GLOCAL Vol.5
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2014 Vol.52014 Vol.57プロジェクト実施を求める報告があり、会議で審議採択された「2003年活動要点」にも、茅盾文学賞の選考過程の改革と並んで重点作品に対する扶助制度を創設する旨の記述が見られた。つまり、茅盾文学賞の改革と重点作品扶助制度は2003年の早い時点で実施が決定されており、約一年かけて実施に向けた制度の整備を行っていたということになる。おわりに 1980年代以降、経済成長の成果が顕著になるにしたがい、中国同時代文学にも市場主義、商業主義導入による影響が見られるようになった。それは、作家協会=政治の側にとっては好ましからざる要素を多く含むものであった。一方、社会の変化に対応することが難しくなった文学賞も、選考過程の透明性や公平性が求められる中、従来の授賞制度は改革を迫られることになった。 重点作品扶助制度の創設からは、社会的な条件の変化に対応しつつ「規範」に則った作品をより多く生産し、「文学創作の正確な方向を堅持させ」(作協規約)、政治の下に文学を従属させようとする中国作家協会の強い意志を感じることが出来る。本制度は、人民が読むべき(だと政治の側が想定する)作品をより多く生産し、プロモーションしてゆくのに適しており、公刊後の作品を対象とするほかない文学賞の方式の行き届かぬ部分を補って余りあるものにするはずのものであった。それゆえ、重点作品扶助制度の創設と茅盾文学賞の改革は、同時に構想され、施行されることになったのである。 この政治の側からの文学への働きかけはどれだけの成功を収めているのだろうか。それについては今後とも考察を続けていきたい。※報告会当日は、多様な専門分野の参会者から示唆に富むご意見、ご指摘をいただき、自らの研究をふり返る絶好の機会となった。皆様に心より感謝したい。を任務とする、文芸政策執行のための中国共産党一党独裁体制下における行政組織の一つである。茅盾文学賞とは、魯迅文学賞などとともに中国作家協会が主催する文学賞であり、中国の長編小説にとっては最も栄誉と権威のある賞の一つである。 2003年11月、「茅盾文学賞と長編小説の創作」をテーマとする学術討論会が開催され、中国作家協会副主席をはじめ、多数の幹部官僚や作家、評論家が参加した。その席上、茅盾文学賞の抱える問題が討論され、優秀作品を選出する過程の時間的および人員的な改善、長編小説を評論する力量の向上、授賞目的や評価基準の明確化により不信は解消されるなどという結論が出された。これは同討論会に参加した作家協会をはじめとする授賞側の認識であり、想定されるべき茅盾文学賞改革の立脚点ともなりうるものであった。 また、文学賞の権威失墜については、1990年代以降、文学賞が乱立したことも間接的な理由として考えられる。特に企業とタイアップした文学賞は、賞の名称に企業名が入ることで企業イメージの向上が図れることと、授賞側としては協賛企業からの高額な賞金と選考過程の報道によって発行部数の拡大を目論めるなど、企業と雑誌社の双方にとって非常に都合がよいため、『人民文学』のような中国同時代文学を代表する雑誌までもがこの類の賞を実施するようになってしまい、結果的に文学賞全体の権威を失墜させることにつながっているという指摘もある。重点作品扶助制度の創設と 公布までの経緯 このような批判や権威失墜に対して、中国作家協会は手をこまねいているわけではなかった。2004年3月、中国作家協会は重点作品扶助の募集を開始する旨の通知を公布した。本制度は、応募者から提出された創作計画や作品大綱を中国作家協会が設置する専門委員会が審議し、国家の経済や社会の発展、文化建設の需要に基づき策定したテーマを反映した作品に対しては、資料収集や取材旅費などの金銭的な面のみならず、創作時に出来した問題を解決する手段の提供、刊行媒体の斡旋、当該作品を取り上げた討論会の開催などといった刊行後のプロモーションまでも総合的に援助するといったものであり、刊行後の作品に対して褒賞を与える文学賞を代表とする従来の方式とは大きく異なる、政治の側からの文学に対する新たな関与方式である。 同時に公表された「2004年度重点作品テーマの通達」では、応募者が自らのテーマ以外に選択可能な重点テーマが挙げられている。全体を通して見ると、鄧小平生誕100周年記念、安定した社会の建設、西部大開発、東北の工業地域の振興、三農(農業・農村・農民)問題などがテーマとして挙げられており、まさに国家や共産党が主導する政策に基づき、それを肯定的に評価し、「芸術的に再現」した作品の応募を期待しているのがわかる。 「中国作家協会重点作品扶助事務局通知」が公表される直前の2004年2月には、中国作家協会第六期主席団第五回会議と第六期全国委員会第四回全体会議が開催されている。しかしながら公表された文書には、重点作品扶助制度に関わる事項の報告や記述は見当たらない。 実は、重点作品扶助制度の実施に必要な「(暫定施行)条例」が大筋において決議されたのは、その半年前の2003年8月に開催された第四回主席団会議であった。しかも、扶助制度が単独で登場してきたのではなく、先に述べた文学賞に対する不信と権威の失墜を解消すべく、第六回茅盾文学賞の選考方式に対しての制度改革と合わせた形で重点作品扶助制度は創設されることになったのである。 ただ、実施に向けての規定が議決されたのが2003年8月の第四回主席団会議であったとしても、主席団会議だけでこのような大きな改革事項が決定できるものではない。五年に一度開催の全国代表大会とまでは行かなくても、せめて毎年一度は開催される全国委員会会議で審議決定される必要がある。さらに五ヶ月ほど遡った2003年3月に開催された第六期全国委員会第三回全体会議での作家協会副主席による「活動報告」に重点作品扶助

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