GLOCAL Vol.13
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2018 Vol.132018 Vol.132018 Vol.132018 Vol.135多く、言語の習得なしで学位取得が可能なものの、オックスフォード大学「東洋」学部は、未だその点にこだわり続けている。自身の学生時代にも、そこには「人びとが用いた言語の習得なくして、当時の文化や社会といった研究は有り得ない」という強い信念があった。その後、四半世紀を経て遅々たる歩みを続ける自身が感じた点はいくつかあるが、そのうちの一つは、「欧米のエジプト学では象形文字の読解に力を入れるものの、その背景に存在した思想についてはまだあまり研究が及んでいない」というものである。これは、漢字がその「へん」と「つくり」などに多くの意味を内包する象形文字であるのと同様に、古代エジプトの象形文字も絵そのものに意味があり、時には文字同士のつながりや組み合わせにも思想があったことを意味する。こうした点に関する研究が欧米で進展しない背景には、アルファベットの文化圏において一つ一つの文字はあくまで音を示す表音文字に過ぎず、漢字や象形文字のように文字そのものに意味がある表意文字ではないことが関係していると言えよう。またエジプトには多くの文様が建造物や衣服、さまざまな器物に描かれたことが知られているが、その使用法を細かく観察してみると、象形文字と同じく何らかの意味をもってその場に使われていたことが分かる。「象形」とは読んで字のごとく「形を象る」ことだが、漢字にも似た思想を古代エジプトの文字や文様にも読み取ることで、新たな研究の可能性を探っている。幸い王のみが用いた文様の特定に成功し、海外でも注目されるようになったため、引き続き研究を進めていきたい。引用文献江上波夫・高田時雄(編著)『東洋学の系譜』計3巻 (1992-96年)、大修館書店。中野智章「19世紀に現れた古代エジプトーイギリスとフランスの「エジプト・ブーム」」『貿易風』10(2015年)、pp.217-228.パトリシア・モルトン著・長谷川章訳『パリ植民地博覧会ーオリエンタリズムの欲望と表象』(2002年)、ブリュッケ。したのは1991年のことで、90年代後半と2000年代前半に研究員として二度、そして昨年度の春学期に中部大学の海外研究員制度を利用し、四度目の長期滞在機会を得た。この四半世紀を実際に体験して感じるところは多々あるが、90年代初頭に吹き荒れていた、教育の機会均等を柱に大学への補助金を大幅にカットしたサッチャー首相の教育改革はオックスフォード大学の運営にも大きな影響を与えた。労働、保守の二大政党に自由民主党が絡み合う中での政権交代にあっても教育現場に対する財政削減の波は強くなる一方で、2006年、2012年と実施された学費の大幅な値上げや学生ローンの拡大もあり、エジプト学科といった、最初の留学時には学部学生が1年次から3年次生全員を集めてもせいぜい10名程度、院生と教員を足しても総勢20名あまりだった所帯が、今では倍近くの人数に膨れあがっている。オックスフォードやケンブリッジ大では、伝統的に学部よりも学生が寄宿生活を送るカレッジでの教育が大きな鍵を握っており、そこでは教員(学部だけでなく、どこかのカレッジに所属している)がほぼ個人指導に近い形で学生を教えるという、贅沢な教育がいわば教育の柱であったため、当初はその形が大きく崩れてしまったかのように感じた。しかしながら、これまでの学生や研究員といった身分ではなく、今回一教員として在籍した学部とカレッジの双方で同僚と付き合う中で感じ見聞きした実態は、むしろこれを大学の変革の機会として積極的に捉え、利用する姿勢に溢れていた。教育面においては、他専攻との共同コースや1年で修士号が取得できるコースを設けるなどして学生数を増加させ、学費による直接的な収入の増加を図る一方、大学としてもそれまでは躊躇していた資金集めのキャンペーンを全学規模で展開し、予想以上の寄付金を得たことで新たな研究所の設立や教員ポストの確保、奨学金の増加につながったのである。無論、これはオックスフォードというブランド故の成功だったと思わざるを得ない面もなくはない。ただしかつて机を並べ、現在は教員になっている友人に尋ねてみても、以前は行うことがなかったオープンキャンパスやサマースクールを実施し、また学費の高騰により一部の限られた階層のみが学生として集まることを防ぐため、パブリックスクールではない、地元の一般校への働きかけやメディアへの出演も増加させているとの返答には、正直なところ驚かされる面が多かった。学部の再編や研究所、博物館などのリニューアルも進んでいる。今や「東洋学」部は学生が所属する場としての位置づけであり、実際の教育や研究は従来の研究所だけでなく、新たに設けられた研究所や関連する研究施設でも行われるようになった。また、「東洋学」のような地域研究的な色彩の強い学問分野を補強するために、「学際的地域研究(Interdisciplinary Area Studies)」なる新学部も設立され、日本を対象とする現代的な研究や教育の一部はそちらでも実施されている。フランスやドイツの大学との交換教育も、以前に増して積極的に行われるようになった。カレッジにおいても、筆者が所属するSt Edmund Hallでは中国の四川大学と提携して共同研究や教育プログラムを実施し、若手教員を派遣するといった試みがなされている。日本から見れば、非常に充実した施設、教育・研究体制が既に整っているかのように見える同大学ではあるが、絶えず変革し続けようとする姿勢を強く感じた半年間であった。今後はEU離脱に伴い、研究者の流動性や資金の調達、共同研究などに大きな影響が出てくる可能性があるが、どのような対応をするかを注目している。象形の思想を鍵として「東洋」学部のエジプト学科として、最初の留学時には地域言語としての(ただし既に死に絶えた言語ではあるが)象形文字の習得が日々の学習の基本となり、大いに苦労した。他大学のエジプト学科は、ケンブリッジ大学をはじめいまや考古学部などに属することが

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