GLOCAL_Vol20
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8おわりに 19世紀末イギリスは、ラブシェール修正条項やオスカー・ワイルド裁判を経て、同性愛を擁護する人物が登場したという点において、転換期に位置しているのではないかと思われる。 また擁護派が生まれたことにより、それまで主流であった社会の反応が、否定派となり対立した。しかし議論とはならず、互いに一方的な説の発信をしていると思われる。これは、同性愛が犯罪であったことから、擁護派が否定派に対して反論することが難しかったためだろう。そこで同性愛の存在意義を示す方法として、擁護派は、同性愛の正当化という方法を取らざるを得なかったとも考える。 今後は同性愛に関する言説について、擁護・否定派と中立派の線引きをすることで、転換期の同性愛をより考察できると思われる。また、言説だけでなく、行動にも着目することで、知識人の考えを読み取る必要があると考える。引用文献野田恵子「イギリスにおける「同性愛」の脱犯罪化とその歴史的背景-刑法改正法と性犯罪法の狭間でー」『ジェンダー史学』、2巻、2011年Brady, Sean, Masculinity and Male Homosexuality in Britain 1861-1913, 200519世紀末イギリスの同性愛者 19世紀末のイギリスでは、同性愛は1885年にラブシェール修正条項によって集中的に犯罪とされた。オスカー・ワイルドが裁かれたのも、この法律による。 これまでの研究は、イギリスで起こった社会純潔運動や男性性といった社会背景から、同性愛を論じている。そこで私は、同性愛者として発言できた知識人、上流階級に焦点を当てることで、同性愛への反応を考察する。また社会に影響された人物として、知識人、上流階級の同性愛観を見ることで、より19世紀末の同性愛についても考えたい。同性愛に対する19世紀末のイギリス社会 19世紀末のイギリス社会に浸透している考えでは、同性愛は異常性癖とされた。宗教的価値観からは、存在すらも否定され、大衆に同性愛そのものが広まることも危惧されていた。また、先に述べた男性性の影響も指摘されている。これは男性、特に上流階級に求められるものであり、女性との結婚を前提としたものである。このような社会では、男性同士の恋愛は、忌避されたのではないかと考えられる。 これらから大衆にとって同性愛は、ゴシップとして好奇心を刺激するもので、人を攻撃する材料だという認識があったと思われる。知識人、上流階級の同性愛観 知識人、上流階級の人々は、主に同性愛を擁護、否定、中立という立場に立って論じていた。擁護派と否定派は主に、同性愛者は優れているか、または不要かという点を述べている。 擁護派としては、エドワード・カーペンターとジョン・アディントン・シモンズが挙げられる。この2人は、人類愛や古代の軍人間の愛などから同性愛を擁護している。また精神的なつながりを性行為よりも崇高であると捉え、2人は同性愛がいかに素晴らしいかを、性行為を排除し述べることで、当時のイギリスでの同性愛の存在意義を示していたと思われる。 否定派についてはM.D.オブライエンが挙げられる。彼は男性性を重視し、それこそがイギリスの繁栄の源であると考えた。そのイギリス社会において、同性愛は物質的な繁栄をもたらすものではないと述べた。また同性愛という考えを根絶しなければ、イギリス社会が脅かされるとさえ考えていた。 中立派については、先に挙げた擁護派、否定派とは違い、同性愛が有用か、不要かという事は考えず、主観を取り除き、同性愛という存在を解明することに焦点を当てていると考える。ここでは、ハヴェロック・エリスを挙げる。彼は、主に性的遍歴という、幼少期からの性的な考えなどを同性愛者が自ら述べたものを多く集め分析することで、同性愛を研究していた。19世紀末のイギリスにおける同性愛観-知識人、上流階級の視点から-国際人間学研究科 歴史学・地理学専攻 博士前期課程1年水谷 諒(MIZUTANI Ryo)愛知県豊川市出身。2021年に中部大学人文学部歴史地理学科を卒業し、国際人間学研究科歴史学・地理学専攻博士前期課程に進学。専攻はイギリス近代史。卒業論文では「エドワード朝におけるイギリス女性参政権運動とプロパガンダ活動の変化について」という題目で、20世紀初頭のイギリス女性参政権運動について論じた。修士論文では、卒業論文執筆時から興味のあった19世紀末と20世紀初頭にかけての、イギリスの同性愛について考察する。

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