GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介30国際人間学研究科 心理学専攻 教授願興寺 礼子(GANKOJI Reiko)名古屋大学大学院環境学研究科環境社会学専攻博士課程満期退学。専門は臨床心理学。著書に「スクールカウンセリングと発達支援【改定版】」(共著)(2018, ナカニシヤ出版)、「心理検査の実施の初歩」(共編著)(2011, ナカニシヤ出版)などクライエントさんから学んだこと―「受容」と「共感」の難しさ―験も浅く、独身で子育て経験もないことから、AさんのBに対するどうしようもないほどの強い拒否的感情に圧倒され、その感情を受け止める力量を持ち合わせていなかった。それどころか、これではBは居たたまれないであろうと、目の前にいるAさんよりも子どもであるBの立場に立って、Bのために何とかAさんに変ってもらう必要があると思い、面接に臨んでいたのであった。面接の中断 AさんはBに対する気持ちを一通り話し終えると、その後の面接ではBの話は後景に退き、目を輝かせて自身の「男女は対等であるべき」という人生観や子ども観、当時関心を寄せていた家庭文庫についての活動について生き生きと語った。その一方で、「結婚なんてしなければよかった」と夫との結婚生活の不満をまくし立てた。Bを愛せないことの一因が、Bの性格が夫によく似ているためであることが判明した。 ある時、Aさんは和田重正の著作に触れ、「『自分はどう生きるか10年くらい悩み続け、ある朝目覚めると、朝日の中で椿が咲いているのを見て、ただ生きている、そのこと自体の喜びに気付く』。ここを読んで大変感激した。自分自身が生きる喜びを感じ、楽しい人生を送っていることが大切だと気付いた」と語った。この言葉をそっくりそのまま受け取ることが出来なかった私は「Bに対しても、ただ存在しているだけでよいと思えますか」と、Aさんに対して強引な直面化を行ってしまったのである。はじめに 私が専門とする臨床心理学は、あくまでも個人を対象とし、活用しうる限りの最善の知識と技術を駆使して、目の前にいる、悩み苦しんでいる人を理解し、その人がその人らしく幸せに生きるための最大限の援助を行うことを目的とする学問である。したがって臨床実践と深く関わり合っている。私はこれまで臨床心理士(公認心理師)として数多くのクライエントと関わり、様々なことを学ばせていただいてきた。ここでは、私がまだ心理士になって間もない頃に担当した事例を紹介しつつ、心理士の基本姿勢として必須とされる「受容」と「共感」について考えてみたい。なお、事例の記述にあたっては、クライエントの匿名性を保つことを最優先し、内容の修正を行っていることをお断りしておく。子どもの問題で来談した母親の事例 Aさんは、子ども(B)が学校など特定の場面で話せなくなること(場面緘黙)を心配して来談した30代後半の母親であった。Bは小学校2年生にしてはか細く小柄な男児で、家では問題なく話ができているにもかかわらず、学校では表情がこわばり、先生や友達に対して一切言葉を発することができなかった。幼少期からBは公園に行っても母親のAさんから離れて他児と遊べず、元気でたくましく育ってほしいというAさんの理想からはほど遠い子どもであった。思うようにいかない子育てによるストレス、仕事中心で家庭を顧みない夫、Bを出産後それまで没交渉であった義理の両親による干渉が加わり、Aさんは常に余裕がなく、イライラのし通しであったという。AさんはBを「過視線(Aさん自身の表現)」という鋭い視線で監視する一方で、Bが泣いて母親を求めても手を貸すのを控え、かなり突き放した育て方をしていた。Bは泣いても応えてもらえない体験を積み重ねることによって自己主張をする意欲を失い、これが緘黙に繋がっていったと考えられた。母子間に大きな気持ちのズレがあり、Aさんに対しては、そのズレに気付き緘黙的なBを受け入れられるように、私が母親面接を行い、またBに対しては別の担当者が、活動性を高め子どもらしい自己表出を促すことを目指して、遊戯療法が開始された。子どもを愛せない母親の苦悩 来談当初より、Aさんはこれまでの自身の子育てのあり方に問題があることを認めつつも、「Bのことをどうしても理解できない。下の子に比べてBを愛することができない」と何度も繰り返し、「Bのように線の細い子だけで終わりたくない。打てば響くような手応えのある子どもの子育てを楽しみたかったので、第二子がどうしてもほしかった」と語った。AさんはBを出産した1年後に第二子を早産で亡くし、その後も2回連続で流産を経験し、来談するちょうど1年前に、待望の第二子となる男児を出産していた。Aさんは、「Bの時には味わえなかった子育ての楽しさ」を満喫しており、益々Bに対して肯定的な気持ちを抱けなくなっているようであった。当時の私はまだ臨床経

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