GLOCAL Vol.21
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6 西股氏によると武士は、攻城戦であっても銃弾が飛び交う中、突撃したが、それは戦場の「缶切り役」を担っていたためとしている。『雑兵物語』においても、鑓の戦いは侍の鑓から始まり、戦闘を繰り広げていくのが読み取れる。このことから、武士にとって白兵戦は、武勇を尊び、手柄を立て、主君にアピールするためであると考えられる。これが白兵戦を行う意義であると考える。おわりに 攻城戦においては、鉄砲や弓などの遠戦兵器が多用されており、白兵戦に関する記録は少ない。野戦においては、鑓や刀、太刀が多く登場し、それらによって受けた傷や使用例が多くあることから、野戦においては白兵志向が優位であることが実証できた。修士論文では、これらの合戦で使われている物資の供給・調達状況について研究していきたいと思う。参考文献鈴木眞哉『「戦闘報告書」が語る日本中世の戦場』(洋泉社 2015年) 西股総生『戦国の軍隊』(学研パブリッシング 2012年) 久保田昌希 大石泰史 糟谷幸祐 遠藤英弥『戦国遺文今川氏編第三巻』(東京堂出版 2012年)はじめに 中世の戦場を当時の地形・合戦の様相・人の動きなどから復元することは、当時の暮らしやしきたりを解明する上で学術的意義がある。また、戦場の復元は先人たちがどのように国を守ってきたのかという防衛論においても新たな知見が得られると考えられる。 近年、鈴木眞哉氏をはじめとした研究者によって合戦の様相についての研究がなされているが、未だに多くのことがわかっていない状況にある。また、鈴木氏の研究においては戦い方の差異や、地域の事情を考慮していない面があったために、それらに配慮し考察を行った。史料からみた戦闘方法 今回の検討では、手負注文や軍忠状、感状、軍記物といった文書を扱った。これらの史料から攻城戦と野戦に分類し、戦国後期の合戦は白兵戦志向なのか、遠戦志向なのかを考察した。 まず、西日本における史料から検討をした。結果、攻城戦においては遠戦兵器が多く、それによる負傷が全体の約七割を超えていたことが確かめられる。このことから、遠距離の攻撃が攻城戦においては一般的であることがわかる。攻城戦においては鈴木氏の主張通り遠戦志向であることが考えられる。一方で、野戦は史料が乏しく充分な結果が出ていないが、今のところは鑓や太刀、長刀などの白兵向きの武器が多く使用されており、特に鑓が多用されていることがわかった。つまり接近戦が多かったと考えられる。 東日本の検討では主に今川家、朝倉家などの合戦の文書を使用した。今川家の史料からは攻城戦時であっても激しい白兵戦が行われていることがわかった。この戦闘状況の意味については、今後さらに考慮する必要があるが、結果としては、攻城戦では全体の約六割が遠距離からの攻撃であった。野戦では鉄砲が一例しか確かめられず、他の疵や扱った武器を見ても接近戦であったとみられることから、野戦では白兵戦が優位であったと考えられる。 軍記物では、『雑兵物語』と『蒲生氏郷記』から考察した。『雑兵物語』では野戦について、『蒲生氏郷記』では攻城戦を主体として考察した。『雑兵物語』からは、弓に近接兵器の弭はず鑓やりを付けており、すぐに白兵戦に移行できることや、鉄砲隊も刀を抜いて戦うことが決められていたことが確かめられる。また、鑓による戦いや組打ちによる戦いが、両軍が近づくと行われることから、白兵戦が重視されていたと考えられる。『蒲生氏郷記』からは城方が鉄砲を撃ちかけてきたことや、三段撃ちで仕掛けてきたという記述があるため、攻城戦は遠戦兵器を大量に使っていたと考える。城に残す部隊として、侍の弓・鉄砲衆を充分においたことも書かれている。このことから攻城戦では遠戦志向であったといえる。白兵戦に移行する意義戦国後期における戦闘方法の再検討国際人間学科 歴史学・地理学専攻 博士前期課程1年森 弘行(MORI Hiroyuki)1999年生まれ、愛知県弥富市出身。中部大学人文学部歴史地理学科を卒業後、大学院に入学。専攻は日本中世史。卒業研究では「戦国期における戦闘方法の再検討」という題目で戦国時代の合戦の様相について全国を対象に再検討した。修士論文では、合戦に必要な物資の供給・調達状況について駿河・遠江・三河を対象として分析を試みる。

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