GLOCAL Vol.6
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2015 Vol.62015 Vol.62015 Vol.616日本語教育から見た「アニメの日本語」コーパス日本語学に基づく現実性および適切性分析国際人間学研究科 言語文化専攻 M1Matthew LANIGAN(マシュー・ラニガン)1987年アメリカ・ピッツバーグ市生まれ。2011年オハイオ大学文理学部言語学科卒業。中部大学大学院国際人間学研究科博士前期課程在学中。量的分析に基づく、生教材の評価基準に深い関心を持ち、特に日本のアニメの日本語とその日本語教育への応用について研究。将来、ポップカルチャーの生教材を中心とする外国語としての日本語カリキュラムの開発を目指している。おわりに本研究では、日本語学習者の動機づけとニーズを考え、アニメの主教材使用を目指すが、まず、証明しなければならないと思われる「現実性」と「適切性」を分析によって見出す。そのために現在、コーパス開発と分析ツール『Co-Chu』を開発している。『Co-Chu』を利用し、アニメ日本語コーパスを開発する。アニメ日本語コーパスを分析し、日本語教育および現代日本語との関係を明らかにする。現実的かつ適切である作品を利用した外国語としての日本語カリキュラムの開発を今後の課題としたい。参考文献熊野七絵 (2009) 「アニメ・マンガ資料一覧」国際交流基金関西国際センター公開講座 『アニメ・マンガと日本語教育』国際交流基金 (2013)『海外の日本語教育の現状』くろしお出版柴田智子 (2008) 「アニメを利用した日本語教育-学生の評価とOral Summaryの分析を中心として-」畑佐由紀子編『外国語としての日本語教育-多角的視野に基づく試み-』くろしお出版, pp. 83-102牧野成一 (2008) 「日本語・日本文化教育とアニメ -『千と千尋の神隠し』の場合-」畑佐由紀子編『外国語としての日本語教育 -多角的視野に基づく試み-』くろしお出版, pp. 61-81はじめに海外の日本語学習者の約400万人の中、54%が「アニメ・マンガ・J-Popなどが好きだから」日本語を勉強していることが明らかになっている(国際交流基金2013)。そこで、アニメなどを使って日本語学習者の動機づけを高める力が期待され、アニメを使った日本語教材の開発や日本語授業への実践例が報告されている(熊野2009)。このような実践例では、アニメの使用は基本的に動機づけのための補助教材であるが、牧野(2008)や柴田(2008)で報告されている『千と千尋の神隠し』を利用した授業のように、アニメを主教材にした授業例もある。しかし、日本語の授業でアニメを主教材にすることで、日本語を十分に教えられるのだろうか。アニメの日本語が不自然だったり、日本語教育を通して身に着けてほしい能力を養うのに不適切だったりすれば、アニメは主教材として不十分といえるだろう。そこで、アニメを教材化しようとする前に、アニメに現れている日本語の現実性と日本語教育への適切性を証明する必要があると考えられる。「現実性」とは?この研究において、「現実性」というのは、簡単に言うと、現実に使われている日本語との一致を表す。例えば、作品のジャンルによって使用されている語彙に偏りがあれば、その作品の語彙は現実的ではないという言い方をする。一方、分析上その作品と現実それぞれの日本語の使用が一致していれば、現実的であるということになる。以上のようなジャンルの揺れといった問題を防ぐために多くのジャンルのアニメを対象とし、また、語彙以外にも文法比較分析を行うこととする。これによって有意義な「現実性」分析を行うことができると思われる。「適切性」とは?「適切性」というのは、この研究において、日本語教育の目的を果たせるかどうかを表す。日本語教育から見た語の重要性や学習項目の出現などが「適切性」の構成要素となる。例えば、アニメは「適切性を持つ」とすれば、それは日本語教育の目的を十分に果たせ、日本語授業の教材としてふさわしいといえるだろう。一方、「適切ではない」ものは重要なところが欠けており、それだけで授業を行うことが難しいと考えられることを表す。しかし、「日本語教育の目的」といっても、実際に様々な基準(旧・新日本語能力試験、日本語教科書、ACTFL OPIなど)があり、どれが最も重要かというのは非常に困難な問題だと考えられる。

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