GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介16国際人間学研究科 国際関係学専攻 准教授平井 芽阿里(HIRAI Meari)立命館大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了(文学博士)。専門は文化人類学・民俗学。主なフィールドは沖縄を中心とする日本と韓国。沖縄の村落祭祀と神々、沖縄から愛知への県外移住者、現代沖縄のシャーマニズム、日韓の合格祈願について研究。単著に『ユタの境界を生きる人々』(創元社、2020年)、『宮古の神々と聖なる森』(新典社、2012年)、共著に『せめぎ合う親密と公共 中間圏というアリーナ』(京都大学学術出版会、2017年)他多数。現代沖縄のシャーマニズムを再考する宮古島出身女性のライフヒストリーを書き留めるしないことになってしまう。そのため日本でのシャーマニズム概念は、エリアーデ的観点との対立と対話の中で展開し、トランスをその存在の核としたシャーマン理解が広く国内に浸透していくことになり、1970年代以降、シャーマニズム概念の本格的な受容がはかられていく〔村上2017:24―28〕。 以後、シャーマンという用語は、沖縄ではエクスタシーを伴わずとも、包括的意味で使用され、沖縄のノロや神役を指すプリーストの対比用語にもなっていく。しかしながら、沖縄のシャーマニズム研究は次第に大幅に減少する。一因には、シャーマニズム概念の固定化、また有効性への疑念の高まり、シャーマンや巫者の数が減っているというフィールド側の事情もあった〔村上2017:36〕。 そのような中、塩月は近代化が進む中、これまで滅びつつある信仰形態とみなされてきたシャーマニズムが世界各地で復活し、ユタもまた勢いを増しているとする〔塩月2012:425〕。従来の研究でもユタの宗教的世界観の多様性については指摘されてきたが、塩月はもともと沖縄シャーマニズムの特質はシンクレティズムであり、仏教、キリスト教、水子供養などの民間信仰が入り込んでいるとし、現在ではそれがさらに進み、他宗教の受容だけでなく、精神世界の本やニューエイジ文化の影響を受け、素粒子や電波といった「科学的」用語を用い、宇宙人としての神を創造するなど、新たな手法で自らの宗教的世界観を構築しつつあることを明らかにした〔塩月2012:はじめに ―シャーマニズムとは― 「神様を信じますか?」そのようなことを突然聞かれたら、どのように感じるだろうか。特に日本では一部の小学校を除き、公には宗教について学ぶ授業がなく、「神」という存在についてじっくり考える機会は他国に比べ少ない。そうかといって日本では、近所の神社に行った、幼少期にお祭りに参加した、お寺で法事をしただの、「神」なる存在と全く無関係に育つ訳でもなさそうだ。 たとえそのような経験があっても「神様と話せる」などと聞けば、途端に訝しげな態度で距離を取ろうとする。なぜなら我々は、「目に見えないもの」に対し常に敏感で―よくよく考えれば、海の底の深い部分や、誰かがまことしやかに語る過去の体験でさえ、「目に見えないもの」という意味では同じであるはずなのだが―ことに神や仏といった類になると、より警戒心をあらわにしがちなのである。 一方、そのような体験を「シャーマニズム」として正面から捉え、記述し、分析してきたのが社会・文化人類学や民俗学という学問分野である。シャーマニズムとは「通常トランスのような異常心理状態において、超自然的存在(神、精霊、死霊など)と直接接触・交流し、この過程で予言、託宣、卜占、治病行為などの役割を果たす人物(シャーマン)を中心とする呪術―宗教的形態」のことである〔佐々木1980:41〕。 本稿では、筆者が2019年から取り組む現代沖縄のシャーマニズム研究について簡単に報告する。沖縄のユタとシャーマニズム研究 奄美・沖縄には、霊力によって「超自然的存在(神仏や先祖や幽霊など)」との交流を可能とし、霊力で依頼者が抱えている問題の手助けを行う〈ユタ〉と呼ばれる人々がいる。 ユタについての研究は「沖縄学の父」とも言われる伊波普猷(1913)に始まり、1950年頃からは次第にユタの成巫過程をシャーマニズムの概念で捉える研究が出てくる。 しかし、次のような問題があった。宗教学者であるエリアーデのシャーマニズム論において、最も重要な概念は「エクスタシー(脱魂)」としての「魂の飛行(ecstatic journey)」である。以来、エクスタシーはポゼッション(憑霊)と対応する語として、トランス(変性意識)はエクスタシーやポゼッションよりも、より基本的な心的状態を意味する語として使用されるようになる〔エリアーデ1981:6―10、佐々木1980:30―34〕。 これに対し日本のシャーマンとして取り上げられた東北のイタコやユタは、エリアーデが提示したエクスタシーの事例は非常に少なく、むしろポゼッションの範疇に分類されるものであった。 つまりエリアーデ的観点からすれば、日本には「厳密な意味での」シャーマンはほぼ存在
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