中部大学教育研究2022
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疲弊しきって後悔さえしていたが、なぜか今は苦しかったことをすっかり忘れ、性懲りもなくまた別の海外研究員招へい準備をすすめている。4日本人研究者、海外へ行って帰ってくる2021年はコロナ禍2年目を迎え、オンラインでできることがどんどん増え、輪をかけて忙しくなり皆さんかなり疲弊した年であったと思われる。海外からの招へい研究員や留学生達の出入国準備が大いに難航するなか、「2022年度海外研究員制度」の募集があった。海外連携をリードされる牛田学部長はじめ、ユニークなアイディアで学部広報活動をけん引される武井史郎先生、非常勤でもう暫く大学に居て下さる町田千代子先生、その他学部の皆さんのご理解とご協力のもと、学部内の申請条件を整えることができた。2020年のサバティカルが台無しになってしまったフロリダ大学Keith先生のところへ、今度は私が3か月間渡航する計画が立った。線虫を使い同じ遺伝子を追っていたKeith先生とは、競合することなく良好な関係が10年以上も続き、本研究室の博士後期課程の学生も一時期受け入れてくれたこともあった。研究も人物も良く知っているもの同士、世界情勢が不安定で計画通り事を進めることが難しく、とにかく臨機応変な対応が必要であることも理解し、受け入れを承諾して下さった。皆さんのご厚意に甘えきって、受け入れていたJansさんが5月11日にハバナに到着したのを確認するまでは全く準備に手が付けられず、何もかも後回しにしていた。Jansさんの帰国に安堵したのも束の間、まもなくして身内がコロナに感染してしまい「こんな時期に海外に行くなんてどうかしている」とすっかり弱気になってしまった。幸い私は感染することなく、6月9日に羽田から出国し、アトランタ経由にてフロリダ大学の町ゲインズビルへ行くことができた。アメリカ出入国時に厳しい条件が課せられていたので、「Theworld'sBusiestAirport」での入国手続きはさぞかし厄介で時間がかかるだろうと覚悟し、何かあっても対応できるよう時間に余裕を持たせ、往復ともアトランタ空港近くのホテルで一泊することにした。アトランタでは国内線はいつものように大混雑であったが、国際線は利用客が少なく、アメリカ入国審査はスムーズであっけなかった。アメリカへの訪問時期を厳選したわけではなく、渡航することが精一杯で考える余裕が無かったが、今回の目的においてベストな研究室であり仕事の心配は全くなかった。アメリカは6月から8月まで、3カ月間の夏休みであった。大学を中心として成り立つゲインズビルの町は、人口およそ15万人の半分が学生と教職員や関係者からなる。学部生と大学院生が約5万5千人、ほとんどの学生達は夏休みで町を離れ、人が少なく快適であった。教員達も講義が無く、ゆったりと思い思いに研究を進めていた。ホストになってくれたKeith先生の研究室では、ちょうど研究プロジェクトの終了年であり、次の予算獲得のため申請書を書いていたところであった。したがってポスドクがいない時期で、6月に学部を卒業したばかりの実験技術員ひとり、大学院生ひとり、そして学部生数人が研究室を出入りしていただけであった。アメリカに到着し、最初の1週間は日常生活の準備と、(3年ぶりに対面で実施される)ミーティングでの発表準備であっという間に過ぎ、その後は計画していた線虫の行動解析実験(予想通りの結果が得られた)、年度内に出版予定の単著本執筆(滞在中に大方完成)、その他論文執筆(2報投稿)と、研究中心の贅沢な日々があっという間に過ぎていった。6月にKeith先生が必死で書いていた新規プロジェクト申請書は、分析化学と細胞培養、そして線虫分子遺伝学の3つの専門家による共同研究である。本学応用生物学部でもできそうな内容だと思いながらそのことについてもKeith先生とよく話をし、そのアイディアを(たぶん)存分に申請書内に取り入れていた。7月29日、申請書が採択された通知を受け、NIH(アメリカ国立衛生研究所)から何と7百万ドル(3研究室で分担する)の資金を得られることになった。そのうち約30%はフロリダ大学に収め、更にそこから自分の取り分はそう多くないと言っていたが、ポスドクや大学院生を雇ってまた研究が続けられると大喜びであった。私もとても嬉しかったものの、同じようなアイデアで研究をしている(はずな)のに、資金規模が全然違うことに衝撃を受けた。8月も2週目に入った頃から、ゲインズビルの町に学生達が戻ってきた。フラタニティとソロリティ(学生寮)では新入生の歓迎パーティーが随所で行われているようであり、新しい生活にみんな楽しそうである。教員達の夏休みも終わり、週2、3コマの講義を担当する生活が始まった。8月下旬に差し掛かり、日本入国審査ファストトラックの準備をぼちぼち開始した。日本入国72時間以内の陰性証明を発行してもらえるか、日本政府が要求する項目を満たすかどうか、薬局での陰性証明書は認められないので近くのクリニックを探した。出国直前に感染したらどうしようか、予定していたクリニックが当日何かの原因で閉店してしまったらどうしようか、またいつもの心配が膨れ上がったが、予定通り帰国することができた。ちなみに、アメリカ滞在中はコロナ対策の行動制限がほとんどなく、週末は必ず誰かと家かレストランで会食し、マスク無しの生活であった。周りのひとは誰も感染しなかったが、しかし以前感染したことがある中部大学教育研究No.22(2022)―78―

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