中部大学教育研究23
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めている(UnitedNations,2022)。この課題に関して、日本では議論が重ねられている過程にあるが、障害の「社会モデル(人権モデル)」に立脚している障害者権利条約の考え方からのこの指摘は、日本の社会・教育構造の支配的価値を揺るがすものであり、自明視されてきた「医学モデル(個人モデル)」からの脱構築は安易ではない。しかし、今後、保育・教育領域で追究していくべき課題であり、筆者らは、保育士・教員養成課程の教育においても、学生の課題意識を醸成していくことが必要と考え、この課題に着眼した。日本の特別支援教育の背景には、障害のある子供の就学猶予・免除や、障害種と程度によって就学先が決められていた学校制度の歴史がある(栗田,2015)。2007年に特殊教育から特別支援教育に名前が変わっても、障害のある児童生徒は特別な場で特別な処遇を受けることが望ましいとされ、障害者権利条約の批准後も、別学体制を解体する動きはないまま、特別支援教育をおおむね正当化される形での「日本型インクルーシブ教育」が指向されてきた(堀家,2018)。野口(2020)は、先行研究から「インクルーシブ教育」が、各国・地域の実情に応じて方向性も方法も多岐である現状を踏まえた、日本の条件にかなう日本らしいものとして構築してきた、特別支援教育を含む教育(連続した学びの場)を「日本型インクルーシブ教育」とし、特別支援教育を通常学校で包摂する教育を「フル・インクルーシブ教育」として、前者の課題や後者の実現の困難性、その克服に向かうための論を展開している。文部科学省「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」(2012)で「特別支援教育」とは、「障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取り組みを支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うもの」とされる。ここでは、総合的な観点からの就学支援、合理的配慮およびその基礎となる環境整備、通常学校の通常学級、通常学校の特別支援学級及び通級、特別支援学校といった多様な学びの場の準備、特別支援教育充実のための専門性強化などについて提言されている。すなわち、現行の特別支援教育は、生活や学習上の困難さを改善又は克服することを目的にした、教育的ニーズの把握に基づく指導・支援であり、障害者権利条約が目指す、人権及び基本的自由の平等な享有や固有の尊厳の尊重の促進とは目的が異なる。国連の指摘にある通り、日本の障害関連制度や教育制度の背景には、障害の「医学モデル」の「障害」観が支配的であるが、「障害」は、「社会モデル」の他にも、実存的次元、文化的次元などからも捉えられる。時間軸や状況によっても、自他・社会の価値の次元や実存的次元でも変化する、発展する概念である。その中でWHO(世界保健機関)は、専門家間の共通言語として「ICF(国際生活機能分類)」を示した。これは、「疾病の結果(帰結)」の分類であったICIDH(国際障害分類)からの改訂版として、健康状況と関連状況を記述する統一的で標準的な言語と概念的枠組として、「健康の構成要素」の分類である(障害者福祉研究会,2002)。特別支援学校教育要領・学習指導要領解説自立活動編の「障害の捉え方と自立活動」の項においてもICFの障害観が挙げられている(文部科学省,2018)。保育士・教員を目指す学生が、障害のある子供の支援に向けて、共通言語としてのICFの考え方を理解しておく必要はあるが、障害者権利条約が目指す共生社会の実現に向けては「日本型インクルーシブ教育」の課題を認識しておく必要性も高く、その理解には、「社会モデル」の理解が不可欠となる。したがって、次節において、「障害」観の視点から、本稿で着眼した「日本型インクルーシブ教育」の課題を明らかにしておく。1.2「障害」観と「日本型インクルーシブ教育」の課題障害者権利条約は、障害者を治療や保護の「客体」ではなく人権の「主体」として捉える障害者観に基づいており(川島・東,2012)、ICFとは目的も「障害」観も異なる。しかし、ICFは、条約が目的とする障害者の平等な社会参加の実現に向けて、多様な視点と中立性の両者を提供しているともされる。障害者権利条約での障害者は、専門家の「支援の対象」「保護される人」等ではなく、障害のある人が、基本的人権を享有する主体的な存在として、障害のない人と同等にあらゆる場面に参加する権利(権利において「平等」)があるとの考え方が根幹にある。したがって、「社会モデル」では、「障害のある人のことを考慮せずに形成され営まれている社会システム全体が「障害(社会的不利)」を作っている」、「多数派に便利なように作られた社会に障害(社会的障壁)がある」と考えられ、社会全体の共同責任が認識される。ここで「社会的障壁」とは、「障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう(障害者基本法・障害者差別解消法)」。そして「合理的配慮」は、「社会的障壁」を「除去」する手段としての「変更・調整」であり、「支援の対象」である中部大学教育研究No.23(2023)―40―

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