GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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2025 Vol.252025 Vol.252025 Vol.2531トであり、その人の話したいことにしっかり耳を傾けることこそが面接の基本である。子どもの問題で訪れた母親であっても、その人の訴えをまずはしっかりと傾聴する必要がある。 村瀬(1981)は、治療的な展開に関与する条件を吟味する中で、諸々の心理療法に共通する基本技法として受容と共感を挙げ、次のように述べている。 「受容とは患者の心理に対する治療者の全面的肯定であり、評価、批判、指示を含まない共感である。(中略)共感とは『相手の立場に立って感じる』社会通念的な価値観から全く開放された無条件的な患者の尊重であり、こういうことは、通常の世間的な人間関係では起こり得ない。したがって治療体験の中で、こうした共感に基づく受容体験により、患者は新たな驚き、歓びを感じて、自分自身を受入れ、健全な自己愛、ひいては環境への開かれた態度、交流を発展させていくのである。」 面接の場は非日常的な場であり、クライエントが日常場面では表出できない感情や思いを、十分かつ安全に表出できる場である必要がある。また、そのような場を提供することこそが治療者に求められる役目である。Aさんが安心して長年抱いていた感情を吐露し、それを治療者に受容されていたら、力のあるAさんであったので、自らの問題を自分の力で解決していけたと思われる。臨床経験を40年近く積み上げてきた今でも、Aさんから贈られたイヤリングを見る度に、クライエントの話を聴ける耳になっているのだろうかと、自問自答する日々である。引用文献村瀬嘉代子 1981 子どもの精神療法における治療的な展開―目標と終結― 白橋宏一郎・小倉清編 治療関係の成立と展開 児童精神科臨床2 星和書店Aさんは「まだBに対してはそう思えない」と苦しげに応えた。今にして思うと、Aさんに向けたこの発言は明らかに私の逆転移(逆転移:治療者がクライエントに対して無意識に自分の感情を向けてしまうことを指す)から生まれたものである。自然な母性を欠き、アニムス優位な(男性的な)生き方を志向するAさんに、私はいら立ちを感じていたのであった。するとAさんはさらに語気を強め「私にとって、Bは夫の愛人が産んだ子としての位置づけ。Bとは一生自然な関係がもてないように思う」と語り、面接終了時には「ここで話しても、私の価値観は変えられないと思う」ときっぱり言い放ち面接室を出て行った。この時の私は、自分の力不足や不甲斐なさを感じるとともに、Aさんの攻撃的な強い言葉や態度に、相当傷ついていたことも事実であった。当時は、攻撃的なAさんによって傷つけられているBという関係が、治療の場でも再現されており、治療者の私の方が、Bと同様Aさんによって傷つけられていると考えていた。しかし今にして思うと、Aさんを傷つけていたのは私の方で、Aさんは傷ついていたBだった、と考える方がしっくりくる。私の方がAさんの気持ちや求めているものを理解せず、母親であれば子どもを愛すべきだと、Aさんに理想の母親像を求めていたのであった。面接を重ねてもAさんにそのような母親像が形成されていかないために、イライラしたり焦りを感じ、Aさんを追い込んでいたのは私の方であった。 その後、AさんはBを連れて来談するものの「きょうはBの遊戯療法だけで、私の面接はお休みさせてください」という回が増えていき、ついには「面接は辛いのでもう終わりにしたい」と言い、Aさんとの面接は中断となった。母親面接が中断になると、子どもの治療までも中断してしまうことが多いが、Aさんは遊戯療法を楽しみしているBの来談には抵抗を示さなかった。Bは最初は無口で、プレイルームでも全く自発的に動くことができなかったが、子どもの担当者との関係が深まって行くにつれて、それまで溜まっていた攻撃性を、しだいに勢いよく発散するようになっていった。時に攻撃性がエスカレートすることもあり、子ども担当者が対応に苦慮する時期も見られたが、やがてそれも建設的な形で収束していき、年齢相応の子どもらしい感情を表出できるようになっていった。Aさんは、Bのこうした変化を肯定的に受け止めることができた。子どもの治療が中断せずに済んだことに関しては、AさんとともにB,子ども担当者に心より感謝している。再会と別れ 学校でも問題なく話ができるまで成長したBは自らの意思で治療を終える決断をした。治療を終えるにあたってAさんと再会し、これまでの面接を振り返ることになった。最終回の面接でAさんは、「自分のことを振り返ることは辛かった。それが必要だとは思うのだけれど、まだちょっと取り組む自信がない。逃げているのかもしれないが、いずれそれを乗り越えたいと思う」と語った。Bとはまだギクシャクすることも多いようであったが、Bの変化についてはとても嬉しそうであった。最後に「私の気持ちです」と可愛らしいイヤリングを私に贈ってくれた。クライエントから贈り物をもらうことについては様々な意見があるところであり、それを取り上げるだけで紙面が埋まってしまうため本論ではその議論を行うことはしない。クライエントはイヤリングに何を託したのか、私に何を伝えたかったのか。もっと耳美人になれ、もっと人の話を聴ける素敵な耳になるように、とのメッセージが込められていると受け取ったのであった。クライエントの話を受容し共感するとは この事例は完全に失敗事例であり、今でもAさんに申し訳なくて心が痛む。来談者中心療法を創始したC.R.ロジャーズ(Rogers, C.R.)に次のような有名なエピソードがある。ロジャーズは子どもの問題で訪れた知的な母親に対して母親面接(母親面接では、通常子どもの問題への理解を深め、母親としてどのように子どもに対応するかということが扱われる)を行っていたが、それに失敗する。その直後にその母親から個人面接を希望され面接を再開。母親は悲惨な結婚生活や夫への不満を話し始め、真の面接が開始される。母親が真実に開かれていくと子どもの問題行動も消失していったのであった。この体験によりロジャーズは、面接の方向性を決めるのはクライエント自身であり、クライエントの意思を絶対的に尊重するという、彼の生涯の方向性を決定していくことになった。ロジャーズの言うように、目の前にいるその人こそがクライエン
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