GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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2025 Vol.252025 Vol.252025 Vol.259している。魚籃観音はインドでは男性とみなされていた観音が中国大陸で女性「性」化する際の牽引役となったのではないか。現在このテーマで共同研究者が考察・執筆中である。 トルコの女性研究から宗教的少数集団のアレヴィー研究を経て水源信仰への関心にたどり着いた。水源信仰はイスラーム以前の自然崇拝を想起させ、キリスト教の聖者にまで広がる(おそらくゾロアスター教にもさかのぼるだろう)。航海守護神である媽祖研究からは故郷の佐伯につながり、佐伯で発見したその像は観音のジェンダーを考察する契機となった。このように偶然から始まった私の研究関心は広がり、転がり、また戻っていく。これを誇らなくてもいいかもしれないが、面白い人生だと思っている。引用文献中山紀子2014「トルコというフィールド:騎馬民族からイスラームまで」中部大学国際関係学部夢構想委員会編『「国際」という夢をつむぐ:中部大学開学50周年・国際関係学部創設30周年紀年論集』pp. 203―209中山紀子2018「水への希求心-イランにおける2015年春フィールド日誌より」『貿易風』13: 81―94中山紀子2019「イスラームに覆われた自然崇拝―ウズベキスタンの水源信仰に関する2017年度基礎調査」『Afro-Eurasaian Inner Dry Land Civilizations』7:39―54中山紀子2021「『農村女性、近代、イスラーム:ある人類学者からみた1990年代トルコ』(第2版)自著紹介」『貿易風』16: 118―124中山紀子2021、潘宏立訳「希茲魯信仰与媽祖信仰関係探討~基於伊斯蘭水之聖者的関聯角度(ヒズル信仰と媽祖信仰:イスラームの水の聖者との関連から)」『媽祖文化研究』」2021年2期: 32―38中山紀子、林雅清2023「佐伯藩内における媽祖信仰の受容―大分市伊東家伝来天妃像の伝承を中心に」『総合社会学部研究紀要』24: 33―41スラームの性と俗:トルコ農村女性の民族誌』(アカデミア出版会、1999)、そのトルコ語翻訳Köy kadını, Modernite ve İslam: Bir Antropoloğun Gözünden 1990’ların Türkiye’si, 2. baski (Tarih Valkfi Yurt Yayınları, 2021)(『農村女性、近代、イスラーム:ある人類学者からみた1990年代トルコ』第2版、歴史財団ユルト出版社)として結実した。この研究ではトルコ農村女性の記述もさることながら、「近代化」を超える「現代化」という概念を提示したことが重要であり、現在も考察を続けている(中山 2021)。アレヴィー研究から水源信仰へ 総合研究大学院大学の博論テーマとしてはあきらめたアレヴィー研究であったが、科研の研究分担者として関われることになった。「アレヴィー関連諸集団とアレヴィー・エスニシティの生成と展開―トルコ及びヨーロッパ―基盤研究(B)2009―2011」(代表:大阪国際大学 佐島隆)と「アレヴィー諸集団の境界と認識のコンフリクト及びエスニシティの変容―中東と欧米―基盤研究(B)2017―2020」(同)である。イスラームの多数派スンナ派と異なり、アレヴィーには儀礼に男女が同席する、女性がスカーフで髪の毛を隠さないなどの特徴がある。アレヴィー女性のありかたを調査するのが私の担当であったが、ある調査でトルコ中部のトゥンジェリ県に行き、当地に住むクルド系アレヴィーの女性たちが静かに水源に佇んでいるのに気が付いた。アレヴィーはイスラーム以前の自然に対する信仰をもっていると言われていたが、それを目の当たりにした気持ちだった。 その後イランやウズベキスタンに行く機会を得た。イスラーム体制が盤石だと思われがちなイランであるが、人々はモスクよりイマームザーデという聖者廟に行くことを好んでおり、さらに裏に湧水(水源)がある聖者廟も存在する(中山2018)。ウズベキスタンにおいても湧水のある場所がイスラームの聖地となっている例が散見され、イスラームに覆われた自然崇拝が実感された(中山2019)。水つながりで媽祖研究へ、そして故郷をもとにしたライフワークへ 水源信仰に対する興味関心が大きくなっていったころに、古巣の京都文教大学の元同僚から媽祖信仰に関する共同研究への誘いがあった。媽祖とは中国福建省由来の女神でおもに航海の安全を司る、いわば水の神である。水つながりでまずイスラームの水の聖者であるフズルとの比較を試みた(中山2021)。フズルはキリスト教では水と緑の聖者とされる聖ゲオルギウスと同一視されている。 いっぽう共同研究としての媽祖研究は、中国から日本各地に伝わってきた媽祖信仰の受容と展開、変遷などの様相を短期間ではあるが現地調査することだった。すでに媽祖像の存在が知られている青森県大間市や長崎県平戸市に加えて、私の故郷である大分県佐伯市にも赴いたところ、媽祖像を所蔵している人物に巡り合えた。媽祖像とともに所蔵されていた文書によると、佐伯藩の藩祖毛利高政が朝鮮出兵の際に果たした軍功に対し、豊臣秀吉が戦利品として得て高政に与えた明船のなかに媽祖像があったという(中山、林2023)。これが事実かどうかは不明であるが、少なくとも媽祖研究においてこれまで注目されることの少なかった中九州で、それも私の故郷である佐伯市で媽祖像と文書が発見されたことは重要で私は大いに興奮した。小さな町だと思っていた故郷での大きな発見。私のライフワークのひとつとなった。 またこの佐伯市で発見された媽祖像は、長崎県などでみられる媽祖像と異なり、観音に、より正確には魚籃をもたない魚籃観音に酷似トルコ黒海地方 調査地の村イラン、ギーラーン州の聖者廟の裏にある湧水佐伯市で発見された媽祖像

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