研究成果のポイント
- 分子状水素(注1)の抗酸化・抗炎症作用に着目し、紫外線B波(UVB)(注2)を長期照射したヘアレスマウス(注3)への継続投与が皮膚腫瘍発生に与える影響を検討した。
- 2%水素ガス吸入と水素水の併用により、乳頭腫(注4)の出現遅延と総数減少を認めた。扁平上皮がん(注5)への進行は、2回の独立実験で同方向の傾向を示し、うち1回で統計学的有意差が得られた。
- 分子状水素はシクロブタン型ピリミジンダイマー(注6)を減少させず、紫外線遮蔽ではなく慢性炎症環境の改善を介して作用する可能性が示された。具体的には、T細胞浸潤が減少し、IL-6量の低下とSTAT3(注7)の活性化抑制が認められた。
- ERKおよびJNK(注8)の活性化、表皮肥厚、細胞増殖、酸化ストレス(注9)の指標はいずれも低下した。本知見は、慢性炎症を標的とした皮膚がん予防研究の基盤となるが、ヒトでの有効性と最適な投与法は今後の検証が必要である。
発表概要
日光に含まれる紫外線は皮膚がんの主要因であり、特にUVBはDNA損傷と炎症反応を引き起こし、長期的には皮膚腫瘍の形成につながる。国際がん研究機関(IARC)は太陽光(solar radiation)および紫外線(UV)を発がん性あり(グループ1)と評価しており、日常的な紫外線対策に加え、新たな予防アプローチの開発が求められている。
中部大学生命健康科学部の堀文子准教授(保健看護学科)、祖父江沙矢加准教授(臨床検査技術教育・実習センター、生命医科学科)、市原正智教授(生命医科学科)らは、北里大学医学部・村雲芳樹教授との共同研究により、酸化ストレスと炎症を抑える作用が報告されている分子状水素に着目し、UVBによる皮膚の発がん過程を抑えられるかを検証した。
ヘアレスマウスの背中に270mJ/cm²のUVBを週3回、20週間照射し、2%水素ガス吸入と溶存水素濃度0.8mM以上の水素水摂取を併用した群と対照群を比較した。照射終了後も10週間観察を継続し、また同一プロトコルによる独立した再現実験を実施した。腫瘍の出現時期と数に加え、皮膚組織における炎症、酸化ストレス、細胞増殖に関わる分子の変化も解析した。その結果、水素を与えた群では、がん化の入り口となる小さな腫瘍(乳頭腫)の出現が遅れ、腫瘍の総数も両実験で減少した。
一方、扁平上皮がんへの進行については、発症時期や生存期間の改善が一方の実験では統計学的に有意であったが、他方では有意差に至らなかった。分子状水素はシクロブタン型ピリミジンダイマーを減らさず、紫外線を遮るのではなく、皮膚の炎症環境を整えることで作用した可能性が示された。具体的には、皮膚に集まるT細胞が減り、IL-6およびSTAT3の活性化、さらにERKおよびJNKのシグナル(リン酸化)の抑制がみられ、皮膚の厚みや細胞増殖の指標も低下した。加えて、UVB照射後の急性期には分子状水素の投与により酸化ストレスが軽減されGSH/GSSG比(注10)が保たれた。慢性期にはNrf2(注10)の核内蓄積も減っており、酸化ストレスの負荷軽減が持続したと考えられる。
本成果は国際学術誌International Journal of Molecular Sciencesに掲載され、2026年1月8日にオンライン公開された。紫外線関連皮膚がんの予防研究を次の段階へ進める基盤となる知見であり、今後のヒトでの検証や最適な投与法の確立が期待される。

論文情報
雑誌名:International Journal of Molecular Sciences
題名:Molecular Hydrogen Attenuates Chronic Inflammation and Delays the Onset of Ultraviolet B-Induced Skin Carcinogenesis in Mice
著者名:Fumiko Hori*, Sayaka Sobue *, Chisato Inoue , Yoshiki Murakumo, Masatoshi Ichihara (*: equal contributor)
DOI: 10.3390/ijms27020635
URL: https://www.mdpi.com/1422-0067/27/2/635
研究助成
本研究は日本学術振興会(JSPS)科研費(JP24590768)、中部大学特別研究費A, Bの支援を受けて行った。
利益相反
本研究では企業から物品提供を受けた。スポンサーは研究デザイン、データ収集・解析・解釈、原稿作成、出版判断に関与していない。
用語解説
(注1)分子状水素
水素原子2個が結合した分子(H₂)で、無色・無臭の可燃性気体である。産業分野では燃料電池や燃焼燃料として広く利用されている。近年、抗酸化・抗炎症作用などの可能性が報告され、吸入や水素水の飲用などさまざまな形で研究が行われている。
(注2)紫外線B波(UVB)
紫外線のうち波長280–315nmの成分で、皮膚にDNA損傷や炎症反応を引き起こす。長期間浴び続けると皮膚がんのリスクが高まる。
(注3)ヘアレスマウス
体毛がほとんどない、または生後に脱毛して再生しないマウス。剃毛せずに皮膚の観察や処置ができるため、紫外線照射や外用薬の評価、皮膚の炎症や腫瘍の研究で広く用いられる。
(注4)乳頭腫
本研究のマウスモデルで初期に出現する良性の小さな腫瘍。マウスでは時間経過とともに扁平上皮がんへ進行する前段階として扱われる。
(注5)扁平上皮がん
皮膚の表面を覆う細胞(表皮の角化細胞)から発生する悪性腫瘍で、紫外線を長期間浴び続けることなどが発症に関与する。
(注6)シクロブタン型ピリミジンダイマー
UVBがDNAに与える代表的な傷の一種。DNA上で隣り合う塩基どうしが異常に結合してしまう現象で、修復されないと突然変異の原因となる。
(注7)IL-6/STAT3
経路IL-6は炎症を引き起こす情報伝達物質(サイトカイン)の一種。STAT3はIL-6などの刺激を受けて活性化し、細胞の核内に移動して増殖や生存に関わる遺伝子のはたらきを調節するスイッチ役のタンパク質である。
(注8)ERK/JNK
経路細胞の外からの刺激を内部に伝えるリレー経路(MAPキナーゼ経路)の主要因子。ERKは増殖刺激を、JNKはストレス刺激を主に伝え、細胞の増殖・分化・ストレス応答に関与する。
(注9)酸化ストレス
体内で活性酸素などのフリーラジカルが増え、これを打ち消す抗酸化物質とのバランスが崩れた状態。過剰になると細胞や組織が傷つき、DNAや脂質、タンパク質の損傷を通じて炎症やさまざまな病気の発症・進行に関与すると考えられている。
(注10)GSH/GSSG 比とNrf2
GSH(還元型グルタチオン)は細胞内の代表的な抗酸化物質で、活性酸素を消去するとGSSG(酸化型)に変わる。GSH/GSSG比が高いほど抗酸化力が保たれていることを示す。Nrf2は酸化ストレスに応答して抗酸化遺伝子群のはたらきを誘導する転写因子で、その核内蓄積はストレス応答が活性化している目安となる。
本学の問い合わせ先
研究内容に関すること
市原正智(中部大学 生命医科学科教授)
電子メール:ichihara[at]fsc.chubu.ac.jp ※アドレスの[at]は@に変更してください。