2024幸友 VOL.27
6/36

は生まれてすぐアメリカへ行き、大学卒業後に日本へ戻り、外資系企業で働いていました。ところが精神的に参ってしまって退社。しばらくニートの時期がありました。その後にアパレル業界で働いていたときに、弟から「そろそろ継ごう」との誘いが…。私はサラリーマンをドロップアウトしていたし、弟も中国の大学を卒業後、商社を自営していた。それなのに、自分の会社を売って生方製作所に入ると言う。最初は断りましたが、弟は、「俺が先に入って待ってる」と言って入社。その後も毎週電話をかけてきて、「生方はいい会社だ」と言ってくる。そんな想いにほだされ入社しました。社員はみんな優秀で経営者という意味では彼らの方が適任です。私はオーナーに徹する方が重要だと思って今に至ります。新美 弟さんの後に入社して社長になられていますが、そこは何か話し合いを?生方 弟は戦術家で大きな絵を描いて動くことが得意で、私はインターナルな人間で、社内の人事制度や内部統制、福利厚生等を考えるのが得意。性格が全く違う二人なので、お互いに向いていることを生かす形にしました。木野瀬 私は30代前半で突然先代が亡くなり社長になりました。私に兄弟はおらず、現在は分社したそれぞれの会社を息子二人が継いでいます。二人とも別の企業で働いた後、同時に入社しました。生方さんと似ているのは、私も継いでほしいとは言わなかったけれど、誰のおかげで大きくなったかを考えれば、それは働いてきてくれた社員だということ。社員とその家族へ恩返しをするには入社しかないという発想ではないでしょうか。生方 その通りです。「俺たちがこんなに自由に生きてこられたのは誰のおかげだ?社員のみんなが一生懸命に会社を紡いできたからだ。今度は俺たちが恩返しする番だ」と言われました。塚本 私は雇われの身でスタートしていますから新美さんと同じです。前職はブライダル業界で働いていました。あるとき、「M&Aで介護施設を広げていきたい」という現オーナーの夢を聞き、誘われたのがきっかけです。介護の知識はなく、好奇心のみでのスタート。その後、M&Aを続けた7年目に、「一緒に走って同じことをしていても広がらない」と、オーナーから運営母体を守る側をお願いされました。そこから走り出して今に至ります。あのまま同じ方向を見ていてもここまで広がらなかったでしょうし、私を信頼し任せてくれたことが大きな転換点だと思います。木野瀬 ご子息が入社されたと聞きました。塚本 介護はやらないと言い続けていた息子が、3年前にオーナーに口説かれて入社しました。息子が「やろうと思う」と言ってくれたとき、私も皆さんと同じような思いを伝え、やるならとことんやるようにと言いました。今はよくぞ飛び込んで来たなと思っています(笑)。木野瀬 現在の仕事や職種に好き嫌いはあると思いますが、愛着はありますか。新美 入社してからは自己完結できる仕事が多く、どれだけ大変でも自分が頑張れば終わりました。しかし、マネジメントはそうはいきません。それが仕事と言えば仕事ですが、「どうしたらいいですか?」と質問が来ると、それを教わる場所は会社ではないと思ってしまう。私自身が楽しいのはやはり営業で、世界トップクラスの温度・電流・振動センサー&スイッチメーカー。安全を保証する各種デバイスの開発・設計・生産・販売を行う。2021年には新製品であるEV向け高電圧直流遮断器をリリース。その技術力の証となる特許出願数は、海外出願も含め1,200件を超える。株式会社生方製作所幸友会会員企業大事なのは理念を継ぐこと。紡がれた想いを次へ繋ぐこと。株式会社生方製作所 代表取締役社長うぶかた  しんのすけ  生方 眞之介氏05

元のページ  ../index.html#6

このブックを見る