GLOCAL Vol24
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4メディア・イベント研究の新たな展開を目指してる。パブリック・ビューイングとは、サッカーW杯やオリンピックといった巨大なイベントに関連して公の場で開催される、テレビ中継の共同視聴イベントの名称である。 パブリック・ビューイングが公式的に大規模化し注目されたのは、2006年のW杯ドイツ大会であったと考えられる。当時は、ドイツ国内の各都市で、大規模なパブリック・ビューイングが開かれた。特に大きな注目を集めたのが、ベルリンの「ファンマイレ(Fanmeile)」――「ファンのための数マイルの道」の意――である。このイベントでは、試合を観戦するためのスクリーンが仮設されているだけでなく、ステージ上では音楽フェスティバルが催され、露店が立ち並ぶ路上では、ダンスをしたりビールを飲んだりと人々が自由に過ごしている。 国外からの観光客も見込んだFIFAの公式イベントだったが、蓋を開けてみると多くのドイツ人――しかも若者だけでなく高齢者や女性など、従来のサッカーファンとはみなされていなかったような人々までも――が、国旗を振る光景が見られた。しかも、参加者が熱狂的なサッカーファンだったとは限らない。さほベルリンのファンマイレで国旗を身に付け踊る人々(筆者撮影)「メディア・イベント」概念の展開 メディア研究者であるダヤーンとカッツは、1992年、オリンピックやロイヤル・ウエディング、宇宙飛行士の月面着陸の生中継といった、テレビ放送を中心とするマスメディアが報じる国家的イベントを「メディア・イベント」と名付け、その甚大な影響と役割について検討した(Dayan, D.とKatz, E. 1992=1996)。メディア・イベントでは、通常のテレビ放送の編成が変更され特別枠で伝えられる。この概念は、その大衆動員という権力作用が着目され、様々な事例研究がなされてきた。つまり、圧倒的に一方向の送り手であるテレビ放送によって国家的イベントが報じられ、人々が各家庭でそれらを視聴することで、視聴者であるオーディエンスはマスメディアが生み出した人工的な祝祭に動員され、結果として知らぬ間にナショナリズムへ導かれていくという、通過儀礼のメタファーによってその恐ろしさが語られてきたのである。 他方、日本では、翌年の1993年、吉見俊哉がメディア・イベント概念の重層的意味を、【1】新聞社や放送局などのマスメディア企業体によって企画され、演出されるイベント、【2】マスメディアによって大規模に中継され、報道されるイベント、【3】マスメディアによってイベント化された社会的事件=出来事、と分節化している(吉見 1993; 吉見 1996)。この整理は後続の研究で頻繁に援用され、日本におけるメディア・イベント概念を決定づけた。ダヤーンとカッツのメディア・イベント研究が、日常の時間の流れから切断された次元に成立する、全国あるいは全世界の関心が集まるようなイベントに焦点を絞っていたのに対して、日本ではどちらかといえば、新聞社や放送局の事業活動を念頭に、もっと規模の小さな、日常との境界が曖昧なイベントに対して、強い研究関心が向けられてきた。たとえばラジオ体操や青少年向け文化行事、高校野球といったイベントが、戦前・戦中・戦後を通じて実施されていった過程が、津金澤ら(1996、1998、2002)の研究によって明らかになっている。 メディア・イベントというアイデアが世界中で受容された結果、現在では、文化行事だけでなく、戦争さえもメディア・イベントと呼ばれるようになっており、メディア・イベント概念があらゆるメディア現象を語る際に用いられるまでになっている。逆説的ではあるが、このことは、もはやある現象を「メディア・イベント」と呼ぶことに意味がなくなりつつあることを示している。 それでも、大衆動員という側面を主題化した上でなお、受け手の主体性や能動性の度合いを読み解き、メディア・イベントの社会的機能の豊穣さ、特に参加者の雑種性や複数性、あるいは流動性について検討するために、筆者は、家庭の外に飛び出し、公共空間で展開される現代のメディア・イベントを取り上げてみたい。パブリック・ビューイングへの着目 現代のメディア・イベントの事例として筆者が着目するのはパブリック・ビューイングであ国際人間学研究科 言語文化専攻 助教立石 祥子(TATEISHI Shoko)名古屋大学大学院国際言語文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。立命館大学専門研究員等を経て、2022年より中部大学人文学部コミュニケーション学科に勤務。2023年より国際人間学研究科言語文化専攻兼務。専門領域はメディア論、文化社会学。関心のあるテーマは、複合メディア時代におけるメディア・イベントに関する研究。

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