GLOCAL Vol.1
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5ライバシーは尊重されなければならない。その個人が情報分野に限定されるとはいえ、濃密な情報網によって結びつけられているのが、現代社会である。そのようなネットワークがあるがゆえに、われわれは日々、快適な生活を送ることができる。きわめて多様な個別的存在としての個人が、非常に普遍的な地球的規模で張り巡らされたネットワークにつながっている。まさに個別と普遍が緊密な関係で同居しているのが、現代社会なのである。個別的存在としての人や地域の価値 インターネットに代表されるグローバルなインフラの価値は疑うべくもない。しかし同時に知るべきは、個別的存在としてつながっている個人がもっている価値の尊さである。個人のライフヒストリーはどれもさまざまな色彩によって彩られており、小説の題材にはことかかない。可能性を秘めた素材をどのように生かすか、その工夫次第でさまざまな方向性を考えることができる。すぐに思い浮かぶのはビジネス分野での生かし方であり、それまでに蓄えた能力を思う存分発揮して起業し、事業を立ち上げる。可能性はビジネスの分野に限らない。社会のために能力を生かし、多くの人々が幸せな気持ちになれるように活動する。個人やその集まりである社会、あるいはそれらが存在する地域がもっている固有の価値にもっと光が当てられてもよい。インターネット以前とは異なり、いまや世界のどこからでもその価値を発信することができ、同時に探すこともできる。ローカルからグローバルへと転化する世界遺産 世界遺産への登録は、ある場所やそこに立つ建物、あるいは自然的に形成された景観の普遍的価値を国際的視野から認めることである。それは民族、人種、国家の違いを超えた人類全体にとっての意味があるというまさにグローバル価値を見いだす行為である。認定過程では遺産を維持してきた地域による熱心な働きかけがあろう。指定すべきかどうか、判断材料を得るための情報収集も行われる。しかしいったん世界遺産として認定されれば、人類全体の財産としてのお墨付きがえられ、他の観光地とは別格の価値が付与される。幾分の不透明さは残るが、ローカルなものがグローバルなものへと転化する一瞬をわれわれはそこに見る。  世界遺産への指定をめざして、各地で運動が行われている。観光産業的に盛り上げようという意図がどこかに潜んでいるとはいえ、これまでローカルな場所で地元の人々が営々として守ってきた営みには、やはり感心させられる。はじめから世界遺産の指定をめざしたとは思われず、ただ純粋に世代を超えて守るに値するものという意識のもとで保護されてきた。遺産そのものもさることながら、そのような保存運動それ自体が尊く価値あるものと思われる。こうした事例は世界遺産に限られた話ではない。日々、生まれている多くの工業製品の分野においても、その価値を信じてつくり続けている個人や企業がある。当初はその真の価値が理解されず、広まることはない。しかしやがて口コミなどで価値が広まり、世界市場へ向けて出て行く。世界中の人が普遍的価値を認めれば、自ずと広まっていくという事例である。日本的文化スタイルのグローバル化 日本は工業製品の分野で価値を生み出し、世界に向けて製品を送り続けてきた。お家芸ともいえる日本のものづくりは、確固とした生産技術に支えられ、社会的貢献意識がその土台にあった。しかし工業生産の海外流出が日常化している昨今、ものづくり技術の国内での継承が危ぶまれている。工業生産の海外流出は、それ自体、グローバル化現象の一部である。日本的な生産様式が海外に広まっていく代償として、元のローカルな場所では空洞化が起こっている。世界遺産のように場所に固着した「不動産」とは異なり、生産技術や流通システムは、条件さえととのえばどこ写真7 帆船を摸した構造が複雑すぎて完成が大幅に遅れたシドニーのオペラハウスは、2007年には早くも世界遺産に登録された。(2008年1月)写真8 九州・有田焼の産地で見かけた陶磁器製の不思議なからくり時計。(2009年11月)

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