GLOCAL2026 Vol27
5/16

よるものだと描く。一年後の「大つこもり」者そはかなき階級を作りて貴賤といふように記している。では、下女として働き、伯父一家のために借娼婦に誠あり娘の嫁入は恰も雷鍛を買うが如し。中る金をしようとする少女お奎を描く。奉公先の主(残簡その二明治27年秋)も中らざるも運は天に在り。否な、夫の心人の気まぐれで、約束していた借金を断られ、下屑に暮らす人々に共感した一葉の思いが窺次第にて、極楽もあり地獄もあり、苦楽喜追い詰められたお峯はお金を盗むに至る。だえよう。田岡嶺雲は、「下流の細民と文士」に憂I合も男子手中の玩弄物と言うも可なり。が、彼女もその性情に問題があって罪を犯しおいて次のように訴えている。女性にとって結婚は「人生のゴール」であり「夫たわけではない。その境遇ゆえなのである。天下最も其運命の悲惨にして、其生涯のの心次第」なのである。一葉の描く妻たちは、このように、主人公の貧困という逆境に起最も憫むべきものは彼の下流社会の徒に結婚生活を続けるために自らの人生を犠牲に因する苦悩を描こうとした点は後の名作に継あらすや。而して此悲滲の運命を歌ひ、すべきなのかどうかを問いかけていよう。「三承される。明治28年を中心に発表された名この憫むべきの生涯を描く登に詩人文士従の道」を説く修身の教えに反しても、自己作群では、和歌の伝統的表現を活かしつつ、の事にあらざらむや。(中略)作家たるもに忠実に、自分らしく生きることを選択してい貧者の「真情」がつぎつぎと描かれていく。の満腔の同情を彼等悲惨の運命の上に注いのではないか。ぎ、渾身の熱血を其腕下の筆に濡ぎて、一葉は、「にこりえjのお力に次のように語「たけくらべ」の舞台大鳥神社酉の市「たけくらべ」では、すでに吉原に身売りされている美登利を始め、将来に展望のない、貧困層の子どもたちが描かれる。「にこりえJの主人公お力は、酌婦(売春婦)として身を売る暮らしである。「わかれ道」のお京は、針仕事で一人暮らしに耐えていたが、伯父のために妾奉公することを決意する。一葉はそんな彼女たちの苦悩を描いた。なかでも「にごりえ」は、明治28年9月「文芸倶楽部」に掲載されると高い評価を得た。たとえば内田魯庵は次のように絶賛した。「にごり江」の作者は此売淫婦に対して無屋の同情を運ぶを惜まざりしー事にて既に既に少からぬ感歎を受くるに足るべし。(中略)十分なる讃賞を払ふの価値あるべしと信す。斯くの如きヒコーマニチイに冨める作家は今の男性作家中にも多くを求むるを得ざるなり。(「ー葉女史の「にこり江」」「国民之友」明治28年10月)お力は、「私だとて人間でこざんす」と言い、「行かれる物なら此ま>に唐天竺の果までも行つて仕舞たい、あ)嫌だ嫌だ嫌だ、(中略)つまらぬ、彼等憫むべきの生涯を描き、彼等不告の民の為めに痛哭し、大息し、彼等に代りて何ぞ奮て天下に恕ふるを為さゞる。(「青年文」明治28年9月)ー葉は、まさに田岡嶺雲が「詩人文士」に向けて呼びかけたことを成し遂げているのである。4.女性の生き方を見つめるー葉自身は未婚だったが、既婚女性を主人公とする作品もいくつか残している。明治28年に「軒もる月」、「十三夜」、翌年には「この子」、「裏紫J(未完)を発表し、5月の一葉最後の小説「われから」がある。これらには、女性の結婚生活を厭う苦悩、生きづらさが描かれている。「軒もる月」、「十三夜」、「裏紫」の主人公は、相思相愛の男性がいたが、別の男性と定められた結婚をした。「軒もる月」は恋心を封じて夫との生活を選ぶ女性の葛藤を描く。「十三夜Jでは、かつての恋人に再会しても家族のために離婚を諦める女性が描かれる。「裏紫Jの主人公は大胆にも夫を欺き、後ろめたさはあっても自らの愛を貫こうと恋人との密会を続ける。にの子」と「われから」の主人公は夫との心の隔たりを感じて苦しむ。「この子」では、妻は打ち解けてくれないと夫を恨み、冷たい態度を取る。「われから」では、孤独な結婚生活に苦しむ女性たちが描かれる。お美尾は平凡な夫との質素な暮らしに満足できす一人苦しむ。結局、美貌を武器に華やかな生活を手に入れるべく、夫と子どもを捨てて出奔した。捨てられた子のお町は、富は手にしていても夫に愛されない。心細く不安で寂しい彼くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い女は書生に近づき、不義があったとして夫から中に、何時まで私は止められて居るのかしら、別居を言い渡される。これが一生か、一生がこれか、あ湿嫌だ娘だ」女性は、自らの意志とは無関係に結婚させと自らの人生に苦しむ。られ、苦悩し、耐えることを強いられている。ー葉は、娼婦について次のように書き残し一葉は、この問題を鋭く捉え、ただ夫に従うている。これも人也(中略)天地は私なし万物おのおの所に随ひておひ立ちぬへきを何のではない、人間らしく生きたいという女性の思いを訴えようとしたのではないか。裡澤諭吉は「新女大学」(明治32年)において次のらせている。数の中には真にうけて此様な厄種を女房にと言うて下さる方もある、持たれたら嬉しいか、添うたら本望か、夫れが私は分りませぬ、そもそもの最初から私は貴君が好きで好きで、一日お目にか芝らねば恋しいほどなれど、奥様にと言ふて下されたら何うでござんしよか、持たれるは嫌なりお力は、好意を持つていても結婚はしたくないという。これは、のちに、平塚らいてうが「婦人は果して結婚すべきものか」「今日の結婚という観念、ならびに現行の結婚制度には全然服することができないのでございます。」(「世の婦人たちに」「青鞘」第三巻四号大正2年)と述べたことを連想させる。だが、ゆえにらいてうは非難、攻撃され、椰楡、中傷を浴びせられた。「青鞘」は家族制度を破壊し風俗を壊乱するといった理由で発売禁止や注意処分の処置を受けた。実は、一葉も、こうした反応が予想されるようなことを考えていたのかもしれない。もしかすると、それを横山源之助は「ホノメキ候もの」として聞き取り、時期尚早であると心配したのではないか。5.おわりにー葉は、貧者や女性という社会的弱者の苦悩に共感し、小説にその「真情」を描くことによって理不尽な社会のありようを告発し、変革につなげようとした。近年、一葉文学におけるジェンダーの問題は改めて注目されているが、「青鞘」の活動につながる側面や底に流れる貧困の閥題の角度からも、また捉え直したいものである。樋ロ一葉終福の地文京区西片(旧本郷丸山涸山町)Chubu Unive「sityGraduate School of Global日umonicsI 3

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る