学校法人中部大学 80周年のあゆみ
21/94

中部工業大学の充実と発展名古屋第一高等学校と名称変更し日進へ移転建設中の中部工業大学20号館(1975年3月着工)中部工業大学20号館12階の三浦幸平記念室(現三浦幸平メモリアルホール内へ移設)完成した中部工業大学20号館とプラザ(1976年8月完成) 学園の運営は新しい世代へと移行し、山田和夫新理事長・学園長を中心に、社会に開かれた学園を目指して積極的な取り組みが開始された。 大学院の充実に全力を傾け、次々と拡充して、1979年(昭和54年)4月の工業物理学専攻博士課程の設置により、工学部8学科のすべてに博士課程が設置された。 次いで、名古屋第一工業高等学校の充実に着手し、1974年(昭和49年)4月、時代の要請に応えるべく普通科を再開し、1976年(昭和51年)4月からは校名も“工業”をとって名古屋第一高等学校と改めた。さらに、教育環境を整えるために、愛知郡日進町(現日進市)三本木に全面移転を計画し、1981年(昭和56年)3月、すべての移転を完了。将来の発展に向けて新天地で再出発した。 創立者三浦幸平は、1975年(昭和50年)3月に建設が始まった中部工業大学20号館の完成を心待ちにしていたが、完成を見届けることなく逝去。20号館の最上階には、創立者を偲んで三浦幸平記念室が設けられた。19

元のページ  ../index.html#21

このブックを見る