GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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2025 Vol.252025 Vol.252025 Vol.2523が描く世界の読解に、ダナ・ハラウェイ(Donna Haraway)が提唱する人新世が役立つのではないかという考察を続けている。ハラウェイは「植民新世」(Plantationocene)という新しい人新世の種類を提唱している。「植民」という用語が入っているため、「植民新世」は奴隷制時代のプランテーションを想起させるが、ハラウェイは砂糖や綿を生産する大規模なプランテーション農業こそが生物の多様性とバランスを崩壊させ、労働を搾取する社会的不平等の根源であると批判している。したがって、ハラウェイはそのような植民地を「植民新世」に書き換える試みを行っているのではないだろうか。つまり、ハラウェイの言う「植民新世」とは、人間のための食糧などを生産するための大規模な農場であるのと同時に、植物、動物、菌類、そして土壌が共存している世界である(SWT 206)。これまであまり探究されてこなかった「植民新世」は、自然環境と人間の共生の実現すなわち未来の存続の手がかりとして分析できると予想できるのだ。 最後にまたマッドアダム三部作の議論に戻ると、このハラウェイの「植民新世」の探究と、アトウッドの描く「神の庭師たち」が築き上げたコミュニティが結びつくのではないかというのが筆者の考察である。今後の課題として、ハラウェイとアトウッド作品における人間と非人間の共生のさらなる可能性を研究していきたいと思う。参考引用文献Atwood, Margaret. MaddAddam. Virago, 2014._. Oryx and Crake. Virago, 2013._. The Handmaid's Tale. Vintage, 1998._. The Year of the Flood. Anchor, 2009.Edelman, Lee. No Future: Queer Theory And The Death Drive. Duke UP, 2005.Haraway, Donna. Staying with the Trouble: Making Kin in the Chthulucene. Duke UP, 2016.Ishiguro, Kazuo. Klara and the Sun. Vintage, 2022.Mansfield, Katherine. Bliss and the Other Stories. Createspace Independent Pub, 2015.McEwan, Ian. Machines like Me. Anchor, 2020.Pynchon, Thomas. Gravity’s Rainbow. Penguin Classics, 2006.Winterson, Jeanette. Frankissstein: A Love Story. Jonathan Cape, 2019.エーデルマン,リー「未来は子ども騙し―クィア理論、非同一化、そして死の欲動」『思想 2019年 5月号』藤高和輝訳,岩波書店,2019年.遠藤不比人『死の欲動とモダニズム:イギリス戦間期の文学と精神分析』慶應義塾大学出版会,2012年.小林敏明『〈死の欲動〉を読む』せりか書房,2012年.竹内勝徳・高橋勤編『身体と情動:アフェクトで読むアメリカン・ルネサンス』彩流社,2016年.の周縁にいるとされてきたセクシュアルマイノリティの人々も、戦争には、人間の無機物化による戦力としてなくてはならないものである。ここで、人間と非人間、異性愛と同性愛、生と死の欲望のそれぞれの境界が曖昧になっている。人間と非人間が共生する文学の世界マーガレット・アトウッド作品を中心に ここまでは自己の内側に存在する「他者」としての身体、情動、欲望に着目した。しかし、境界線が曖昧になりつつあるのは人間と人工知能、あるいは人間と人造人間との関係にも当てはまるだろう。これらの非人間的な存在は、生身の肉体こそないものの限りなく人間に似た不気味な存在である。現代の英米文学小説は、非人間がどのようにして人間社会に参入して影響を与えているのかについて未来を予測している。 例えば、イアン・マキューアン(Ian McEwan, 1948年―)の『恋するアダム』(Machines Like Me, 2019年)に登場する「恋をする」男性アンドロイドのアダムや、ジャネット・ウィンターソン(Jeanette Winterson, 1959年―)の『フランキスシュタイン』(Frankissstein, 2019年)で描かれる性的充足のための「セックスボット」、そしてカズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro, 1954年―)の『クララとお日さま』(Klara and the Sun, 2019年)に登場する「人工親友」(Artificial Friend)が挙げられる。 曖昧な境界線とジェンダー批評の密接な関係は、カナダ出身の現代作家であるマーガレット・アトウッド(Margaret Atwood, 1939年―)の作品からも読み取ることが可能だ。アトウッドは、代表作『侍女の物語』(The Handmaid’s Tale, 1985年)で女性たちの妊娠が独裁政府に管理されるバイオポリティクスの世界を描いている。自己の所有物であると思われていた身体=子宮が管理され、出産後も自分の産んだ子どもが奪われるディストピア世界が描かれている。 このように、アトウッドの小説にはサバイバルする女性が多い。近年のマッドアダム三部作(MaddAddam Trilogy, 2003―2013年)では人間の女性主人公がサバイバルし、人造人間たち(humanoids)とともに共生している世界を描いている。というのも、この三部作では、ウイルスの蔓延により壊滅してしまった世界で、生き残った人間とヒューマノイドとのあいだに異種混淆の子どもが誕生している。一見すると、非現実的な妊娠と出産がテーマとなっているようにも見えるが、アトウッドは人工子宮を用いた出産という起こりうる未来を想定している。ここでもまた、人間とヒューマノイドという異なる種の境界線が曖昧になっているだけでなく、人間とヒューマノイドが共生するためのヒントが描かれている。 筆者はこのような共生社会が女性登場人物の行動によって実現しているのではないかと分析する。筆者は現在、このマッドアダム三部作のうち二作目の『洪水の年』(The Year of the Flood, 2009年)の主要登場人物であるトビーの行動を研究している。トビーは、壊滅状態の世界を生きる弱者として描かれているが、時にはテクノロジーを駆使してサバイバルしている。例えば、性的な被害から逃れるために身元を知られないよう、近未来的な技術を借りて髪の色、指紋、声、肌の色を変えている。さらに、トビーはクレイカー(Crakers)と呼ばれるヒューマノイドに言語を教え、人間とヒューマノイドたちとの仲介者の役目を果たしている。 トビーが所属する「神の庭師たち」という名のコミュニティで、彼女はクレイカーと交流する。「神の庭師たち」が生活する庭園、すなわち自給自足の領域には様々な生命体が存在している。テクノロジーの発展によって生み出された動物たちは異なる種の遺伝子が「接合」(splice)されたハイブリッドの動物たちである。世界の壊滅後に混沌とした無法地帯の自然環境で、生き残った「神の庭師たち」はクレイカーと共生しながら、様々な生命体が潜む庭園でハイブリッドな子どもたちと生きていく決意をする。今後の課題人間と非人間の境界を超えた人新世の分析 アトウッドは、マッドアダム三部作をとおして壊滅的な世界とその後の回復、そして未来への希望を描いている。筆者は現在、アトウッド

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