GLOCAL Vol.2
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14追  記  横谷朋子・松井奈々各氏(春日井市教育委員会)より、篠木・柏井の城郭に発掘成果についてご教示をいただきました。また、加藤憲吾・松久清之助・水野克彦各氏(中部大学聴講生)より、柏井・篠木の郷土史の研究成果について、主に以下の文献のご教示をいただきました。記して謝意を表します。  石川石太郎『中世期 柏井庄の土豪と吉田城』(1981年) 塚本兼十郎『柏井の由来』(1985年) 岡田義昭『柏井吉田城主物語』(2003年)田利家に対して織田信雄との講和により、犬山・河田・小牧以外の尾張国内の城を破却することを伝えている(十一月十八日付羽柴秀吉書状写、後撰芸葉九)。そのため砦や構えなど小規模な城や屋敷は破却されており、かつてのあり様を探ることは非常に困難である。春日井地域のうち、主要な城郭跡から小牧・長久手の戦いの痕跡は発見されていないとのことである。したがって文献から当時の道路や軍事的な施設、地形の考証を進めるべきであり、『太閤記』などの軍記の記載がどのように形成されたのか検討を重ねる必要がある。これらは今後の課題としたい。参考文献谷口央「小牧・長久手の戦いから見た大規模戦争の創出」(藤田達生編『小牧・長久手の戦いの構造−戦場論・上−』岩田書院 2006年)三鬼清一郎「陣立書からみた秀吉家臣団の構成」(藤田達生編『小牧・長久手の戦いの構造−戦場論・上−』岩田書院 2006年)谷口克広著・高木昭作監修『織田信長家臣人名辞典 第2版』(吉川弘文館 2010年)『愛知県史 資料編12 織豊2』(愛知県 2007年)『郷土史かすがい』(春日井市教育委員会)『新修春日井市史近世村落絵図集』(春日井市 1988年)『上条城跡 大留城跡 気噴第7号墳』(春日井市教育委員会 2007年)写真2 犬山城より小牧城をのぞむ写真3 長久手古戦場 勝入塚池田恒興(1536-84、庄三郎、信輝、勝入斎)が戦死した場所と伝えられている。写真4 長久手古戦場 庄九郎塚池田之助(1564-84、庄九郎、元助、紀伊守)が戦死した場所と伝えられている。

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