GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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2025Vol.252025 Vol.252025Vol.2535わかってきたこと 多くの笑顔を保育園、動物園といったフィールドで集めてわかってきたのは、さまざまな状況で笑顔をみせたり、笑い合ったりするのは2歳くらいからはじまり、それは人間だけの特徴かもしれないということである。人間とチンパンジー、ほかにも少しだけオランウータンやニホンザルをみてきて感じたのは、人間ほど笑う動物もいないということだ。 私たちはなぜ笑うのかというと、ポジティブ感情の表れである場合もあるが、他者に対するシグナルとしてそれを使っている場合もある。もちろん攻撃的な笑顔の場合もあるが、どちらかというと状況をポジティブなほうに向けようという狙いがある場合が多いと思われる。ひとを安心させる、友好の意図を示す、協力を引き出すといった使われ方である。たとえばチンパンジーも、グルーミングをすることで友好関係を築いたりする。グルーミングの場合、両手を使うことが多く、基本的に一対一でしかできない。それに比べて笑顔は、唇の端を少し上げるだけで多くのひとにそれをみせることができて、お手軽である。もしかしたら人間特有の笑顔の使い方が、私たちの社会を大きくするのに影響したのかもしれない。「どんなときに笑ったか」を考えてみるだけでも、たくさんの発見や不思議に出会えるのではないだろうか。引用文献川上文人・伊東裕司(2020).チェンジブラインドネスにおける表象の状態 哲学、144, 67―94.Kawakami, F., & Tokosumi, A.(2011).Life in affective reality: Identification and classification of smiling in early childhood. Proceedings of the 14th International Conference on Human-Computer Interaction, USA, Lecture Notes in Computer Science Volume 6766, 460―469.Kawakami, F., Tomonaga, M., & Suzuki, J.(2017).The first smile: spontaneous smiles in newborn Japanese macaques(Macaca fuscata). Primates, 58, 93―101.自由に遊べる時間を撮影させてもらった。1名につき連続30分間程度、一定の距離から子どもを追い続けた(Kawakami & Tokosumi, 2011)。 撮影したビデオで笑顔がみられた場面を見つけ出し、その場面にみられた言動をチェックし、笑顔を11種類に分類した。そのなかで2歳児が1歳児よりも多くみせたのは、「同調笑い」と「行為失敗笑い」であった。同調笑いは、子どもがその周囲にいた他者をみながら笑い、その他者も笑っていた場合の笑顔である。行為失敗笑いは、子どもとその周囲にいた他者が一緒につくっていたものが壊れたり、ものを落としたり、自分または他者が転んだり、自分の失敗を他者に言語報告した場合の笑顔である。 この結果からいえることは2点ある。1つは、子どもたちは2歳くらいになると、他者と笑い合うことが増えるということである。笑顔をつうじて、他者と感情や物事への注意を共有しているのかもしれない(図1参照)。もう1つは、2歳くらいになると、失敗のようなポジティブとはいえない場面でも笑顔をみせるようになるということである。この笑顔が感情の偽りや隠匿を意味しているとまではいえないが、さまざまな状況で笑顔をみせはじめるのはこの時期であるということがわかった。2歳というのは、他者関係が広がりはじめ、言語の使用能力も発達してくる時期である。図1.笑い合う4歳児と1歳児 このように私たちは他者と笑い合い、ポジティブな状況に限らずさまざまな場面で笑顔をみせる。それは2歳くらいからはじまるようである。ではこれは人間の特徴なのだろうか。日本人の特徴を知るためには、ほかの文化で過ごすひとと比較する必要がある。人間の特徴を探るためにはほかの動物と比較する必要があり、それは進化的に人間に一番近い動物をみるのが一番である。チンパンジーの笑顔の場面を集めるため、動物園や研究施設でフィールドワークをおこなった。チンパンジーの笑顔をみてみる 人間以外の動物がどのように行動するのかといったことにかんして、私には知識がほとんどなかった。大学院を修了し、京都大学霊長類研究所(現ヒト行動進化研究センター、以下霊長研とする)で研究員として活動することとなったため、まずは研究所のチンパンジーをひたすら観察することからはじめた。それ以降、私はいくつかの施設でチンパンジーを観察させていただく機会を得たが、毎回苦労するのはチンパンジーの名前を覚えることであった。私が観察させていただいた施設は広い運動場に木々が植えられたり、高いタワーが建てられていたりする場合が多く(飼育環境をその動物の野生環境に近づける環境エンリッチメントという視点から、非常に優れた施設といえる)、みえても身体の一部であるようなこともあった。保育園の子どものように近づくこともできず、名前を教えてくれる保育士のような存在も近くにいないことが多いので、チンパンジーの個体識別だけに数日かかることもあった。 霊長研の13個体、高知県立のいち動物公園にくらす9個体、日本モンキーセンターにくらす3個体のチンパンジーを対象に、1個体につき10分程度のビデオ撮影を繰り返した。そこからどのような場面で笑顔が生じたかを分析すると、単独、または複数の個体間での遊びと、「高い高い」行動(図2参照)においてのみ、笑顔がみられることがわかった。野生ではなく飼育下の、限られた個体数のチンパンジーを対象とした観察で、観察時間にも限りがあるため、いえることには限界がある。とはいえこの観察の範囲内では、チンパンジーはおそらく自分が楽しいと感じているようなポジティブな状況でのみ笑顔をみせるという結果であった。 チンパンジーの遊びは動きが激しい場合が多く、お互いの見つめ合いについては判断できないことが多い。高い高いは比較的穏やかな対面場面であり、そこに笑顔がみられたのは幸運であった。人間の子どもにみられた笑い合いがあるのか、探りやすい状況であるためである。分析した32回の高い高いはすべて母子間でおこなわれ、そのうち笑顔がみられたのは6回で、すべて子どもによるものであった。つまりチンパンジーの母親は、子どもの笑顔を目の前でみても笑わなかったのである。図2.チンパンジーの「高い高い」
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