中部大学教育研究25
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集は必要である。また、受持ち事例について立案した看護計画は事前に同行する看護師に伝え実践可能か判断し指導を受ける必要がある。しかし、情報収集を苦手とする学生は多く(千田ら,2011)、同行訪問前に分厚い紙カルテや見慣れない電子カルテから全訪問事例の情報を得ることは学生にとって難しい。また、積極的にコミュニケーションをとることに課題を持つ学生(中本ら,2015)にとって、訪問前の限られた時間でミーティングや訪問に必要な物品の準備に忙しい看護師に看護計画の相談をすることが困難であることも想像に難くない。基礎看護実習・成人看護実習(中本,2015)や母性看護実習(中島ら,2014)でも同様でありどの実習でも共通した思いであることが伺える。しかし、在宅看護の実習では、助言を得たい看護師が、一旦訪問に出てしまうと訪問から戻るまで会えないため、助言を得るタイミングは事前にスケジュールしておく必要がある。この点は在宅看護実習に特有の課題であると考えられる。そのため、情報収集や看護師から助言を得るための時間を大学と臨床現場とで調整することが必要になる。また、看護師がパソコンを使用する時間と重ならない時間で情報収集ができるよう電子カルテを閲覧するタイミングに関する協議も必要となる。【看護師による対象者の解釈に対するズレへの当惑】は、同行する看護師が毎回同じとは限らないため、受けた助言が異なる体験から生じた戸惑いであると考える。中本ら(2015)や山下ら(2018)による学生の困難感では教員と指導者とのアドバイスの違いへの戸惑いはあったが、看護師間の違いに関する困難は見られなかった。しかし、三宅ら(2018)の在宅看護論臨地実習における学生の困りごとには、指導者間で答えが異なることによる混乱があり、在宅看護論臨地実習特有の困り事であったと述べており、本学の実習でも同様であった。しかし、本研究では、「前の看護師はこうだと言ってやっていたけど、今回の看護師は違うのかと戸惑った」と戸惑いを感じた一方、「同行する看護師による援助の方法や使う道具の細かい違いを教えてくれ、どちらの方法も納得でき、いろんな方法を見れてよかった」という語りもあり、複数の看護師に同行できることで、【複数事例や看護師毎の多様な看護実践を学べた充実感】という肯定的な思いも持っていたことが明らかになっている。複数の看護師に同行することで抱く【看護師による対象者の解釈に対するズレへの当惑】と【複数事例や看護師毎の多様な看護実践を学べた充実感】という思いは表裏であると考えられる。<同行する看護師毎の多様な援助方法を学べて良かった>のように違いとともに看護実践の根拠を理解できれば学生の思いは戸惑いから充実感に変わることが示唆された。そのため、教員は、学生が見学した看護実践について疑問を感じている際には、同行した看護師への確認を促していくことが重要と言える。【看護師が行うケアへの違和感に対する藤】では、安楽と思えないケア、不適切と感じた発言、不十分な感染対策などについて違和感があったという語りがあった。これは、牛久保ら(2012)の研究で報告された、感染予防上良くないと思っていたが言い出せなかった戸惑い、オムツ交換の負担を軽減するために尿取りパッドを複数枚あてていることへの違和感や、三宅ら(2018)の研究で示された、病院とは異なる感染対策への不安などと共通している。しかし、在宅看護以外の臨地実習を対象とした研究では看護師が行うケアへの違和感は見られないことから、在宅看護の臨地実習特有の思いであると考えられる。今回のFGIで得られた学生の語りの内容は、原則通りに感染予防をしたくても家庭の経済状況や本人家族の気持ち等の事情に配慮し実施できない状況があること(柄澤,2017)や、感染対策以外にも、必要なケアや適切なケアができないことや自己の知識不足により不適切な対応をしてしまうことへの悩みや倫理的な課題を抱えている訪問看護の実態(中島,2025)と重なるところがあり、訪問看護の課題に繋がる重要で大事にしたい感情であると考える。しかし、場合によっては看護師を非難していると捉えられる恐れのある違和感を誤解なく表現することは学生にとっては難しく、実習中は言語化されにくい思いであるとも考える。そのため、学生がこのような違和感や藤を抱いているならば、その時の状況と学生の感情を整理しながら学生が納得し看護への関心につながるようなサポートの必要性が示唆された。【既習の方法と異なる自宅で行う看護実践の難しさ】では、学生は既習のスタンダードな方法をイメージしていたところ、実際は療養者本人・家族の暮らしに配慮し看護師主導ではない各家庭に応じアレンジした方法であり、<家をあさる訳にはいかず何を食べているかの情報収集が難しい>、<家の物品を使って行うケアの方法が学校で習った方法と違い難しい>など、自宅という場での看護実践への戸惑いであると考える。療養者・家族が主体であることは在宅看護の主要概念である(臺,2024)ため、この戸惑いを自覚することが重要な気づきであり学びにつながると考える。学生は<訪問宅で初めて看護師の実施を見た後に真似をして実施するのは難しい>と、真似をすることも難しいと語ったが、上手くいかないが故に立ち止まって考えるため、気づきが得られるきっかけになる感情であり学びへのきかっけを掴んだと解釈できると考える。【主体的に看護実践へ参加することへの躊躇】と【看護ケアの実施制限による学修の不全感】は看護技中部大学教育研究No.25(2025)―14―
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