GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介教員の研究紹介34国際人間学研究科 心理学専攻 准教授川上 文人(KAWAKAMI Fumito)東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了。博士(学術)。専門は発達心理学、比較認知発達科学。ヒト、チンパンジー、ニホンザルを対象に、おもに笑顔の進化と発達について研究をおこなっている。近著に『対人関係の発達心理学 子どもたちの世界に近づく、とらえる』(2019年、新曜社、共著)がある。笑顔を集めるフィールドワーク人間の子どもたちの笑顔をみてみる 私は、学部時代は成人の視覚的な短期記憶にかんする実験的な研究をしていた(川上・伊東, 2020)。大学院に入り、子どもが、自分自身が楽しいと感じる場面以外でも笑顔をみせるのはいつごろからかを探りたいと思った。しかし私には、普段の子どものようすについてすら、ほとんど理解がなかった。そのため、まずは保育園に通わせていただいて、子どものようすを観察するという訓練期間が必要であった。週に2回ほど朝から夕方まで、日によって0歳児クラスから5歳児クラスまで、入らせていただいた。毎回、子どもごとにその日にあったエピソードや私の感想をメモにまとめていた。その作業は日をまたぐこともあり、あまりに大変だったため訪問回数を減らそうかと思ったほどだ。それに半年ほどを費やしていた。 笑顔は基本的にはポジティブな感情と結びつくもので、そのような笑顔は生まれて2、3か月で多くみられるようになってくる。ごまかし笑いや嘲笑のように、ポジティブ感情以外の感情が込められた笑顔では、多くの場合、他者の存在が重要となってくる。0歳台の乳児の場合、ひとりで行動するか、他者とのかかわりがあったとしても、それはおとなや、少し年長の子どもといった対等とはいえない関係性のものが多い。さまざまな場面で笑顔を使うようになるのは、近い年齢の他者との対等なかかわりが増えてくる1、2歳児と考え、観察してみた。 今度は保育園の1、2歳児がいるクラスにビデオカメラを持ち込み、保育士による一斉の取り組みがおこなわれていない、彼らがある程度笑顔の研究って? 「みなさんは昨日、どんなときに笑いましたか?」 多くのかたは、楽しかったことやおかしかったことを思い浮かべようとするのではないだろうか。現在生後9か月の娘は、朝に「おはよう」と声をかけただけで笑顔を返してくれる。こちらはそれをみただけで笑顔になってしまう。私が子どもの笑顔の研究を学会で発表していると、その内容を聞く前によく聞かれるのは、「子どもがおもしろいと思うものは何ですか?」ということである。その問いには「それがわかる研究ではないんです」と答えている。私の研究は冒頭の問いのとおり、「私たちはどのようなときに笑顔をみせるのか、それに人間の特殊性はあるのか」というものだ。 「おもしろいと思うものは何か」と「どのようなときに笑うのか」は同じようなものではないかと指摘をうけそうだが、その2つの問いはズレている。前者は何をおもしろい、おかしいと思うのかというユーモアの研究で、そこに笑顔が生じるとは限らない。実際に、世界一おもしろいジョークを検索してみてほしい。おそらくあなたは笑わないだろう。ユーモアの研究は、おもしろおかしいという感情や、それを引き起こすことばや動作の使い方にかんする研究といえる。一方、「どのようなときに笑うのか」というのは、笑顔が生じた前後の状況を調べる研究で、必ず笑顔が生じなければならない。逆にいえば笑顔さえ生じていればよく、それにともなう感情は何であってもかまわない。たとえば、私自身が笑顔の研究をはじめるきっかけとなったのは、ニホンザルの赤ちゃんが寝ているときに笑顔をみせる現象の発見であった(Kawakami et al., 2017)。しかし、その笑顔をみせたニホンザルはどのような感情だったのか、そもそも感情をともなっていたのかすら、よくわかっていない。眠っていたので何もみていないし、ニホンザルの赤ちゃんに原因を聞くこともできない。このようにユーモアと笑顔の研究は一部重なるが、決して同じものではない。しかしそれらが同じものと思われがちなのは、ユーモアには笑顔がともなう、笑顔はおもしろいときに生じる、というありがちな印象に多くのひとが引きずられているからであろう。「よくあること」や常識を疑うところから心理学の研究はスタートすることが多い。 常識としては、私たちが笑うのは楽しいときやおかしいときなど、ポジティブな場面であろう。しかし、それだけではないことも、私たちはよく知っている。苦笑いやごまかし笑いをみせるとき、楽しさやおかしさはあまり感じられないだろう。以前友人を自宅に招いた際、彼らの1歳台の娘は知らない場所、初めて会うおとなたちに困惑しつつも、声をかけられて笑顔をみせていた。おそらく彼女は、「困ったなぁ。でもこの人たちは私の父か母の友だちなんだろうなぁ」というような認識から、楽しいわけでもうれしいわけでもないのに、社交的に笑ったのではないだろうか。もしそのように子どもが状況を把握して、自らが感じている気持ちとは異なる表情を他者にみせていたとしたら、それはかなり高い知性の表れといえるのではないだろうか。私たちはいつごろから、そのように笑顔を他者に対するシグナルとして「使う」ようになるのか。笑顔の場面を集めるフィールドワークに出てみよう。

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