学校法人中部大学 80周年のあゆみ
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総合大学の充実をめざして中部大学女子短期大学を人文学部へ改組応用生物学部を設置2002中部大学応用生物学部(30号館)女子短大卒業パーティ(後列左より山田和夫学長、赤塚行雄副学長、一人おいて三浦朱門学監)山田和夫理事長・学園長をおくる 中部大学女子短期大学閉学式での記念碑の除幕式 1975年(昭和50年)代後半から思い切った新構想を次々と打ち出して整備拡充を行い、三浦学園は6つの学校を擁する総合学園へと発展してきたが、学生・生徒の急減期を迎え、その対応を迫られることとなった。 名古屋第一高等学校では1994年(平成6年)4月、既設の機械科・自動車科・電気科が機械電気システム科に再編され、また1997年(平成9年)4月には普通科が男女共学となった。 大学では1996年(平成8年)4月、大学院経営情報学研究科経営情報学専攻の修士課程を、1998年(平成10年)4月には博士課程を設置した。また1996年(平成8年)4月には中部高等学術研究所が発足した。さらに中部大学女子短期大学を改組転換して、1998年(平成10年)4月人文学部を設置した。その後、2000年(平成12年)4月、工学部に情報工学科を設置。翌2001年(平成13年)には応用生物学部(応用生物化学科、環境生物科学科)を設置して、名実共に総合大学へと進化していった。 中部大学女子短期大学は、1998年(平成10年)3月の閉学式とそれに続く第9回卒業式をもってすべての役割を終え、2,242人が巣立った。 中部大学技術文化専門学校では、1997年(平成9年)に新たに医療技術学科、ビジネス情報学科、翌1998年(平成10年)に臨床工学技士科の3学科を設置し、医学と工学の両分野にまたがる医療機器のスペシャリストを育成する学科が誕生した。 学園葬で遺影に向かう飯吉葬儀委員長献花をする学生・生徒代表オハイオ大学グリドン学長 2000年(平成12年)12月24日に急逝した山田和夫理事長・学園長・中部大学総長の学園葬は、翌2001年(平成13年)2月28日に中部大学講堂にて、飯吉厚夫学長を葬儀委員長として、しめやかに執り行われた。当日は、あいにくの雨にもかかわらず内外から多くの来賓、学園関係者が参列し、その数は2,600人余を数えた。黙祷後、大学混声合唱団によるシューベルトの「聖なるかな」が響き渡り、会場は厳かな雰囲気に包まれた。オハイオ大学グリドン学長をはじめ代表各位が、故人の突然の死を悼み、数々の業績を讃え、また様々なエピソードを綴った追悼の辞が述べられた。弔電奉読後、再び混声合唱団がクロスの「憩いの園」を霊前に捧げ、最後に大西良三理事長が御礼を述べて、献花に移った。そして大学管弦楽団が、生前の故人が最も愛した曲の一つであるベートーベンの交響曲第七番第二楽章を演奏する中で献花を終えた会葬者に見送られ、遺族の手に抱かれた遺骨は小雨に煙る会場を後にした。27

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