GLOCAL_Vol.23
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2023 Vol.232023 Vol.232023 Vol.239実の出来事を説話に反映しており、特に現実の恐ろしさを表現していることが共通している。しかし、『聊斎志異』には幽鬼の力を借りて科挙に合格する話や、伝統的な婚姻制度とは異なる恋愛結婚の異類婚姻譚があることから、蒲松齢の人間社会に対する不満と理想こそが妖怪の正体であると考えられるのに対して、『遠野物語』では、山が異界として共通認識されていることから、「山」つまり人の力が及ばない「自然」に対する恐怖こそが妖怪の正体であると考えられる点で、両者は相違する。おわりに 『聊斎志異』では現実の恐ろしさと蒲松齢の理想像こそが妖怪の正体であり、『遠野物語』では、現実の恐ろしさと自然に対する恐怖心こそが妖怪の正体であると考えられる。このように、2つの作品の怪異譚は現実の恐ろしさを描いており、妖怪の正体が著者の経験であったり、生活の場であったり、現実の出来事であることから、妖怪や怪異は当時の社会状況や社会問題を反映した鏡のような存在であると考察できる。引用文献皆川恵理「『聊斎志異』における狐との異類婚姻譚」『国文目白』49号、2010年。加藤秀俊、米山俊直『北上の文化―新・遠野物語―』現代教養文庫、1963年。蒲松齢(立間祥介訳)『聊斎志異』上・下、岩波文庫、2005年。柳田国男(後藤総一郎監修、佐藤誠輔口語訳)『口語訳遠野物語』河出書房新社、2013年。はじめに 『聊斎志異』は明の後期から清の前期が舞台の短編小説集であり、『遠野物語』は1910年に発表された岩手県遠野地方が舞台の説話集である。どちらの作品も民間伝承がもととなっており、神、妖怪、幽霊に関する話が中心となっているという共通性が見られる。このような共通性があるにもかかわらず、これまで比較研究が行われてこなかった。そこで本研究では、それぞれの作品の怪異観について考察し、当時の社会状況や社会問題を反映する鏡のような存在が妖怪であると仮定しつつ、その分析を行った。すなわち本研究は、妖怪の正体とは何なのか、妖怪そのものについての問いを提起するものでもある。妖怪の特徴 『聊斎志異』では、「青鳳」や「嬰寧」などの異類婚姻譚が多く、美女の姿の妖怪が登場する。「王成」では親族の老婆が妖怪であるなど人の姿をしている妖怪が多い。妖怪は必ずしも人目を避けなくてはいけない存在ではなく、ほとんどが人間社会に溶け込んで堂々と人目につく場所に現れていた。また、著者の蒲松齢自身が生員であったことや、生員が優秀な人物とされていたことから、生員が妖怪と出会う人間として多く登場していた。 『遠野物語』では、人に近い姿であっても身体が真っ赤だったり、浮きながら移動したりと、恐怖を与える存在として描かれている。動物の姿をした妖怪が登場するなど自然の中で生まれた妖怪も多い。遠野では、山、家、里それぞれの空間に明確な境界や異界が存在したとされるが、妖怪が出現できたのはその境界や異界であった。そのため、異界とされた山に普段から出入りする猟師や、山と結び付きやすい性質を持つとされた女性が、妖怪と出会う人間として登場するのである。家の中の不気味な人影は、決まって座敷と常居の境界たる茶の間に現れたのだ。怪異譚の背景 『聊斎志異』の背景には、科挙に対する著者の挫折経験の他、史上最大級の直下型地震である城地震(1668年)の被害、凶作による飢饉といった悲惨な社会状況があった。蒲松齢はこうした天災や凶作に見舞われた様を「憂荒」や「餓人」などの詩の中で描いている。また、清の占領策への反発として発生した于七の乱を始めとする血なまぐさい蜂起では、多くの死体が道に転がるほどであったが、著者はこうした惨劇を、地震や飢饉とともに経験しているのである。 『遠野物語』の背景には、遠野が北上山地を東西に横断する際に最も効率の良い経由地であり、駄賃付けの仕事が重要な収入源であったことや、凶作による飢饉を当地の人々が何度も経験してきたという社会状況がみられた。天明の大飢饉を始めとする凶作では、飢饉によって多くの死者や行方不明者が出、人食いや間引きの現実までみられたことが説話の基礎になったと考えられる。 以上のことを踏まえると、2つの作品は現『聊斎志異』と『遠野物語』に表れる怪異観国際人間学研究科 歴史学・地理学専攻 博士前期課程1年西場 風香(NISHIBA Fuka)2000年生まれ。静岡県浜松市出身。2023年に中部大学人文学部歴史地理学科を卒業後、大学院に進学。専門は社会史。修士論文では、当時の人々が経験した現実の恐ろしさを生々しく描いている『聊斎志異』と『遠野物語』を史料として用い、2つの作品に登場する怪異や妖怪を信じた人々が生きて死んでいった時代の社会状況や社会問題を明らかにしていきたい。また、妖怪は人間が悲惨な現実や説明の付かない現象に理由を付けるため、生み出されたものであるとの仮説を検証していきたい。

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