GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介24国際人間学研究科 言語文化専攻 教授塩澤 正(SHIOZAWA Tadashi)京都大学大学院人間環境学研究科博士後期課程満期退学。博士(人間環境学)。イリノイ大学(アーバナ・シャンペイン)大学院修了(MA, Teaching English as a Second Language)。環境と言語習得の関係、国際英語論とその教育的応用に関心がある。近著に『国際英語論で変わる日本の英語教育』(くろしお出版、共編著)、『英語教育と文化』(大修館書店、共編著)、『現代社会と英語』(金星堂、共編著)、Activator Next(金星堂、共著)、『留学・国際交流が人生に与える影響』(風媒社、共編著)などがある。生成AIと「国際英語論」―英語教員や英語教育は不要になるのか― さらに、吉川ら(2024)が言うように、一定の英語力を備えないまま、英語での発信・受信を生成AIに全面依存しようとする姿勢は様々な不都合をもたらすことを忘れてはいけない。生成AIが産出する英語文に誤謬や偏りがあっても気付くことができない。そもそも生成AIを物理的に使用できない環境では、全くコミュニケーションができないことが想定される。AI時代といえども、自力でコミュニケーションのできる英語力を養うための英語教育の重要性がゆらぐことはないだろう。教育は「トランスアクション」ではなく「インターアクション」 英語学習に限らず人間の学びすべてに関しても、同じことがいえる。効率性が重視される社会がさらに進めば人間は意味のある人生を生きるチャンスを奪われ、言語学習のような骨の折れる作業は生成AIに任せがちになる。その意味で大げさかもしれないが、生成AIの乱用は人間文明の危機につながるかもしれない(大下, 2024)。教育は知識や技術の「トランスアクション」に意味があるのではなくて、その獲得するまでの「インターアクション」に意味があるのでないだろうか。この学習過程に知的作業が必要となり、知性や理性や感性の成長がある。それがひいては人間の文明を作りだす。そのように考えれば、教育者が外国語学習は不要だと本当に言えるのだろうか。 ただ、私は外国語学習における生成AIの利用を否定しているわけではない。全くその反対だ。教育者も学習者もこれを学びの強力なはじめに 生成AIの登場により「英語教員や英語教育は不要になりますよね」という声を最近頻繁に耳にする。確かに生成AIの登場で、英語での受信や発信が驚くほど容易になった。英語でAIと会話することも携帯電話でできる。英語の授業は、英語自体を学ぶというより、生成AIを上手に使って英語と付き合う方法を学ぶことにシフトしていく可能性がある。しかし、だからと言って「英語教員や英語教育は不要になる」と言えるのだろうか。少し、言語習得論や「国際英語論」の観点から考えてみたい。言語はコミュニケーションの道具以上のもの 英語が苦手な人は、大いに生成AIを使って英語の論文やメールを(日本語で)読み、英語でのプレゼン用スライドを作れば素早く目的が達成でき、効率化にも役立つ。その意味で日常的に英語を必要としない人は、英語の学習自体が必要なくなるというのはあながち間違っていない。もともと、必要のない人まで小学校から大学レベルまで、ほぼ全員に英語を学習させてきた日本の英語教育は大きな改革を迫られるだろう。しかし、それは、英語の初級・中級者までの話だ。対面で瞬発的な議論が必要な人や英語を自分の思考表現(自己表現)として使う人、あるいは言語表現の豊かさに価値を置く人などは、生成AIが登場したところで、自分で英語を操り自分の意思を自分の言葉で伝えたいと思うはずだ。実は、様々な感情を込めたり、微妙なニュアンスを表現したりすることさえも生成AIを利用すればできるのだが、なぜ私たちは言語を自分で操作したいのだろうか。それは、言語は単なるコミュニケーションの手段ではないからだ。 私たちは複雑な思考は言語で行う。つまり、母語以外に新しい言語を身につけるということは、新しい発想や考え方を身につけるということだ。人間の考え方や価値観の幅が広がることを意味している。まさに、これは自分に新しいアイデンティティが加わるということではないだろうか。英語により人間の付き合いの幅やキャリアチョイスが広がり、多様性を受け入れる下地ができ、行動パターンや思考方法や価値観まで大きく変わることさえある。そして、人生が豊かになる。人生を豊かにするものは教育で扱う価値がある。これがまさに、言語は単なるコミュニケーション手段以上のものであるという意味だ。 いや、コミュニケーション手段としてもまだ生成AIは完全に人間の代わりができるところまでは来ていない。対面で、顔や状況を観察しながらの戦略的な発話や行間や沈黙を読んだ後の一言などは、その場の空気や相手の雰囲気やメンバー構成などを総合的に勘案しながらでないと口から出てきこない。これはまだまだ人間にしかできないコミュニケーション方略だ。それが、相手への印象やひいては目的の達成具合にも影響する。こういうことを考えれば、「生成AIが出てきたからもう英語の勉強も先生もいりませんよね」などと簡単には言えないのではないだろうか。

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