GLOCAL 2025 Vol.25(Special edition)
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2025 Vol.252025 Vol.252025 Vol.2543年に活動していた刃物工は29名しか登場しない。15世紀だけで58名分の刃物工の遺言書が現存しているにもかかわらず、である。データベース上の情報はあくまで全体の(ほんの)一部であり、データベースの検索で研究を終えてはならない、という点は常に意識しておくべきだろう。 データベースは完成がゴールではなく、利用されて初めて意味を持つ。多くの研究者があらゆる努力の末に作り上げたデータベースを、また別の研究者がその有益性と限界の両方を十分に認識したうえで活用することで、過去の世界のさらなる解明を期待できる。3つのデータベースのほかにも、1369年から1453年までの主にフランスとの戦いに従軍したイングランド軍の兵士に関するデータベース、1093年から1371年までのスコットランドの人びとに関するデータベース、中世パリの女性とその居住地に関するデータベースなど、中世の個人に焦点をあてたデータベースは多くあり、今後も大学や研究所、文書館などを中心に多様なデータベースが作成されていくだろう。データベースを適切に活用することで、中世を生きたひとりひとりの視点から、中世世界の解明に貢献できるのではないだろうか。参考・引用文献(データベースは2024年9月6日最終アクセス)England’s Immigrants 1330―1550, Resident Aliens in the Late Middle Ages, https://www.englandsimmigrants.com/Medieval Londoners, https://medievallondoners.ace.fordham.edu/The People of 1381, https://1381.online/The Soldier in Later Medieval England, https://www.medievalsoldier.org/People of Medieval Scotland 1093―1371, https://poms.ac.uk/Mapping the Medieval Woman, https://mappingthemedievalwoman.com/W. M. Ormrod, B. Lambert and J. Mackman, Immigrant England, 1300―1550(Manchester, 2019)M. Kowaleski, “A New Digital Prosopography: The Medieval Londoners Database”, Medieval People 36(2021), p. 311―332佐々井真知「刃物工ロバート・パイクメアが生きた15世紀ロンドン社会」、『アリーナ』18(2015年)、p. 362―366佐々井真知「15世紀ロンドンの『外国人』金細工師―3名の『外国人』の活動と金細工師ギルドー」、『中部大学人文学部研究論集』48(2022年)、p. 59―85びとの情報をまとめたデータベースである。イギリスのレディング大学が中心となって作成し、2019年に公開された。対象は農民反乱に「関与した人びと」であり、反乱を起こしたことで訴えられた人びとに加え、被害を受けた人びと、反乱に関する裁判に関わった法律家などもカバーし、その合計は2万人以上とのことである。中央政府および各地の自治体の史料、裁判関連文書、人頭税課税記録などの複数の史料から、これらの人びとの情報がまとめられている。 特筆すべき点は、関連する史料がSource(史料)、People(人物)、Incident(できごと)の3つに分類されてそれぞれでデータ化されている点である。Sourceのページでは、反乱に関する史料がその所蔵場所(文書館・図書館など)ごとにリストアップされており、史料番号を単位としてその史料の概要と史料の英訳が掲載されている。さらに、その史料に登場する人物の一覧が付されており、そこからそれぞれの人物のページに移動することができる。Peopleのページでは、ひとりひとりにつき、彼/彼女が登場する複数の史料が示され、わかる場合は職業や居住地などの詳細がまとめられている。Incidentのページは、史料番号単位ではなくひとつひとつのできごとを単位としてまとめたものである(たとえば、1つの史料番号を付された裁判関連文書に複数のできごとが列挙されている場合があるため)。いずれのページでも、史料の概要だけでなく、史料すべての英訳と場合によっては原語(ラテン語)が記されている。さらに、史料の写真が添付されていることもある。すなわち、史料によっては、パソコンの前に居ながらにして手書き史料を目にし、それを活字化したものと英訳したものを見ることができるのである。史料からの情報を余すことなく分類し、複数の視点からの検索を可能にしているという点、また、何よりも農民反乱をそれに関与した人びと―女性や使用人も含む広範な人びと―の視点から捉えなおすことに貢献するという点で、有用性の高いデータベースではないだろうか。データベースの利用について 紹介した3つのデータベースは、様々な点で活用する価値があるだろう。しかし同時に、特に個人に焦点をあてた研究で利用する際には、留意しておくべき点もある。 第一に、3つのデータベースとも、現存する史料のすべてを網羅しているわけではない、という点である。とくに「外国人」とロンドナーについて、データの根拠となる史料は少なくとも現時点では限定されている。実際に、筆者が3名の「外国人」金細工師について論じた際に史料から収集した情報の一部は、いずれのデータベースにも掲載されていない(佐々井、2022)。それゆえこれらのデータベースは役に立たないと言いたいのではない。それぞれのデータベースが取り込んでいる一次史料(刊行史料も含む)や先行研究を理解したうえで使用するという、利用者側の意識の重要性を強調したいのである。しかし反対に、利用者が見いだせなかった情報をデータベースが教えてくれることもあることを考えれば、データベースも史料目録や先行研究と並ぶ一つの情報源として活用可能だと考えればいいのではないだろうか。ただし、データベースで得た情報をその根拠すなわち一次史料にさかのぼって確認するという作業は必要である。 第二に、そもそもデータベースから抜け落ちている個人がいる、ということである。言うまでもないが、中世イングランドや中世ロンドンに関して現存する史料のすべてをくまなく調査し、登場するすべてのロンドナーなり「外国人」なり農民反乱に関与した人びとなりのデータをとる、というのは膨大な時間と手間と費用が掛かり、現状では不可能に近い。つまり、データベースがカバーしきれていないだけで、実際には史料上に登場する個人はデータベースに登録された個人の何倍もいる、ということである。筆者はこれまで個人を取り上げてその生涯から社会を読み解くことを何度か試みてきたが、取り上げたうちの一人、刃物工のRobert Pykmereのデータは“Medieval Londoners”にはない(佐々井、2015)。それどころか、「刃物工(cutler)」でこのデータベースを検索すると、1100年から1520
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