立し、戦争による幾多の苦難を乗り越え、72歳にして春日井の地に中部大学の前身である中部工業大学を興した創立者。技術教育の理想を実現し学園の礎を築いた生涯であった。1975昭和50年~58年友人代表(栗本祐一名古屋商科大学長)の弔辞学園葬(名古屋市民会館)であいさつする山田和夫学園長創立者 三浦幸平逝去受け継がれる創立者の遺志18

元のページ  ../index.html#20

このブックを見る