GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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2025 Vol.252025 Vol.252025 Vol.2515今ではSNSやYoutubeなどでもその手のものが山ほど流されているのだからたちが悪い。 おかげで、授業では一つ一つ根拠を示しながらそうした言説の何がおかしいのかを話すところから始めるのが昨今の状況である。そういう自身も、多くの人びとを対象とするような場に出る際には自戒しながら言葉を選んで発言するようにしているが、ひょっとすると誤った情報を伝えてしまってはいないかと気になるほど、マスメディアの影響力は大きい。それにはやはり知識の獲得や研究の方法といったものを疎かにせず、正しく伝えていくことを自身の学生相手だけではなく、より世間一般に広めていく必要があるように感じている。 なお同じ考古学でも、日本考古学は旧石器遺跡の捏造問題に端を発し、一般への情報発信がこの20年で大きく進展を遂げている。最近では『土偶を読むを読む』という書籍が目を惹いた。これは、2021年度のサントリー学芸賞(社会・風俗部門)を授賞し、マスメディア等でも大きな話題となった『土偶を読む』という書について、考古学の専門家たちがその内容に疑問を呈し、それぞれ根拠を示しながら丁寧に解説を付したものである。 この『土偶を読む』では、従来の見かたとは別に、土偶が植物の形状を模して制作されたものであることが新たな見かたとして示されているが、実際の考古学的な証拠とは相容れない点も多く、受け入れがたい。 もっとも、こうした学問的な指摘を一般書について行うのには非常に労力が掛かる。いみじくも著者の一人である望月はその苦労の一端を「はじめに」で述べているが、いわゆる文系の学問の場合、時に資料についてさまざまな解釈の可能性があり、答を一つに決めきれない面が確かにあるとは言え、世間に広まった明らかな誤りについて真っ向から挑んだ姿勢は高く評価されるべきであり、それはエジプト学の分野についても他人事ではなくなりつつある。 エジプト人気の裏側で、そんなことを考える機会が最近ではとみに増えた。ついては専門分野を教える我が大学院国際人間学研究科ではなおさらのこと、自身で根拠となる資料を収集した上で丹念に分析し、研究を遂行できる人材、正しい判断能力を持った研究者を育てていきたいと思う。引用文献竹倉史人(2021)『土偶を読む』晶文社.望月昭秀他(2023)『土偶を読むを読む』文学通信.なり、発掘や発見といった事柄はあくまで研究の前段階に過ぎないということであった。「エジプト学」における研究では、得られた資料をさまざまな方法論や先行研究等で得られた知識などを駆使していかに読み解き、新たな知見を得ることができるかが重要である。数年前に中部大学から海外研究の機会を与えて頂いた際には、かつての学び舎に戻り、エジプト学が所属するのと同じ東洋学部(Oriental Studies。現在はAsian and Middle Eastern Studies「アジア中東学部」に名称が変更された)の教員とも交流して日本学の状況を教えて頂いたが、そこでもまずは日本語の習得が最優先で、それに加えてエジプト学と同じくさまざまな知識を身につけ、エッセイ書きや卒業研究を通じて自身の専門や研究の方法を身につけていくとのことであった。最近はアニメ人気もあって日本について学びたい学生も増えたそうだが、文字の読み書きを含めた日本語の勉強に嫌気が差してしまい、中退する学生も多いようである。 ただし、学部を卒業したからと言ってすぐに就職先が見つかるとは限らない。古代エジプトより現代日本を専門とする方の就職先が多いことはイギリスでも確かなものの、研究者を目指すとなると博士号の取得は必須である。学部からそのまま大学院に上がるには相当優秀でなければならず、エジプト学科を卒業してその道に進まない場合にどういったところへ就職するのか、興味があって何人かに尋ねてみたところ、小学校などの教員と答えた学生が複数いたのには驚いた。イギリスでは、大学卒業後に1年間の教職専門課程を経て教員資格を取得するのが一般的だったように記憶しているが、エジプト学科のように非常に専門的な知識を学ぶことに時間を費やす学科の卒業生がそうした職業に就くということは、知識の獲得法や研究の方法を広く身につけた人材が青少年の教育に携わるということで、根拠を示した上での思考の論理性を重視するイギリスの教育方針を端的に表しているように(当時はせいぜい20代前半だったため、狭い知見ではあったものの)感じた次第である。学問的な誤りをどう正していくか 飜って今の自身が置かれた環境を考えてみると、古代エジプトを研究対象とする教員で現在大学の専任職を得ているのは自身を含め全国に7人ほど。ただ、筆者以外の教員は歴史学科など特定の学問分野を専攻する学科の所属であり、国際学科といった広い学問分野を扱う部署で教育に携わっている者はいない。かつてコロナで中断するまで、年に2回東京と名古屋(あるいは大阪)で開催していた国内のエジプト研究者を集めた研究会では(名古屋では中部大学の鶴舞キャンパスを使わせて頂いていた)、20周年記念の折に「古代エジプト研究をどのように大学で展開していくか」というテーマでその7名がそれぞれ自身の考えを述べたが、他の教員がいかに古代エジプトの専門的な教育を展開していくかと熱く語ったのに対し、私はいかに古代エジプトの学びを通じて知識の獲得や研究の方法を身につけさせるかという話をしたところ、出席者からほとんど反応がなかったのを寂しく感じた覚えがある。 もっとも、そのような話となってしまったのには理由があり、巷ではエジプトというと視聴率が期待できる面もあるからか、日本のテレビやインターネットで流れている古代エジプトに関する情報などは実に玉石混淆で、嘘の情報にすっかり毒されてしまっている学生も多い。 さすがにインディ・ジョーンズ(と言ってもすでに40年前の映画で、私も中学生の頃に見たくらいだが、意外に再放送で見たという学生も多い)など、古代エジプトの発掘調査を題材に片っ端からお宝目当てで遺跡を破壊していく映画は真実でないと感じるようだが、研究者(と世間一般では見られている人たち)が絡む番組となると安易にそれを信じてしまう人が多いのは、いまや他の学問分野についても似たようなことがなきにしもあらずなのだろう。 古代の墓に入っていき、いきなり目の前でミイラの蓋を開けて見せたり(実際の調査では、記録を取った上で行う作業である)、何の根拠もない説をまことしやかに語ったりと、そこまで来るとエジプトを取り上げて頂けるのは嬉しいものの、時には迷惑ですらある。おまけにギザの大ピラミッドとスフィンクス
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