GLOCAL Vol.4
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2014 2014 Vol.4Vol.42014 Vol.4大学開学50周年記念号大学開学50周年記念号大学開学50周年記念号7インドネシア、ネパール、モンゴル、中国など、様々な国から大学院生が来てくれました。院生の研究室をたずねると、自分の出身国のお菓子をくれたりしてね(笑)。インドネシアからきた留学生から、来日した自分の父親を紹介されるなど、まさに「国際」という感じがしました。国際関係の大学院には意味があるなあ、と思ったことでした。これはとても大事なことです。送別会も盛り上がりました。 当時は、大学院生が今よりも多くて、院生研究室のある20号館6階がにぎわっていました。その中に、現在、中部大学の教員となっている、桃井治郎さんや宗ティンティンさんもいました。この大学院で学んで、研究者になられたのです。澁谷 鎮明国際関係学部 教授(韓国地域研究、人文地理学)●私は韓国の研究をしていますが、そのためか、中国の朝鮮族の人が次々に来ましたね。 強く印象に残っているのは、一番最初に指導した人です。結局、博士論文は書かなかったのですが、日本の会社から3つも内定をもらいました。彼は、中国語・韓国語・日本語という3つの言語ができるんです。運輸業に就職して、今は名古屋港でタンカーの荷下ろしに関わる仕事をしています。タンカーに何が積んであるのか、荷下ろしの際に分かっていないといけない訳ですが、彼は三カ国語ができるので、意思疎通がスムーズにできる。会社でとても大事にしてもらって、楽しく働翁 由美子国際関係学専攻 博士前期課程2年●第二の青春ですね(笑)。こんなに充実した日々は、もうないんじゃないかと思うほどです。何より、知的な面白さがあります。これまでの固定概念が崩されていく楽しさ、といえばよいでしょうか。何にもかえがたい経験です。思っていたより、ずっと面白いです。 英語文献を検索して、自分の論文に必要な文献を探し出すのは、実にエキサイティングです。私は今、「アメリカの対外債務の増大とソブリン・リスク」を研究テーマにしていますが、ヘレン・トンプソンというイギリスの研究者の論文を探し当てることができました。彼女はピカイチですね。 もともと私は、聴講生として中部大学の講義を受けていて、大学院で勉強しようと思ったのです。短大卒だったので、まず別の大学に編入学して、そこを卒業してから、こちらの大学院に入りました。 大学院に行きたい、と思ったきっかけの一つは、国際関係学部で国際法・国際組織論を教えていらっしゃった中村道先生の講義を受けたことでした。数年前にお亡くなりになったのが、とても残念です。中村先生はもの静かな方でしたが、毅然としていらっしゃって、学問への情熱がこちらに伝わってきました。 でも、大学院に入って、思っていたよりつらかった、という面もあります。文章を書く、論文を書くというのは、難しいものですね(笑)。今までに経験したことがない種類の苦しみを味わっています。修士論文はつらいですねえ。どこにいても、いつも頭の中にあります。完成したら、最高にうれしいでしょうね。戸田 優男国際関係学部 教授(計量経済学、労働経済学)●思い出深いですねえ。今は国際人間学研究科ですが、当初は国際関係学研究科でした。 ここの大学院には、発足当初から、院生が情熱をもって真剣に研究に取り組み、お互いに支え合う、よい雰囲気があったように思います。 教員と学生のつながりも強かったですね。院生の研究発表会には、教員がほぼ全員出席しました。院生の報告に対しては、よい意味で厳しいコメントが寄せられ、飲み会に行っても、学問的なディスカッションをしたものです。 国際色も豊かで、これまでに、ベトナム、○翁さんは、まず社会人聴講生として中部大学で学ばれ、その後、大学院に進まれました。大学院はいかがですか?○これまでに留学生を何人も指導してこられましたね。教員に聞く○戸田先生は、中部大学国際関係学部の設立時からのスタッフで、大学院でも長く専攻主任をされました。振り返ってみて、いかがですか?国際関係学オランダのキューケンホフ公園にてエジプト・カイロにて 1995年中小企業振興についての研究発表

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