GLOCAL_Vol20
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2022 Vol.202022 Vol.202022 Vol.205う研究プロジェクトも進められている。今後も、一つの遺跡や遺物から得られる情報は増加していくものと予想される。こうした様々な分野、スケールの情報を活用可能な形に結び付けるには、紙ベースの情報では限界がある。今後さらに分野を横断しまとめあげるような情報基盤の必要性が高まっていくだろう。 超ミクロから超マクロまで異なる空間スケールの多分野の情報を融合して活用可能な形にまとめあげることで、新たな発見や視点につながることが期待される。これは同時に、考古学においてもデジタルが「あれば便利」から、「なくてはならない」に変質しつつあることを示しているように思われる。考古学とデジタル化 一方で、こうしたデジタル化の進展により何か失われるものや、あるいは課題となり得る点はないだろうか。 アナログからデジタルへの変換の過程では、必ず何らかの単純化が生じる。3D化でいえばそれは、微細な形状の簡略化であったり、手触りや質感、においや温度などの情報であったりする。もっとも、属性の取捨選択自体は、アナログ的な記録においても同様に発生する。考古学におけるアナログからデジタルへの切り替えの懸念の一つは、記録時の入念な観察が不要となることに伴う、遺物・遺跡との対話機会の減少、ひいてはモノの理解力の低下を招くことにあるように思われる。 従来の手書き図面はある意味で記号的で、図面の理解に際しては読み取り作業が必要となる。そのため、(現実の)十分な経験→(仮想の)図面・3Dモデルの解釈というステップを踏む必要があった。手書きによる図化作業はこうした経験を積んだり、先輩から教えを受けたりする過程であったともいえる。しかし、3Dモデルの場合、計測時は一般に詳細な観察を伴わないため、観察眼を養うには別途、現実のモノを観察する機会を設けなければならない。 あるいは、3Dモデルは一見リアルであるがゆえに、3Dモデルの観察を通した(仮想の)経験→(仮想の)図面・3Dモデルの解釈、という形もあり得るかもしれない。十分にリアルな仮想が、そのまま現実世界におけまるように思う。最近ではArchaeogamingなる言葉もあり、研究対象ともなっている。仮想空間のなかで遺跡や当時を復元した環境に触れたりすることを通して、より体験的に過去を学ぼうとするアプローチである。 文化財の継承や意味付けには歴史認識もまた深くかかわるところであり、デジタル化による復元が仮想空間における経験・体験的な公開につながる場合、一層慎重な姿勢が必要となろう。何をどのように歴史、史実として伝えるべきかという問いは、デジタルにあっても依然として人間側が考えなければならない論点として残される。さいごに 考古学者が現場で遺構や遺物を取り上げながらそれらを考える姿と、ここで想像したような将来のデジタルな考古学者像は、正直、私の中では今一つまだ上手くつながらない。デジタル化による、これまでにない面白い視点の登場や展開を予感する一方で、実際に過去の人間が作り、使った現実のモノに数千年の時を経て自身が触れて対話している、という点に実は最も惹かれているようにも思う。この点においては、モノは本質的には複製できないonly oneメディアなのかもしれない。どちらにモノの本質があるのか、あるいは両方とも本質なのか、私にはまだよく分からない。引用文献渡部展也,2019,考古学・文化財におけるデジタル計測と情報活用の現状,経済史研究 23(0),57-86.西山伸一,常木晃,渡部展也,辰巳祐樹,2017,西アジアのテル型遺跡に関するフィールド調査の技術的革新と展望:イラク・クルディスタンの調査事例から,西アジア考古学,(18),99-116.る体験・経験に近いとすれば、現実の体験という過程を省略する方向に進む可能性も否定しきれない。 現実のモノを見なければならないのか、仮想的なモノで十分で代替できるのか、学習機会という観点で問題は無いのかなど、変換過程において切り捨てられる情報・経験と、その意味が論点の一つである。今後も踏み込んだ議論が必要となろう。 また、膨大な3Dモデルが蓄積されることにより、こうしたデータの分析手法が開発されることも想像に難くない。実際、モノの判読・解釈において形状が持つ比重は少なくない。大量のデータに基づく自動的・客観的な画像分類や類型化はAIの得意とするところであり、大量の土器3Dモデルに基づく自動分類や、分類上の特徴点の抽出等への応用はすぐに思いつくところである。こうした基本的な形状分析と、紐づけられたその他情報(出土地点、胎土分析結果、色調等)を総合的に分析するなどの形は、膨大な関連情報の処理と可視化ということで、デジタルならではの観点を提供できる可能性も高い。一方で、モノの分類は考古学の根幹にもかかわる部分であり、専門家の判断との整合性をどう考えるか等がいずれ議論となるかもしれない。復元・可視化と経験 さらに長期的なスパンで考えてみると、遺跡が有限である以上、発掘対象としての遺跡は遠い将来ではあるが枯渇する。遺跡が枯渇した時代にあっては、それまでに蓄積されたデータが研究対象となろう。こうした時代の考古学者は、現実の発掘を経験出来ない以上、仮想の(発掘)経験に基づき報告書を解釈しなければならない。仮に発掘の経緯も仮想空間に保存し、VRやARの形で追体験できれば、後代の研究者があたかも自身が遺跡を掘るかのように検討することも可能となるかもしれない。超長期的に見れば、こうした仮想経験は報告書から発掘者の意図や遺跡を検討する上で非常に有効であるという見方もできる。このように仮想だからこそ可能となる情報の継承の形もあるだろう。 また、文化遺産の復元・継承・活用という観点では、デジタル復元やVR等の利用が今後も進み、良くも悪くも歴史像や文化を(仮想的な)経験を通じて伝えるという側面が強

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