GLOCAL Vol24
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2024 Vol.242024 Vol.242024 Vol.2411の関係悪化の時期は、義元が桶狭間合戦で戦死して氏真期に移行した後と考えられてきたが、義元存命の永禄元年の時点で既に同盟崩壊の兆候がみられたということになる。今川義元はなぜ和睦の仲介役を渋ったのか 晴信の困惑は、義元がなぜ非協力的なのか心当たりがないためと思われる。となると、義元が和睦交渉に協力しなかった要因は、武田氏ではなく和睦を指示した足利義輝にあるのではないだろうか。今川氏は足利氏一門に該当するが、戦国期の両者はかなり疎遠となっており、永禄元年には関係がほぼ断絶状態であったことが指摘されている【木下聡2019】。つまり、義元は幕府からの要請には基本的に応じる姿勢を有しておらず、和睦への非協力的な姿勢はこのためだったのではないだろうか。今後より深く検討してみたい。おわりに 従来、今川氏同様に武田氏も幕府による影響力を軽視していたと評価されがちである。しかし、新出の史料からは晴信が幕府との外交を重視していた可能性が高いことが読み取れる。つまり、幕府に対する意識の相違が、両者の関係を左右したと考えられる。戦国期の東国では、戦国大名は幕府に影響されず自力で軍事や外交を展開するといった見解が強いが、未だ検討の余地を多く残しているため、今回の試論を今後役立ててみたい。主要参考文献大石泰史編『今川氏年表 氏親・氏輝・義元・氏真』(高志書院、二〇一七年)大石泰史編『シリーズ中世関東武士の研究 今川義元』(戎光祥出版、二〇一九年)黒田基樹編『戦国大名の新研究1 今川義元とその時代』(戎光祥出版、二〇一九年)はじめに 近年、主に北条氏や武田氏を中心として、一般に「戦国大名」と呼ばれる地域権力の研究が著しく進展している。中でも、研究の蓄積や新史料の発見などによって、東国における戦国大名に関する研究史は大きく発展を遂げているといえる。かかる既存の研究史に立脚しつつ、今回では戦国大名間の同盟関係の実態や機能性に関することについて、新たな知見を見出すことを試みた。検討素材として、駿河の戦国大名・今川義元と「甲相駿三国同盟」を対象とし、ここから戦国期東国の同盟とはどのようなものであったのかについて考察した。甲相駿三国同盟の研究 甲相駿三国同盟とは、今川氏・武田氏・北条氏の三者が互いに婚姻関係を結ぶことによって成立した同盟である。この同盟の機能性について、かつては三者が互いに無干渉を貫く同盟とされていた【小和田哲男1989】が、近年では丸島和洋氏らによって、同時代史料の検討から三者は互いに援軍や物資を派遣・輸送して積極的に干渉しており、明確な軍事同盟であったことが指摘されている【丸島和洋2015】。 今川義元・武田晴信(後に信玄)・北条氏康の三者が善徳寺で直接会談に及んだという話は有名だが、同時代史料からは確認できないため後世の創作とされる【磯貝正義1969】。今川義元と三国同盟 今川・北条両氏の戦い(河東一乱)が終了した後に、三国同盟は成立する。この後、今川義元は本格的に隣国三河への侵攻に着手する。ところが、織田信秀との戦いでの敗北や、奥三河国衆の反乱(三河忩劇)などによって窮地に追い込まれる。義元は、同時期に発生していた武田・長尾両氏の戦い(第二次川中島合戦)の仲介役となり両者を停戦させる。奥三河国衆との戦いに、武田晴信から援軍を引き出させることが目的であり、これによって三河での戦況は改善する【小川雄2013】。 しかし、武田・長尾間は永禄元年(一五五八)に再び戦争状態となる。これに、室町幕府将軍足利義輝が干渉する。この年の3月10日に義輝は、仲介役として義元と北条氏康を指名し、三国同盟のメンバーで協力して長尾氏との和睦を実現するように命じる。しかし、11月28日に武田・長尾両氏は再び戦争状態となり、晴信は義輝からの詰問に対する陳弁の書状を送ることになる。新出の武田晴信書状から判明すること この永禄元年の和睦交渉は、筆者が以前別稿にて紹介・検討した新出の武田晴信書状からその状況が判明する。書状の日付は7月16日とあり、義輝が和睦を指示した3月から再び戦争が始まる11月の間に記されたものになる。内容は、武田・長尾両氏の和睦について、義元が交渉に非協力的であるため晴信は困惑しており、氏康を頼って何としても和睦を実現させたいという意向が示され、武田家臣駒井高白斎に宛てられたものである。駒井は晴信側近で、対今川氏外交担当を務め氏康とも関わりを有する人物であったため、晴信は今川・北条両氏を交えた交渉には適任であると判断したのであろう。 この書状で最も注目すべきは、「このままでは今川氏との関係が終わる」と晴信が断言していることにあり、義元が晴信の和睦交渉に協力しない影響で武田・今川間の関係が悪化していることが明記されているのである。従来、両者戦国期東国の同盟関係に関する一試論国際人間学研究科 歴史学・地理学専攻 博士前期課程1年松村 響(MATSUMURA Hibiki)1997年、愛知県名古屋市出身。中部大学人文学部歴史地理学科を卒業後、2023年度より大学院入学。専攻は日本中世史。主に戦国期における東国の地域権力の実態について研究している。論文に「義信事件に連座した武田家臣について」(『武田氏研究』六六号、岩田書院、2022年)・「永禄元年の越甲和睦交渉と武田・今川両氏の関係について―新出の高白斎宛武田晴信書状の検討―」(『武田氏研究』六八号、岩田書院、2023年)など。

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