GLOCAL Vol.9
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4古代ギリシアのリベラル・アーツ構想とその近代化:18世紀フランスにおけるレトリック教育を中心にを批判するのは、ソフィストが授業料をとって教えると標榜していた徳(アレテー)は、プラトンにとってはパイデラスティアと呼ばれる少年愛を媒介としてのみ伝授される秘術であったからである。プラトンによれば、エロース(性愛)の神がもたらすインスピレーションは詩と音楽の神、ムーサに仕える詩人のものであり、エロースのもたらす狂気に突き動かされた人間が口にすることばが理想の言語である。このためプラトンが相対主義に根ざすソフィストの術に批判的である一方、詩人の言語に対して深い敬意を払うのは偶然ではない。 プラトンは『国家』において、ムーサの神が授ける技術、すなわち文芸と音楽に関する教育の重要性を論じている。古代ギリシアにおけるリベラル・アーツの起源は、一般にはプラトンが『国家』にまとめた教育論とされているが、プラトンは18歳までに文芸と音楽、数学を、18歳~20歳までは体育を自由に学ぶこと提案している。さらに選抜された若者は、20代は発展的な数学を、30~35歳は哲学的問答法すなわち弁証法を身につけ、35~50歳まで実務経験に服した後、50代で政治に参加することが要請されていた。古代ギリシア世界においては、絶え間ない侵略戦争が繰り広げられていたが、侵略に成功したポリスの住民男性は、侵略を受けたポリスの住民を奴隷として支配することによって「自由人」として生きていた。プラトンは、この「自由人」の資格として、「自由学芸(アルテース・リーベラーレース)」を求めたのである。 プラトンは文芸の教育の目的を「節制や勇気や自由闊達さや高邁さ」を識別、認識できるようになることと論じているが、プラトンにはじめに 現在、リベラル・アーツと呼ばれる教養教育は、プラトンが『国家』において構想した市民のための教育を原型としている。本論においては、この教養教育のうち、特に「文芸に関する教育」に焦点をしぼり、その来歴をたどりたい。本稿ではまず、古代シチリアにおいて生まれたレトリックが、プラトンによる批判を経て体系化されていく過程を論じる。その上で、プラトンが構想した文芸教育が18世紀フランスでフランス語でおこなわれるようになったレトリック教育に如何に反映されているかを分析する。古代シチリアにおけるレトリックの生誕 後にプラトンに「レトリック」と名付けられた弁論の術が、古代ギリシアにおいて最初に生まれたのは紀元前5世紀のシチリアの都市国家シラクーサである。シラクーサは、他のシチリアのポリス同様、僭主に支配されていたが、紀元前5世紀に僭主が追放され、民主政治が始まった。そこで民衆が最初に着手したのは、土地所有権の獲得であった。民衆は、それまで僭主たちが不当に簒奪、専有していた土地を取り戻すための訴訟を起こすことになった。当時は現在の弁護士の役割を果たす専門家がおらず、陪審員制の市民法廷で本人が弁舌を振るう必要があった。そのため、シラクーサにはまず法廷弁論を代筆する代筆修辞家が、さらに法廷弁論の技術そのものを伝授する教師が現れたが、この創成期の弁論の技術は全く高尚なものではなかった。訴訟の対象となった土地所有権は僭主の支配下で曖昧になっていたため、法廷における弁論は真実である必要はなく、目的のためならば手段を択ばないという倫理性に欠けるものだったからである。「非エリート教育」としてのレトリック/ソフィストの術 シチリアで生まれた「レトリック」の技術は、ほどなくアテネに伝わり、レトリック教師たちは職業人としての地位を確立するようになる。アテネにおいて前450年頃に有名になったプロタゴラスが「賢人」という意の「ソフィスト」を名乗って以来、レトリック教師たちは、一般にこの名によって呼ばれるようになった。しかし、こうした経緯により、初期のレトリックは「人を騙す手管」と「金銭」と切り離すことができない「いかがわしい技術」というレッテルを貼られるようになる。 とはいえ、このレトリックが「誰にでも用いることができる」という汎用性を目指した点は特筆に値する。弁論の技術は、講師料を払えば誰にでも手に入るものであり、「買い手」の素質や家柄は不問にふされたからである。プラトンによるレトリック批判と「リベラル・アーツ」の構想 古代ギリシアにおいて、レトリックに対して最も鋭い批判を重ねたのは、「レトリック」という語の名付け親、プラトンであった。例えばプラトンは『パイドロス』においてソフィストを低劣な魂の持ち主が営む職業として警戒するように述べているが、プラトンがソフィスト国際人間学研究科 歴史学・地理学専攻 准教授玉田敦子(TAMADA Atsuko)パリ第4大学ソルボンヌ校博士課程修了。Ph. D.(文学)。専門は18世紀フランス文学・思想。18世紀にフランス語で書かれた修辞学教科書、作法書を主な対象とする研究に従事している。主著:La fondation des mythes nationaux et la notion de sublime (1701―1791)(Presse de l’ Université de Lille Ⅲ, 2007)。共編著に『近代と未来のはざまで』(風媒社、2013)、訳書(共訳)に『ルイ十六世』(中央公論社、2008)『身体の歴史』、(藤原書店、2010)がある。

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