GLOCAL_Vol19
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2021 Vol.192021 Vol.195 モンゴルの伝統的な牧畜資源の利用形態の基盤には互酬性の規範がある(Fernandez-Gimenez, 2002)。互酬的な返報への期待が別のエリアから移動してきた「ヨソ者」が柔軟に資源を利用することを容認することに結び付き,また自分自身が機会主義的な移動を選択することを可能にしてきた。さらにFernandez-Gimenez(2002)は牧畜民による資源や内集団の範囲の理解では,その境界は曖昧であることが特徴であると指摘する。このことは牧畜民が自身の所属性について単純なウチソト意識とは異なる理解を形成することを可能にしている。例えばモンゴルの伝統的な牧畜民はどんなに「ヨソ者」であっても資源利用にあっては排他的になることは少ない。このような一般交換に基づく牧畜慣習の代表的なものにオトルがある。オトルとは雪害からの避難目的等で行われる家畜を伴った長距離移動のことであり,オトルでは規則的な季節移動の範囲から離れ,郡や県などの境界を越えて移動をする。オトルが成立するためには自然資源利用に関して見ず知らずの「ヨソ者」にも排他的でないことが最低限の要件である。モンゴルにおける自然資源の管理を考える際には,伝統的な牧畜民の慣習として,「ヨソ者」にもこのような互酬性の規範が成立していた点を踏まえた理解が必要である。 しかし一般的に,人は誰とでも無条件に協力的な交換関係を形成できるわけではない。他者への協力行動が見られるのは互酬性が期待できる内集団成員が相手の場合である(神・山岸, 1997; 中川・横田・中西, 2015)。人は継続的な相互作用を繰り返し経験してきたことから形成されたと考えられる直観に基づき,お互いに協力し合えるだろうという互酬性の期待を持つ。だがこれは内集団成員間でのみ生じ,外集団に対しては協力の期待を形成しにくい。 CBNRMが利用権を明確化し,境界を設定することは,互酬性を期待できる内集団の範囲を極めて狭い範囲へ特定することにつながると考えられる。そして互酬性の規範が育ちにくい状況では,その累積が一般交換によって社会が成り立つという仕組み全体を崩壊させることの一因になるだろう。 一方,慣習的な牧畜社会では「ヨソ者」であっても互酬性が期待できる一般交換の可能な相手であると認識し,内集団に止まらないてきます。追い出すのは主に妻の役割です。自動車で追うなどして占有地から追い出していますが,その後,その馬の所有者が,放牧していた馬が一頭いなくなった等の言いがかりを付けに来ることもありました。」 また,Sによると,侵入者にはMCCとの契約書を見せて占有権があることを説明するが,あまり理解してもらえないことがほとんどだという。警察 には,このような占有地への侵入行為を取り締まってほしいと訴えていた。 Sが挙げるこのような「問題」には,社会的アイデンティティ理論による予測との一致が見られる。本事例からは,同じPUG内の他の成員に対する協力行動が見られる一方で,互酬性の期待に基づいて容認されるはずの「ヨソ者」の資源利用に対して,不寛容な態度と行動が見受けられる。 また本事例からは,明確な境界が与えられたことにより,継続的な相互作用を行う内集団成員間でのみ互酬性の期待が働き,一般交換が可能な範囲が極めて限定的なものとなっていることが伺える。成員性の明確なPUGが設定されたことによって,互酬性の期待が働く範囲が明確化され,そのことから,PUGの外における一般交換が機能しなくなっていた。ここからはさらに,相互作用の減少したPUGの外に対してはますます互酬性の期待が低下していき,一般交換に支えられる社会の機能が崩壊していくことが予想される。今後の課題 社会心理学で発展してきた社会的アイデンティティ理論は,現場で指摘されてきたコモンズ論の問題点を修正する上で重要な理論的支柱となる可能性を秘めている。同時に,本研究で確認された慣習的牧畜の一般交換の在り方は,一般交換による互酬性が期待できる範囲が内集団に限られるという従来の理論に見直しを迫るものである。そこで今夏より,牧畜民の内・外集団成員に対する協力行動と互酬性規範に関する期待を中心的な変数とした調査を実施している。広範な協力行動が行われていた。このことは,協力行動は継続的な相互作用が行われる範囲で発生するとする神・山岸(1997)や社会的アイデンティティ理論から導かれる予測に反する知見である。事例に基づく検討 CBNRMの中で生業に取り組む牧畜民の聞き取り事例を通して,以上の点について考察する。 米政府の援助機関ミレニアム・チャレンジ公社(以下MCC)による所有権プロジェクトではウランバートル近郊の牧畜地域において,複数世帯から構成される牧畜民の集団(以下PUG)に所定の土地を管理させ,土地の占有権をその集団に付与している。MCCの所有権プロジェクトは資源の範囲と権利関係,そして利用者を明確にしたCBNRMに基づく支援プロジェクトである。 筆者が2012年9月に聞き取り調査を行ったSは同プロジェクトに参加をする51歳の牧畜民である。2000年に軍隊を退役して牧畜を始め,2010年にMCCのプロジェクトに参加をし,5世帯から構成されるPUGに所属して妻と孫と3人で暮らしている。「S:プロジェクトに参加した時は,とにかく 『土地をもらう』ことが大切でした。その後は生活レベルも上がりました。今の生活は良い生活と言えます。嬉しいです。ここには必要なものは全てあります。15年の契約の期限が来たら,また延長申請したいと考えています。」(中略)「筆者:困ったことはありますか。」「S:問題は,プロジェクトに参加していない他の地域の牧畜民が放牧をしながらプロジェクト(PUG)の土地へ入ってくることです。ちょうど今も,入ってきた人と話を付けてきたところでした。」「筆者:そういう時はどのようにして解決するのですか。」「S:いつも自分で解決します。郡の行政に相談に言ったことはあるが,何もサポートが無いのです。土地に入ってくる者を取り締まってほしいです。そういう法令を作ってほしいと思います。」(中略)「S:とくに秋には馬の群れがときどき入っ

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