GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介26国際人間学研究科 言語文化専攻 教授永田 典子(NAGATA Noriko)甲南女子大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。修士(文学)。専門分野は日本神話、説話文学、民俗学(口承文芸)。研究テーマは、神話から現代の世間話までを対象とし、伝承文芸の文化的位相を解明すること。過去に名古屋市文化財調査委員会委員を務め、現在は春日井市文化財保護審議会委員、安城市文化財保護委員会委員を務める。最近の著書は『尾張伝説考』(中部大学、2021年)。伝統的祭礼行事の継承に関する問題点例として、名古屋市は2015年に無形民俗文化財に指定された。但し、郷祭開始前の準備段階において、主役である馬の飾りつけが地元民ではうまくいかなかった場面があった。飾りつけをしていたのは比較的若い世代で、5年前のときの経験者ではなかったようである。この役を担当するにあたり、前任者から方法などを伝授されていたのかもしれないが、手馴れていない様子だった。それでも伝統的な飾りつけができたのは、馬を貸し出している牧場主の全面的な指導の賜物であった。牧場主は、長久手市の警固祭などのオマントも手がけており、飾りつけの技術に長けている。しかし、この行事の存続には、地元で取りつけの方法技術を習得し、伝承してゆくことが重要である。祭りは5年ごとであるが、馬の飾りつけ役をはじめ、この祭りを構成するさまざまな役を保存会の下部組織として機能するように、定期的に講習会を開くことが望まれる。名古屋市東区筒井町の山車行事 商業地区である東区筒井町では、6月第1土曜日・日曜日に津島信仰によるの天王祭が開催される。本陣を建中寺門前とする神皇車と、情妙寺前とする湯取車が曳行され、それぞれの山車にはその維持管理と、人形からくりや囃子の後継者育成などを主な事業とする保存会がある。 神皇車は、文政7年(1824)に旧広井村新屋敷で三之丸天王祭の見舞車として建造され、明治20年(1887)に当時の筒井町が購入したものである。湯取車は、万治元年(1658)に東照宮祭礼車として、中区旧桑名町で建造され、天保2年(1831)に当時の情妙寺前へ譲渡されたものである。どちらも1973年に名古屋市有形民俗文化財に指定されたが、2014年に無形文化財に切り替えられた。 山車行事の花形となるのは、楫方である。はじめに 2019年末から始まった新型コロナウイルス感染症は、各地の伝統行事に深刻な影響を及ぼし、中止せざるを得ない状況を招いた。しかし、2023年5月8日に「新型インフルエンザ等感染症(2類相当)」から「5類」へと変更されると、中止していた祭礼の再開が増え、以前の日常生活が少しずつ戻ってきた。それは喜ばしいことではあるが、大変痛ましい事故が起こってしまった。2023年11月3日、静岡県伊豆の国市田京の祭礼で山車が坂道で暴走して横転したため、1人が死亡し、13人が重軽傷を負ったのである。捜査の結果、静岡県警は山車の運行に関わっていた責任者2人を業務上過失致死傷の容疑で書類送検した。新型コロナウイルス禍の影響で山車を出しての祭りの開催は4年ぶりで、引き継ぎ不足や、背景にある祭りの担い手不足が指摘されている。 静岡県伊豆の国市の山車横転事故に限らず、地域社会における伝統行事の継承の難しさを痛感することがある。これまで調査に携わってきた名古屋市内3箇所の祭礼に関し、継承の問題について考えたい。大森郷祭のオマント行事 愛知県の尾張地方や西三河地方には、オマントと呼ばれ、御幣や馬具などで飾った馬を社寺に奉納する行事がある。氏神の祭りでは、集落内のシマと呼ばれる単位で馬を出すのが基本であり、複数の村々が合同で行う場合はガッシュク(合宿)と呼ばれ、その範囲は数十箇村にも及び、名古屋市の熱田神宮や龍泉寺、豊田市の猿投神社など、特定の社寺に馬を奉納することも盛んに行われていた。オマントの行列には、棒などを持って様々な組み手を披露する「棒の手」と呼ばれる芸能の隊列や、火縄銃の一隊も加わる。そのオマント行事のうち、2014年10月19日に名古屋市守山区の大森郷祭を調査したのは、名古屋市の無形民俗文化財の指定のためであった。 龍泉寺に飾り馬を奉納する習俗は、元禄年間に寺に雨乞い祈願に行き、願いが叶ったことから始まったとも、大森城主築田出羽守がこの寺に戦勝祈願に行ったことから始まったともいわれている。大森合宿は、近世以来の大森村と藤森村、上社村、一色村、下社村、高針村(以上名古屋市)、印場村、庄中村、新居村、稲葉村(以上尾張旭市)、長久手村(長久手市)で構成されていた。 瀬戸街道に沿った大森には、1950年代半ばまで陶器の運送用の馬が飼育されていたため、これを借りて馬道具をつけたという。しかし、自動車が普及すると馬を飼うことがなくなり、祭りにオマントを出すことが難しくなった。また、交通量が増え、龍泉寺まで隊列を組んで行くことが危険視され、龍泉寺にオマントを奉納することもできなくなってしまった。しかし、守山市の名古屋市合併(1963年)、明治百年(1968年)、八劔神社の改修(1972年)などを記念して八剱神社にオマントが奉納され、1984年からは5年ごとに郷祭をおこない、飾り馬と警固(鉄砲隊・棒の手隊)を出すしきたりが確立した。オマントと警護隊(2014年10月19日) 大森郷祭のオマントは、現在、名古屋市内で定期的に行われている唯一の行事となっている。保存継承してゆく必要のある貴重な事

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