中部大学教育研究23
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少数派を多数派へ適応できるようにするための支援ではない。川島(2013)は、英国社会モデルでの「障害:disability」では社会障壁と障壁を原因に生じた不利を意味し、米国社会モデルではimpairment(機能障害)と社会障壁との相互作用で生まれる不利を「障害」とするが、いずれも生物医学的次元ではなく社会政治的次元に関する問題が重視されるとしている。そして、impairmentが社会的構成物であるとの理解を前提に、当事者の不利:disabilityをいかに削減できるかとの観点から「障害:impairment」を法的に定義する方途が探られるべきとしている。一方、ICFは、「生きること」のプラス面と要素間の相互作用が重視され、「障害:disability」は生活機能(心身機能・活動・参加)の否定的側面、すなわち「機能障害(構造障害を含む、以下同じ):impairment」「活動制限:activitylimitations」「参加制約:participationrestrictions」の包括用語とされる。ICFにおける「障害」は、人と物的・社会的環境との相互関係の結果生じる多次元の現象で、健康状況や機能障害の結果であると同程度に環境上の阻害因子の結果として生じるとの考えに基づき、疾病については中立的な立場をとり、権利擁護と社会変化への貢献が図られる。また、個人は単に機能障害、活動制限、参加制約だけに還元されたり特徴づけられたりしてはならないことが強調され、人を健康状態や障害を意味する用語で呼ぶことを避け、中立的な言葉が一貫して用いられる(例:「知的障害者」→「学習活動制限のある人」)(障害者福祉研究会,2002)。日本では、2011年の障害者基本法の改正において、ICFの障害観や障害者権利条約の考え方が考慮された障害者の定義に改訂された。発達障害者支援法改正(2016年)時には「発達障害者」の定義に「社会的障壁」が追加され、障害者差別解消法施行(2016年)等、「社会モデル」の普及が徐々に図られた。しかし、諸制度活用の根拠の多くに診断書が活用され、疾患や機能障害の種類や程度でサービスが決められたり、発達障害者支援において認知機能評価が重視されたりする現状などから、日本では、依然「障害」は「医学モデル」が支配的と思われる。佐藤(2023)は、障害の社会モデルというタームは、福祉行政の担当者や障害をもつ当事者、支援機関の関係者など、障害者に関わる人々の中の、そのまたごく限られた範囲において、(時に曲解や誤解を含みながら、曖昧かつ恣意的に)理解されただけのように思われるとしている。合理的配慮の法制化以降、専門家による機能障害のアセスメントを経て必要な配慮が決定される組織的取り組みが、医学モデルへ逆行させていることも課題視されている(星加,2018)。「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」では、就学先決定に当たって踏まえるべき点として、「障害の状態、本人の教育的ニーズ」が置かれている。これに関して堀(2018)は、「教育学、医学、心理学等専門的見地からの意見」が列挙されている点から、能力主義と専門家主導の医学モデルが強化されたもので、現行のシステムは、「可能な限り普通学級での教育を保障する」という共生原理が欠落していること、障害と「特別な教育的ニーズ」を基準に階層化された分離教育システムであるとしている。国連は、日本のこうした現状を課題視し、人権の次元から「障害」を捉え直すことを求めているのである。野口(2020)によると、ICFでは、Sen,Amartyaの潜在能力(ケイパビリティ:人がなし得る可能性、ありえる状態の機会の可能性)の開発を重視する思想(Sen,1992)に基づかれている。さらに、野口は、ICFやSenとNussbaumの理論を整理し、ICFは、障害者のエンパワーメント、自主性、ケイパビリティ・アプローチのエイジェンシー(主体性)のような要素の含意は薄いこと、フル・インクルーシブ教育が実現されている環境では普遍的な可能性を含意するものの、分離という社会的障壁や抑圧に的確に応答していないことを指摘している。説明の詳細は割愛するが、野口は、特別支援教育に支配的な「発達保障論」が目的化され、新たな序列を生み、幸福の実現を保障する視点に欠けていることを指摘する。そして、「ケイパビリティ・アプローチ」は、個人モデルと社会モデルの二項対立的側面を克服できる、教育的側面から支援の必要な子供への機能と全般的なケイパビリティの達成との視点から具体的な支援や配慮につながる結果指向の理論であるとして、フル・インクルーシブ教育の文脈から捉えると優位性があると述べている。このように、「日本型インクルーシブ教育」の課題に向き合うには、「社会モデル」の理解のみでも十分とは言い難く、「日本型インクルーシブ教育」に至る歴史や、それを支配してきた社会の価値の次元での問い直しが求められる。2研究の方法と目的2.1研究の目的日本の社会、特別支援教育の歴史の背後には、優生思想に基づく能力観・発達観があることは否めないが、それが自明視される中で子供時代を送ってきた学生たちが、これに気づく機会は得難いことや、多様な個性をもつ者が同じ場で共に学び合うという体験に乏しいことが想定される。しかし、未来の共生社会を共創す共生社会の実現に向けた保育士・教員を目指す大学生に求められる学び―41―

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