中部大学教育研究2022
80/89

勢が整い始めた。研究科および国際センターの受け入れ準備も整い、秋学期開始に少し遅れて10月中旬に日本入国予定である。3外国人研究員、世界情勢に翻弄される動物寄生性線虫を分類できる世界でも希少な研究者、キューバ・生態学・系統学研究所のJansMorffeさんを招へいする計画は、2019年より立てていた。それから順調に資金を得て2021年度に招へいする手筈が整ったはいいが、留学生達の状況のようにビザが下りないのではないかと、心配を抱えながら準備を開始した。2021年の夏はオリンピックが開催され、約9万人もの関係者達が世界205か国から入国していた一方で、国内で感染第5波が猛威を振るい、一般の人たちに対しては厳しい出入国禁止令が敷かれるという異常な状況であった。Jansさんの在留資格認定は下りたものの、「感染状況によりビザが発給されないこともある」「在留資格認定証明書の有効期限を通常よりも延長します」との注意書きが添えられていた。やはり在キューバ日本大使館からはビザの発給ができないと言われ続け、計画していた7月入国には間に合いそうになく、為す術もないまま途方に暮れていた。最後の手段とばかりに、「今、この時期に」日本に招へいすることが本人及びわが研究室にどれだけ重大か、ちょっとだけ誇張して領事にレターを書いたところ、まもなくして(8月21日に)ビザが特例で発給された。2016年にJansさんを招へいしたときも同じ状況であったが、キューバの人たちがアメリカやカナダで飛行機を乗り換えるだけでもビザが必要で、しかも申請がとても厄介であると言い、そのような航路は嫌だと頑なに拒否されていた。したがって今回もキューバの方でもビザ不要で来られる「Aeroflot」を希望して旅行会社に相談した。ともあれコロナが蔓延する状況で海外を行き来する旅行者は少なく、ましてキューバとをつなぐ便がほとんど無い状況であった。やっと確保できた航路は「当日になって飛ばなくなる可能性もあります」と旅行会社から言われていた。日本では入国後のPCR検査に加え、2週間の隔離とスマホによる毎日の健康チェック(指定場所でちゃんと隔離生活を送っているか)が厳しく課せられていた。都内の隔離専用ホテルを予約し、羽田空港からホテルまでの特別リムジンバスを予約し、また本人はスマホを持っていなかったのでレンタルスマホを予約し、そしてその間必要な現金を渡すための代行サービスを頼み、コロナ対策費用が研究予算を圧迫した。もし飛行機が予定通り飛ばなければ、予約していた隔離用ホテル等もキャンセルしてまた余計な出費がかさばり、そもそもコロナに感染してしまったら飛行機さえ乗れなくなってしまう…。あらゆる状況に対する心配が連鎖して膨れ上がり、Jansさんも私もメンタルに辛い時間であった。(首都ハバナではなく)バラデロからモスクワ経由で何とか羽田に到着し、東京で2週間のお勤め(ホテル1ルームで缶詰め)を無事に終えて中部国際空港に降り立った。国内線到着ロビーにて5年ぶりに再会できたときは、軽い接触さえも遠慮しながら出迎える他のお客さん達を横目に、男二人が抱き合って喜んだ。日本滞在中、Jansさんにはかつてのような自由な行動は許されず、気ままに会食や旅行もできずに気の毒であった。九州・沖縄調査に同行いただく程度しか遠出することなく、コロナに感染しないよう常に注意を払いながら、淡々と実験室で研究に勤しむ日々が続いた。線虫の微細構造を観察する分類研究はとにかく几帳面さが必要で、その真面目で几帳面すぎる性格が後にメンタルを蝕むことになってしまった。2022年2月24日、ウクライナのYelizavetaさんから動画が送られてきた。自動車や自転車が道路を走るスミィの日常風景に、ロシア軍装甲車の隊列が無遠慮に侵入してくる様子が映し出されていた。ウクライナ北東部に位置するスミィの町はロシアとの国境に近く、侵攻初日に軍の侵入に遭ってしまった。その後しばらくYelizavetaさんと連絡が取れなくなってしまったが、幸い本人は無事であり、今はポーランドに一時避難して研究を続けていることが確認できている。2022年5月28日に日本出国の日程で予約していたJansさんの「Aeroflot」帰国便が、ウクライナ侵攻によりなくなってしまった。最初はあきらめていた航空料金は、航空会社から何とか返金された。とはいえ、コロナの影響がまだまだ続くこの時期に、キューバへビザ無しで帰国できるルートとフライトが果たして確保できるものなのか。アメリカ・カナダ経由で帰国を検討してはどうかと提案しても、本人は嫌だと駄々をこねるばかりである。日本に来る時以上に厳しい状況下で、旅行会社の担当者と相談を繰り返し、Jansさんをなだめながら帰国を検討する日々が2カ月も続いた。4月下旬になったところで、予定よりも数十万円値上がりはしたものの漸くトルコ経由の便を確保した。予定を早めて5月9日に日本出国となり、その後何とか無事帰国することができた。日本入国時以上に出国時の不確定要素が多く、二人とも完全に憔悴しきっていた。今回の招へいで、十分な実験データを取得することができ、また大学院生達とのコラボも進み、暫くはわが研究室メンバーとの共著論文を出し続けることができるだろう。また、この成果を基にJansさんは本国ハバナ大学にて学位を取得できるだろう。何でこんな大変なときにわざわざ招へいしたのかと、特に後半は世界情勢が厳しくなるなかでの海外連携―77―

元のページ  ../index.html#80

このブックを見る