GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
10/67

教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介8国際人間学研究科 国際関係学専攻 教授中山 紀子(NAKAYAMA Noriko)総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻博士後期課程修了。博士(文学)。専門は文化人類学。京都文教大学人間学部文化人類学科助手を経て、1999年4月、中部大学国際関係学部国際文化学科に助教授として着任。「親の七光り」ならぬ、指導した学生が偉くなって、「弟子の七光り」で生きるのを理想とする。座右の銘は「人生万事塞翁が馬」。広がり、転がり続ける研究関心トルコのイスラームに関心があったので修士論文のテーマをトルコの原理主義運動としたが、どうしても書けない。ようやく私がトルコで感得したのは明るいイスラームだと思い出し、神秘主義教団ベクタシーにまつわる笑い話にテーマを変えて1年留年はしたものの何とか書き上げた。修了後大阪外国語大学に博士課程はなかったので、ちょうど前年に国立民族学博物館に併設された博士課程のみの総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻に入学した。主指導教官はトルコについて長年文化人類学的調査を行っている松原正毅先生であった。国立民族学博物館は日本でも有数の文化人類学分野の牙城であり、入学できて本当に嬉しかった。 ここでも最初に考えたテーマは修士論文で扱ったベクタシー教団と関わりをもつとされていた宗教的少数集団であるアレヴィーの人たちだったが、マイノリティである彼らを調査することはおそらく大変な困難を伴い、トルコ政府からの調査許可取得も難しいだろうという指導教官の助言のもと、テーマをトルコの女性たちに変更した。 トルコのどこでフィールドワークをするのかは学生自身が探す必要があった。大阪外国語大学の大学院生の時に京都で知り合ったイスタンブル大学地理学者の奥さんのお姉さんが協力してくれた。黒海地方ゾングルダク県で国民教育省の役人として働いていた彼女が私を村々に連れて回り一緒に探してくれたのである。このフィールドワークは博士論文『農村女性からみたトルコの「近代化」:世俗主義、イスラーム、女性の相互関係』(1996)、『イ2024年はトルコ・日本外交関係樹立100周年 今年2024年はトルコと日本の外交関係樹立100周年にあたり、日本とトルコの両国で様々な記念行事が行われている。トルコ研究者の端くれである私にも9月にトルコのイスタンブルにあるボアジチ大学で行われた「トルコにおける日本研究大会」に招待されて発表するという機会が与えられた。また私自身も6月に本学においてトルコ人を含む4人の研究者による「家族、女性、教育、価値観を軸に、トルコと日本社会を考える」というタイトルの講演会を企画し、記念行事の一環とした。 今年はまた国際関係学部創設40周年にあたり、この講演会は学部の記念行事ともなった。講演会開催に合わせて中野国際関係学部長の粋な(?)計らいにより、民族資料博物館による企画「中部大学におけるトルコ文化人類学研究―中山紀子教授の調査と研究」が行われ、私の調査資料や関連書籍が1か月間展示された。展示資料を準備するなかで慌ただしくはあったが自分の研究を大きく振り返ることにもなった。私の研究関心はむろんトルコを中心とするものであるが、トルコから広がり、また転がり続けているようだった。この身軽さ(あるいは節操のなさ?)こそ私の身上ではないかと思い至った。この機会にまとめておきたい。偶然から始まる専門研究 高校生のとき同級生に「顔が騎馬民族に似ている」と言われたことから大阪外国語大学モンゴル語学科に入学し、3年生のときにたまたま履修したトルコ語の授業でトルコにはまった。4年生になる春休みに友人と2人で2か月間のトルコ旅行にでかけ、聞きしに勝る親日的なトルコ人に驚くばかりでなく、それまでもっていたイスラームの厳しいイメージが「関西系イスラーム」とでも形容したいような明るいイメージに変わった。もっと長くトルコに滞在したいと考え応募したロータリー財団から奨学金を得ることができたが、あとで聞いた話によると私の採用は賛否両論あったがトルコという珍しい国に行くからということで決定したらしい(中山2014)。 トルコでの1年間半の留学を経て私は大阪外国語大学大学院外国語学研究科西アジア語学専攻に進学した。講演会(右)と展示会のポスター

元のページ  ../index.html#10

このブックを見る