GLOCAL Vol22
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2国際人間学研究科 言語文化専攻 教授杉本 和弘(SUGIMOTO Kazuhiro)名古屋大学文学部卒業。専門は日本近代文学、三島由紀夫、安岡章太郎の作品を中心に研究。共著に『三島由紀夫の表現』(勉誠出版)、主な論文に「『仮面の告白』覚書―記述する〈私〉を視座として」(『名古屋近代文学研究』6)、「『ガラスの靴』の時空―「シンデレラ」の影」(『昭和文学研究』34)など。「文学館」をめぐって―私が訪れた「文学館」―作品の舞台となった地域等、当該作家と縁が深い地域に設置されている。一方、地域名や組織名が冠せられた「文学館」は、当該地域・組織にゆかりのある文学者や作品の関係資料を収集、展示していると言えよう。 個人名が冠せられている「文学館」のうち、最も多いのが出身地に設置されたものである。 中でも、生家や生家跡に置かれた「文学館」は、時代的な変化はあれ、当該作家が生育した風土に触れることもできる。太宰治の生家がそのまま「文学館」となっている『斜陽館(太宰治記念館)』(青森県五所川原市金木町)は、資料よりも、建物そのものが観覧対象となっており、観光ルートにも入っていて参観者が多い。福岡県柳川市の『北原白秋生家・記念館』も『斜陽館』ほどではないにしても、観光客の観覧が多い「文学館」である。 生家が隣接する『森鷗外記念館』は、歴史的な建築物や史跡が多い島根県津和野町でも中心的な文化施設の一つである。鷗外関係資料も充実しており、企画展や講演会等の活動も活発である。津和野川に近い生家の対岸には親戚の哲学者西周旧宅があり、周辺には鷗外も通った藩校「養老館」、森家累代の墓がある永明寺もある。永明寺には、三鷹の禅林寺の鷗外の墓から1953年に分骨された墓がある。なお、東京都文京区には、鷗外が亡くなるまでの約30年間を過ごした「観潮楼」の跡地に『文京区立森鷗外記念館』が設置されている。 文学者が一定期間在住した地にある「文学館」としては、兵庫県芦屋市に『芦屋市谷崎はじめに 10年ほど前から全国各地の様々な「文学館」を訪ねるようになった。「文学館」の大半が近代文学に関わることもあって、資料収集等、研究活動の一端である場合も多いが、最近では、各地の「文学館」に出かけること、それぞれの企画展や常設展を観覧すること自体も目的になった。小稿では、これまでに私が訪れた「文学館」のいくつかを紹介しながら、「文学館」の特色や魅力について述べてみたい。「文学館」とは 「文学館」を厳密に定義づけることは難しい。施設の名称からして、『文学館』『記念館』『記念文学館』『文学資料館』『文芸館』『文庫』等々、まちまちである。また、その規模も活動状況も様々である。とりあえずは、「文学に関わる資料等を収集・展示している施設」というほどに捉えておく。全国文学館協議会HPに拠れば、全国で「文学館」とされている施設は、大小合わせて663、このうち、全国文学館協議会会員館が107ということである。運営形態も様々で、比較的規模の大きな「文学館」は、都道府県や市町村等、地方自治体が設置、運営するものが多い。「文学館」と括弧つきで表記してきたのは上記の事情による。 では、「文学館」の主な活動内容・機能はどのようなものであろうか。標準的な「文学館」(全国文学館協議会会員館の大半はそれに当たるであろう)には、大きく次の3つの機能があると考えられる。①  文学に関わる資料の収集、保存(肉筆原稿、初出誌、初版本、日記、書簡、創作ノートなど)②  市民への啓蒙的活動(常設展示、企画展、講演会、講座、各種刊行物の発行など)③ ゆかりの文学者の顕彰 すべての「文学館」が上記の活動を満遍なく行っているわけではなく、それぞれの「文学館」の設置の趣旨や事情によって重点の置き方は異なるし、それがまた、各施設の特色、個性にもなっている。ただ、③の文学者の顕彰については、強弱の違いはあれ、すべての「文学館」が果たしている機能であろう。 また、「文学館」の特色や魅力を成り立たせている条件として、私見では以下の3つの要素が重要であると考える。①  コンテンツ(収蔵物や常設展示・企画展等の内容)② 建物(建物の外観や構造、内部の設備等)③  立地(どのような地域のどんな場所にあるか) 以下では、上記の観点にも留意しながら、いくつかの「文学館」を紹介していきたい。私が訪れた魅力ある「文学館」 「文学館」は、概ね、文学者の個人名が冠せられた施設、都道府県や市町村名あるいは設置する組織名が冠せられた施設に大別される。個人名が冠せられた「文学館」は、一部の例外を除いて、ほとんどが出身地や居住地、

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