GLOCAL_Vol19
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2021 Vol.192021 Vol.193司店で用いられる職人的技能がそれを継承したものだとするならば、それは当初から多様であったといえよう。 戦後も同様であり、全国すし商生活衛生同業組合連合会では、江戸前寿司と表象される握り寿司など一連の料理の定式化ではなく、関西ずしなどをふくめ、包括的な寿司の捉え方がなされた。また、集団就職で東京の寿司店で修業し、故郷に戻って寿司店を開業した店においても、握り寿司を中心としたメニューを提供したとしても、用いる食材は「地のもの」であり、東京では用いられなかったものも柔軟に取り入れたのである。この背景には魚介類の流通などもあるだろうが、いずれにせよ様々な要因によって、<国民文化>なるものに回収されることがなかった。 そうすると、わたしたちは上海に所在する寿司店の多様性を、「日本」と「中国」の違いとしては、理解できないかもしれない。むしろ、包括的な寿司の捉え方をするならば、そのなかに含まれた多様性だといえまいか。筆者は、冒頭にあげたフォアグラの握りを、横浜の寿司店でみたことがある。もちろんレシピは違うため全く同じものだとはいえないが、それは均質化ではなく、寿司職人のオリジナリティが偶然重複したものでしかない。 もし上海における在来型の寿司店が競争力をもちうるなら、それは大資本によるチェーン型を採用しなかったことだけでなく、日本の寿司が培ってきた歴史のなかで<国民文化>とならなかったことが、要因として想定されうるだろう。引用文献尾高煌之助, 1993, 『職人の世界・工場の世界』,リブロポート.川端基夫, 2016, 『外食国際化のダイナミズム:新しい「越境のかたち」』, 新評論.Ritzer, George. 1996, The McDonaldization of Society, Pin Forge Publications. Gリッツァ・丸山哲央編著, 『マクドナルド化と日本』, ミネルヴァ書房. 技能の問題とは、現地で雇用した部下が寿司のことを全く知らず、当然ながら調理もできないことである。料理長らは、日本国内と同様に徒弟制による技能養成を行う。急遽養成しなければならないため、最低限の技能(仕入れ・食材管理・調理・接客等)をまず教える――日本国内でも用いられる方法である。共通言語がなくとも、徒弟制は観察と繰り返し訓練を主としており、障壁とはならない。1年から2年かけて「戦力化」され、中国人寿司職人となる。 中国人寿司職人のなかには、更に学び続ける者もいる。彼らは観察と繰り返し訓練のなかで、技能の柔軟性、オリジナリティを出すこと、店舗管理能力を身につける。独立したいという意志がその動機づけである。一部の中国人職人はその志を果たすものの、それは高級店としてではなく、価格帯を抑えた一般店であった。 一般店でも同様に、食材と技能が問題となるが、このうち技能は解決されやすくなった。新たに料理長に就任した中国人職人らは、自らが学んだことを教えることができるからだ。しかし食材の問題は解決が難しい。時代が変わり、現地の市場で仕入れ可能な生食向け魚介は品質が向上し、種類も増えた。それでも、食材の種類とメニューの種類が直結する握り寿司だけでは、不十分である。冒頭で述べたロール寿司は、この問題を解決する手立てとして作り出された。ロール寿司は入手が容易な食材と味付けを組み合わせることで成立するため、握り寿司の限界を乗り越える「ソリューション」なのである。中国人職人らがこの「ソリューション」を開発したのは、決して彼らが師匠から学んだことを無視したからではない。むしろ、徒弟制のなかで、師匠の日々の働き方を観察するなかで身につけたものであって、彼らにとって主観的には、伝統から逸脱したものではない。多様化とは?①――資本とグローバル化 ロール寿司がつくりだされたことを、多様化を伴った食文化のグローバル化だと捉えることができるだろうが、上海の寿司店ではもうひとつ、それとは異なるレベルの多様化が起きていた。それは、食提供プロセスの多様化である。高級店は当初、日系企業の接待で用いられるものとしてつくられ「日本と同じような」ものが目指された。そのなかから中国人富裕層の消費者の増加に目をつけ、そうした新たな消費者に適合的な商品を開発し、それに最適化した食提供プロセスをつくりあげる。高級店から一般店が派生(職人にとっては独立)した場合も同じであり、さらに最近になって、ロール寿司だけでなく押し寿司や太巻き――これらもまた、入手が容易な食材と味付けを組み合わせることで成立する――を目玉とする店舗も登場した。そうすると、それに最適化した食提供プロセスをつくりあげる。 料理の多様化と食提供プロセスの多様化という2つの多様化を可能にしたのは、職人的技能――職務の全過程に及ぶ、身体化されたウデのよさと知識と判断力であり、それを身につけた人は大幅な自己裁量権をもち、成果物によって評価される(尾高1993など)――の確立であった。上海の寿司店で用いられている職人的技能は、日本を起源としたものであるが、上海に適するように変化したという側面もある。それを身に着けた人物が急増することで、寿司店が多様性を伴ったかたちで増加したのである。もちろん、彼らは最低限の技能を身に着けており、食中毒事故を防ぐためのスキルを身に着けており、多様な食提供プロセスが不完全なものとなるわけではない。 一般的に、製造業では伝統工芸などを除き、職人的技能は用いられなくなった。それと比べて飲食業は職人的技能が「生き残って」おり、上海では寿司店が15年で急増した一因となったといえよう。多様化とは?②――国民文化をめぐって ここまで、多様化を伴う食文化のグローバル化を可能とする要因として、日本を起源とした職人的技能の養成と活用をあげた。ここで重要なのは日本を起源とした点である。結論から言えば、それは国民国家が念頭におく、均質的な<国民文化>なるものではない。むしろ、地域的、系統的(徒弟制修業の系統による個別性の継承)、個人的に多様であった。寿司店で提供されるのは一般的に醗酵を伴わない早すしであり、日本においては江戸を中心に、近世都市で発展した。ゆえに、仮に寿

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