2022年2月24日

  • 学術・研究

低消費電力メモリデバイス実現に繋がるカオス共鳴機構の開発―カオスの工学応用の新たな形態―(稲垣圭一郎講師ら)

学校法人千葉工業大学情報科学部情報工学科(准教授)/国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター(NCNP)精神保健研究所児童・予防精神医学研究部(客員研究員)信川創、東邦大学理学部情報科学科我妻伸彦講師、公立大学法人兵庫県立大学大学院応用情報科学研究科西村治彦特任教授、中部大学工学部ロボット理工学科稲垣圭一郎講師、学校法人金井学園福井工業大学AI & IoTセンター/環境情報学部経営情報学科山西輝也教授は、カオス共鳴を利用することでメモリデバイスへの情報伝送にかかる消費電力を極めて低く抑える機構を開発しました。
これまでに、外界のノイズを利用した確率共鳴に基づく低消費電力メモリデバイス機構は提案されていましたが、カオス共鳴を利用したこのメモリデバイス機構は、さらに1/10程度の信号強度でも情報が保存でき、情報伝送にかかる電力を飛躍的に削減できます。現在、AIやビックデータ解析の普及により、世界中で格納されるデータ量は驚異的な速度で増大しており、データ伝送の低消費電力化は、データ活用やより高度なAIの実現だけでなく、温室効果ガス排出を削減した低炭素社会を実現するためにも喫緊の課題となります。本機構を利用したメモリデバイスが実現されれば、その課題解決への一助となることが期待できます。

この成果は、米国に本部を置く電気・情報工学分野の学術研究団体IEEEの査読付き学術雑誌であるIEEE Accessにて発表されました。

研究の背景

メモリデバイスの研究開発の背景: AIやビックデータ解析の進展により、世界的に保存されるデータ量は驚異的な速度で増大しています[1]。そのような中で、高密度で高速な伝送効率を実現するメモリデバイスの開発が進んでいます[2]。データ伝送の低消費電力化は、データ活用やより高度なAIの実現だけでなく、温室効果ガス排出を削減した低炭素社会を実現するためにも喫緊の課題となります[3]
このような低消費電力なメモリデバイスの機構として、閾値特性を持つ非線形システムの弱入力信号に対する応答性は外部ノイズの影響で増大する確率共鳴があります。これまでに、この確率共鳴を利用した新しいメモリデバイス機構が提案されていました[4, 5]。具体的には、メモリデバイスは、情報を書き込む前の段階として、メモリ素子の状態が「0」の状態に初期化されます。そして、書き込む情報に対応したビット列(「0」「1」の系列)を伝送信号としてデバイスに送り、そのメモリ素子の状態をビット列に対応するように遷移させます。この際に、状態を遷移させる伝送信号の信号強度を低く抑えることができれば、低消費電力化が実現できることになります。確率共鳴(※)を利用したメモリデバイス機構では、背景ノイズを利用することで、必要な伝送信号の強度を低く抑えることに成功しています[4, 5]

確率共鳴とカオス共鳴:一方、ゆらぎ源として外部からのノイズを利用するのではなく、カオスによるシステム内部のゆらぎでも確率共鳴と類似した応答性の増強現象が生じることが知られており、カオス共鳴と呼ばれています[6](図1)。さらにこのカオス共鳴は、確率共鳴よりもはるかに小さな入力信号に対しても鋭敏に応答することが知られており[6, 7]、著者らを含む多くの研究者によって世界的に研究が進められています。
カオス共鳴が生起する非線形システムは数多く存在しますが、今回のメモリデバイス機構の開発には、アトラクタ併合分岐と呼ばれる複数の分離したカオス軌道が、システムのパラメータ調整により1つの軌道に併合され、間欠的にそれらの軌道を行き来する(カオス-カオス間欠性: Chaos-Chaos Intermittency)特性を持つcubic 離散写像システムを用いました。

図1

研究内容

512個のカオス-カオス間欠性を持つcubic離散写像の集団に対して、保存情報に対応する微弱な伝送信号を印加する実験をコンピュータシミュレーションにより実施しました(図2)。まず、各cubic離散写像を「0」の状態に対応するように初期化を行い、それに続いて、保存情報に対応したCi(t)のビット列をメモリ信号入力期間中、印加します。その後、メモリ素子の状態遷移が正しく行われたか、すなわち正しくメモリへの書き込みが行われたかをBit error rateで評価しました。

