信頼71号
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東山公園の一万歩コースを走りました。でも、楽しい方を選ぼうと、1カ月後、男声合唱団に転部しました。合唱団の仲間とは、今でも夏には残暑会、年末には忘年会で会う仲で、今回の学長就任が報道された際には激励のメッセージを寄せてくれました。 大学を卒業した1976年はオイルショックで就職難でした。それが理由ではありませんが、研究の面白さに惹かれて大学院に進学。植物の中から一つの分子を分離・精製する仕事を先生からいただき懸命に研究に取り組む日々でした。私自身、この2年の間にこれが成功すれば研究者として生きていけるかもしれないと密かに思っていました。そして修士1年の夏、忘れもしません8月4日のこと、分析を通してピュアな分子が取れた証拠を得られたのです。世界初の仕事は、日本を飛び越え、いきなり世界の扉が開いた瞬間でした。その秋から論文を書き始めて翌年に国際誌に発表。成し遂げた仕事に自分の名前を書くことは、画家がサインして世に出す感覚に近いものがあります。その後も北海道大学で研究しているときに、生体膜を介して水素イオンを運び入れる酵素の機能や特性を世界で初めて解き明かしました。そのときに、中国人の研究仲間からの、「数億年間潜んでいた分子を先生が人類で最初に知らしめてくれたんだね」という言葉はとてもうれしく今も覚えています。 大学は、「これまでに明らかにされてきたことが体系化された学問」と、「まだ解明されていないこと」に関心を持ってもらえる授業への工夫が必要と考えています。私は生物学が専門ですので、「どのような分子が、どこでどのように相互作用し、何が起き、個体をどのように統一的に制御しているのか」という問いを持つようにしています。学生一人ひとりが、解明されたことの体系的な理解と、興味や疑問、問いを立てることができれば、大学としての使命を半分果たせたと思っています。 「人は天才で生まれて凡人になっていく」という言葉があります。教育の仕組みとしてやむを得ず成績の善しあしで振り分けてしまう側面がありますが、人生はそうではありません。個々の学生にはそれぞれの良さがあります。新入生には自分の天井を決めずにその良さを伸ばしてほしいと伝えています。達成感や成功体験を味わってもらうことも大学の役割です。たとえば、学生にとって部活動に入ることはチャレンジですし飛躍できるチャンスです。「選手になれると思ってなかった」、「友人からこんなに褒められるのは初めてだ」など、さまざまな経験は自信につながります。また、大学は学生一人ひとりを理解し、護り、育て、一人前の人間として送り出すことも一つの役割と考えています。社会悪からも護らなければなりません。不安や心配、悩みを多く抱えた年齢でもあります。そうした学生を精神的にも経済的にも支援しなければなりません。その上で、学問の基礎や視点を身につけ、専門の知識体系を学び、スキルを磨いてもらう教育を実践していきます。学生にはいろいろな挑戦を通して飛躍し、想像もしていなかった新しい自分に出会えることを願っています。自身の体験や知恵に基づいた自信、そして人との信頼を携えて卒業してもらう。親が思うように子を育てることはできない。子は自ら育っていく力を携えている。これらは私自身も子を持つ親としての感想です。だからこそ、保護者の皆様と力を合わせて学生の力を伸ばしていきたいと考えています。大学院生時代の写真です。当時、研究の合い間に研究室対抗でスポーツをしていました。これはソフトボール大会でヒットを打って出塁したときの私です。自信と信頼を携えて社会へ送り出したいQ.学生時代の写真を見せてください。若くして亡くなった母です。命を削りながら私たち4人兄弟を育ててくれました。私が中学生のとき、43歳で過労と病気で倒れた母にもう一度会えるならお礼を言いたいですね。Q.いま会いたい人は?「爐火純青(ろかじゅんせい)」です。人格、学問、技術、芸術などが最高の水準に達することを表した言葉ですが、私が最初に受け取ったのは、共同研究している韓国の先生からいただいた書でした。若いときはパチパチと音を立てて燃えるけれど、経験を重ねた人は学識もスキルも熟達し、情熱はあるけれど、音を立てず青い炎となるという意味のありがたい言葉でした。Q.好きな言葉は?軍の医師であり文筆家であった人物、森鴎外です。風格と安定感のある表現で、時代を映す随筆や小説を書かれました。ある意味で文理融合あるいは文理共存の人でした。私もその点は大事だと思って生きてきました。なぜ、そうした生き方をされたのか、また、それぞれの分野において大切にされてきたことは何かを聞いてみたいです。Q.歴史上の人物、会えるなら誰に何を聞く?前島学長もう少し聞かせて!04

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