GLOCAL Vol.11
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4遊びと子どもの心取り上げ、そこで生じたことを臨床心理学的に検討することを通じて、遊びの特徴を捉えることを試みる。遊戯療法の事例より 事例は小学校3年生の女児、Aである。Aはイライラが多いこと、虫、葉っぱのギザギザ、鳥などへの恐怖症症状、宿題を細かいところまでこだわり2時間かかる強迫症状、登校しぶりを主訴に相談室に来談し、セラピストである筆者が担当した。 Aは苦手な給食を「しんどい」と言いだし、吐こうともする。母が弟に気持ちを向けるとAは殴る、蹴る、暴言で母に向かう。母から少しでも離れると不安になる。父はAが幼少時に離婚していた。面接初期 Aが初めて来談した#1では箱庭を制作する。「こっちは赤ちゃんがいるところ」「赤ちゃんが生まれた。枕を敷いて寝てはる。それを『あ、寝てる』と猫が発見している」#2では棚の骸骨に「ガイコツ…。」〈ほんまや〉とThは言うが「…」とAは無言。そして「あ、貝や。…これ綺麗やな」と箱庭を制作し「赤ちゃんのベッド。…これにしよか…やっぱやめとこ。…これにしよ」と丁寧に布団を畳みなおして、赤ちゃんのベッドを置く。 ここまでの様子から、Aの心理的な問題が推察される。母を独占しようとすること、赤遊びとは 遊びとは何であろうか。遊びの辞書的な意味を見てみると、遊ぶこと、賭け事や酒・色にふけること、仕事がないこと、暇なことなどが挙げられている。遊びは常に仕事や勉強との対比として定義される。仕事や勉強は生産性や目的性が設定されるのに対し、遊びは明確な生産性にこだわらない。仕事や勉強は重苦しさや生真面目さが設定されるのに対し、遊びは軽やかさや自由な部分がある。遊びは、日常性の否定としてのみ定義される側面を持つ。つまり、遊び自体を定義することが、極めて困難であるということである。 これに対し、Caillois, R(1958)は遊びを積極的に定義しようと試みた。Caillois,Rは遊びは隔離された活動、自由な活動、規則のある活動、未確定の活動、虚構の活動、非生産的な活動の6つの活動に分類した。これ以来、遊びは記述的に分類されてきた。この記述的な分類さえも、遊びの本質-遊びとはどのようか活動か-を考える一つの視点とはなりうるが、遊びそのものを捉えているとはいいがたい。本稿では遊び、遊ぶことにはどのような意味 があるのかについて、心理療法の一つである遊戯療法から捉えなおすことを試みる。遊戯療法とは 遊戯療法(Play Therapy)とは、子どもに対して行われる心理療法の一つである。子どもは不登校・心身症・発達障害・対人関係の問題などの心の問題を呈し、我々臨床心理士のもとにやってくる。遊戯療法とはどのようなものかを説明するものとして、しばしば語られるのが「子どもであるクライエントがセラピストと遊ぶことを通じて、子どもの心の問題を解消し、心の成長を促す」というものである。しかし、これでは遊戯療法について説明されたようで、実のところ何も説明がなされていない。それゆえしばしばクライエントから、あるいはその保護者から「遊ぶだけですか?」という素朴な疑問が呈されることがある。 なぜ遊ぶことが心理療法となるのだろうか?いくつかの説明をすることができるが、その一つは、遊戯療法では同じ部屋同じセラピスト、毎週1回50分という、非日常的な場が設定されていることが挙げられる。二つ目は、クライエントである子どものそのつどそのつどの自発的な遊びによって展開し、遊戯療法は子どもの主体性を重視していることが挙げられる。そしてそれら二つのことによって、遊戯療法に独特のリアリティ、遊びのリアリティが生じ、それが子どもの心に治療的な影響を及ぼすと筆者は考えている。これらのことから、遊びにはどのような意味があるのか、という問いを言い換えてみると、非日常性と主体性を人工的に設定した遊戯療法の場で生じる遊びのリアリティとは、どのようなものか?という問いに置き換えることができよう。 そこで本稿では遊戯療法の事例を一つだけ国際人間学研究科 心理学専攻 准教授田中秀紀(TANAKA Hidenori)京都大学大学院教育学研究科臨床教育学博士後期課程指導認定退学。修士(教育学)。臨床心理士。専門は臨床心理学。ユング心理学。遊戯療法。夢。心理臨床実践をもとに、無意識を前提とするJungやLacanの理論を参照しつつ、象徴化と現実性の観点から心理療法の研究を行っている。

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