図2

その結果、(図3)外部のノイズ印加を利用しないカオス共鳴によるメモリ機構の方が、従来のノイズによる確率共鳴によるメモリ機構よりも、1/10以下の微弱な信号強度でも情報を保存できることが明らかになりました。さらに、この優れた性能は、外部ノイズや各素子のパラメータのばらつきに対しても、一定の強度まで保持されることが確認されました。

図3

今後の展望

今回開発されたカオス共鳴によるメモリデバイス機構は、伝送信号の信号強度を低く抑えることに成功しましたが、カオス性をもつ記憶素子に対してどの程度の回路駆動のための電力が必要であり、全体でどの程度の消費電力が削減できているのかについては、回路実装を含めた今後の研究が必要です。これまでに著者らは、Chua回路のようなカオス-カオス間欠性を持つカオスシステムに対してもカオス共鳴の生成に成功しており[8]、今後はこのような非線形回路を用いた研究を進めていく予定です。

最後に、カオス共鳴による本アプローチが、世界のデータ増加に伴う消費電力増大の課題解決への一助となることが期待されます。

用語説明

確率共鳴: 微弱な信号に対する非線形システムの応答性がノイズの存在下で増強される現象を確率共鳴(stochastic resonance)と呼びます。この確率共鳴は、閾値特性・ノイズ源・弱入力信号の3つの構成要素が揃えば、多様なシステムにおいて広範に観測されます。確率共鳴は、地球の気候に見られる氷河期と間氷期の繰り返し(ミランコビッチサイクル)を説明するメカニズムとして1982年にBenziらによって提唱されました[9]。現在では、神経活動や化学反応などでも確率共鳴は見つかっており、そのメカニズムを触覚感度の増強させる医用工学技術に応用する研究[10]や、確率共鳴のメカニズムを取り入れた通信方式の開発といった通信工学分野に応用する研究[11]も進んでいます。本研究では、ゆらぎ源にカオスを用いたカオス共鳴のメカニズムを利用しています。

引用文献

[1] Cheol Seong Hwang, “Prospective of semiconductor memory devices: from memory system to materials.” Advanced Electronic Materials 1.6 (2015): 1400056.
[2] Yves Frégnac, “Big data and the industrialization of neuroscience: A safe roadmap for understanding the brain?.” Science 358.6362 (2017): 470-477.
[3] Biswajit Saha, “Green computing: Current research trends.” International Journal of Computer Sciences and Engineering 6.3 (2018): 467-469.
[4] S. A. Ibáñez., et al. “On the dynamics of a single-bit stochastic-resonance memory device.” The European Physical Journal B 76.1 (2010): 49-55.
[5] Stotland, Alexander, and Massimiliano Di Ventra. “Stochastic memory: Memory enhancement due to noise.” Physical Review E 85.1 (2012): 011116.
[6] Sou Nobukawa and Haruhiko Nishimura. “Synchronization of chaos in neural systems.” Frontiers in Applied Mathematics and Statistics 6 (2020): 19.
[7] Sou Nobukawa, et al. “Resonance phenomena controlled by external feedback signals and additive noise in neural systems.” Scientific reports 9.1 (2019): 1-15.
[8] Sou Nobukawa, et al. “Chaos-chaos intermittency synchronization controlled by external feedback signals in Chua’s circuits.” IEICE Transactions on Fundamentals of Electronics, Communications and Computer Sciences 103.1 (2020): 303-312.
[9] Benzi, Roberto, et al. “Stochastic resonance in climatic change.” Tellus 34.1 (1982): 10-16.
[10] Yuichi Kurita, Minoru Shinohara, and Jun Ueda. “Wearable sensorimotor enhancer for a fingertip based on stochastic resonance.” 2011 IEEE International Conference on Robotics and Automation. IEEE, 2011.
[11] Yukihiro Tadokoro, et al. “Enhancing a BPSK receiver by employing a practical parallel network with stochastic resonance.” Nonlinear Theory and Its Applications, IEICE 10.1 (2019): 106-114.

原著論文情報

雑誌名:IEEE access (公開日: 2月6日 Early access)
論文題目:Memory Storage Systems Utilizing Chaotic Attractor-Merging Bifurcation
著者:Sou Nobukawa, Nobuhiko Wagatsuma, Haruhiko Nishimura, Keiichiro Inagaki, Teruya Yamanishi

本学の問い合わせ先

研究に関すること
稲垣圭一郎(中部大学 工学部 講師)
E-mail:kay[at]isc.chubu.ac.jp ※アドレスの[at]は@に変更してください。
電話:0568-51-9396(研究室直通)

報道に関すること
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Eメール:cuinfo[at]office.chubu.ac.jp ※アドレスの[at]は@に変更してください。
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