中部大学教育研究24
59/115
課題演習」の正式開講にむけた準備期間において2021年度から3年間にわたって試験的に開講された授業の一つであった。それぞれの授業は「身体と思考」「芸術と社会」「科学と哲学」などの独自のテーマを有しており、筆者らはテーマに「言語と教育」を設定した。寺井の専門は音声学、国語科教育、加藤の専門は英語教育であり、それぞれの専門性を活かした授業展開を目指したからである。「リベラルアーツ課題演習」は2名の教師によるティーム・ティーチングを採用している点に特徴がある。これによって一人ひとりの学生に対するきめ細かな対応が可能になることは当然であるが、テーマについての自由で積極的な討論が求められる授業の性質上、教室に2人の教師がいることで特定の個人の価値観を押し付けることを防ぎ、物事を多面的に捉えやすくするという利点がある。また、教員同士の率直な議論を学生に見せることで、現代社会の多くの問題には常に唯一の「正解」があるわけでなく、むしろ言葉を丁寧に使いながら問題の本質を明らかにしていく姿勢の大切さを伝えることができると思われる。本授業はこのような枠組みのもと、週1回90分、合計15回の大学の授業日程に基づいて実施された。参加者全員による討論の機会を確保するため、1年目と2年目は20名という定員制限を設けたが、より多くの学生に受講機会を与えるために3年目は定員を40名に拡大した。なお、教育課程の関係で、1年目と3年目は学部2年生以上が受講可能な科目として開講されたが、2年目のみ3年生以上を受講対象とした。本授業の具体的な達成目標は下記の5点であった。基礎的な知識・技能の獲得に加えて、目標の2や4にあるように、自ら問いを設定し、対話をとおして協働的に理解を深めることも目指した。1.「言語と教育」の関わりについての基本的な知識を身につける。2.自分自身の問題意識や好奇心に基づいた適切な問いが立てられるようになる。3.問いを探究するための適切な手法を理解し、効果的に活用できるようになる。4.他者との対話をとおして、問いに対する考えを深めることができる。5.現代に生きる私たちが直面するさまざまな課題について、自分の考えを自分の言葉で表現し、文章でまとめられるようになる。本授業は「問い」を中心に構成した。すなわち受講者には、自分の問題意識や好奇心を言語化し(問いの設定)、その問いについて文献や他者への聞き取りなどをもとに考察を深め(問いの探究)、その過程や成果を他者と共有し議論することで(問いの共有)、新たな気づきを得て再び生まれる問いの探究を始める(問いの連鎖)、という一連の流れを15回の授業の中で経験することが求められた。成績については、授業での発表と議論への参加を20%、ポスター発表を40%、最終レポート(4,000字以内、図表と引用文献を除く)を40%という評価基準で算出した。3過去3年間の授業実践本節では、過去3年間の授業計画を示しながら、それぞれの授業の成果と課題をまとめる。3.1授業1年目(2021年度秋学期)表1に授業1年目(2021年度秋学期)の授業計画を示す。前述のとおり、本授業は問いの設定・探究・共有、そして問いの連鎖という一連の探究サイクルを経験することを主眼に設計された。初回の授業では「4つの限界からの解放」(石井,2020)を中心に据えた本授業におけるリベラルアーツ教育の意味を確認した。2回目の授業では、問いの設定・探究・共有という探究の全体像を学生に体験させるため、実際に「言語と教育」に関する学生自身の問いを出してもらい、個別での調査や思考、まとめの時間を30~40分程度取り、その結果をグループ内で共有する時間を設けた。問いの形式は「なぜ私は~か」に限定した。その結果、学生からは下記のような問いが共有された。・なぜ私は日本語話者なのに日本語について知らないことが多いのか・なぜ私は読書感想文を書いたのか・なぜ私は四字熟語を習っていたのか・なぜ私は英語に対して苦手意識があるのか・なぜ私は敬語を学習したのに使いこなせないのか・なぜ私は国語の物語文が好きなのかどれも「言語と教育」に関する学生自身の経験や素朴な疑問、葛藤に基づいた、ある意味で「素直な問い」であったことが読み取れる。問いの形式を「なぜ私は~か」に限定した理由は、「なぜ」という問いが、たとえば「どのように」や「何」といった問いに比べて、学生がこれまで抱いてきた純粋な疑問を他者と共有する枠組みとして適切だと判断したからであった(Kato,2023)。ある時には自身の興味や関心に基づいて、またある時には過去に経験した怒りや葛藤に基づいて発せられる「なぜ」という問いが契機となり、本授業が目指す「限界からの解放」につなげることが中部大学教育研究No.24(2024)―48―
元のページ
../index.html#59