ワクワク好奇心研究室 Vol.13 

お知らせ

    西山伸一先生 人間力創成教育院教養課題教育プログラム
           (人文・社会リテラシー)

    2015年からはレバノンへの遺跡調査団の代表として、2016年からはイラク・クルディスタン地域への考古学調査団の代表としてフィールド調査が続いています。実際どんなことを行っているのですか?

    ― 基本的には現地で2つの仕事があります。一つは国から科学研究費をいただいて発掘と踏査を含む考古学調査を行いながら成果を科学的に研究すること、もう一つは文化庁から委託を受け、レバノンとイラクの考古遺跡や歴史的建造物を含む文化遺産の保護や現地の博物館の活性化を支援する事業をすることです。

    レバノンで遺跡保護に取り組んでいるバトルーン遺跡:遺跡は現在の町の下にある。
    中央左手よりに見えるのが発掘区の1つ。© 中部大学レバノン遺跡調査団

    遺跡はどのように見つけるのですか?

    ― 遺跡とは基本、人が活動した痕跡のあるところでさまざまな形態があるのですが、西アジアの場合、一つの典型的な遺跡としては、丘のように盛り上がっているところを見つけて、そこに土器や石器が散らばっていると遺跡だと見当がつきます。

    遺跡が丘のようになっているのですね。

    ― なぜ遺跡が丘のように盛り上がっているかというと、各時期の建物が崩れては堆積し、それが何十年、何百年、何千年と積み重なって盛り上がってゆくのです。建物は、基本、泥レンガと石でできているのでそれが崩れ落ちると盛り上がり、それを平らにならして、またその上に建物を建てることで盛り上がるということです。日本の遺跡は基本、地下にありますが、西アジアの場合は、多くの遺跡は地上に盛り上がった形で残っています。


    イラク・クルディスタンで発掘調査を実施しているヤシン・テペ遺跡。
    中央の「丘」とその周辺すべて遺跡である。©ヤシン・テペ考古学プロジェクト

    案外見つけやすいですね。

    ― 見つけやすい故に盗掘される危険があります。

    盗掘がよくあるということですが、それに関連してフィールドで決断を迫られたということがあったようですね。

    ― 現在調査中のイラク・クルディスタン地域のヤシン・テペ遺跡で2017年に発掘しているとエリート層の家族墓が見つかりました。墓は家の地下に設置されており、非常に珍しいことですが未盗掘でした。つまり、墓が閉じられてから2500年間開けられていないということです。珍しいものが出たという噂はすぐに広まるため、今墓を開けて中の遺物を救済するか、埋め戻して来年再度調査をするかの決断に迫られました。場所が知られているため、調査をしないで帰ると盗掘の危険性がありました。「掘る」と決断した後、約10日間、寝る間を惜しんで、夜はライトで墓の中を照らしながら調査を続け、なんとか期間内に遺物の取り上げを終了することができました。

    2017年に発見した未盗掘レンガ墓
    ©ヤシン・テペ考古学プロジェクト

    出土した重要な遺物は現地の博物館や文化財局に保管していると聞いています。

    ― 遺跡から出土した遺物は、イラクの人たちの財産、つまり文化遺産であるので、彼らの博物館や文化財局で保管してもらい、保存修復後は、博物館等で展示し、公開したいと思っています。博物館に来館した人々は、自分たちの住む場所の歴史はこのようなものだと知ってもらうことが大切だと思っています。現地当局の理解のもと、イラク・クルディスタンの人々と緊密に連携しながら調査をしているわけです。

    発掘調査の様子(2016年盛夏)©ヤシン・テペ考古学プロジェクト

    先生は、2500年以上前の遺跡を調査されていらっしゃいますが、それはどのように現代社会に生かされていますか?

    ― 一般に王宮に住む王族たちやエリート層のくらしぶりは、よく本や博物館の展示で取り上げられます。しかし、私の興味は普通の人たちがどのような日常生活を送っていたか、というところにあります。現在掘っている遺跡では、エリート層の邸宅や墓を見つけましたが、その周りには普通の人たちも住んでいて、我々と同じように朝起きてご飯を食べ、子どもたちは遊び・学び、親たちは働き、夕方みな家に戻って団らんをする。その生活ぶりはおそらく基本的には2500年前から変わらず続いていると考えています。色々な生活関連の遺物が発掘で見つかりますが、すべての使用した道具や生活の痕跡が発掘で見つかるわけではなく、土の中で腐らずに残ったものが、我々の目の前で出土します。考古学者は、それらの断片的な証拠から過去の人々の生活を復元していくのです。私の考えでは、私たちの今の生活は、スマートフォンを持ち、飛行機や車を利用しますが、これらの生活関連の道具を除外すると、基本は2500年前と変わらない生活をしていたのではないかと思っています。

    2016年の調査で出土したアッシリア帝国時代のエリート層の大型邸宅。
    建物の基礎が残っている。©ヤシン・テペ考古学プロジェクト

    1980年代に考古学ブームがありました。早稲田大学の吉村作治先生が新聞、雑誌、テレビ、ラジオに引っ張りだこだったような気がします。実は、西山先生は吉村先生の後輩でいらっしゃると伺いました。早稲田に入られたときに、考古学サークルから勧誘があったのが考古学の世界に入られたきっかけだと。

    ― 入学して4月に大学の構内を歩いていたら、「君、いい体しているね。」と声をかけられました。そこは「早稲田大学考古学研究会」という学生のサークルでした。サークルといっても、長い伝統を持ち、早稲田の考古学関係の先生方をサポートする学生の団体だったのです。この研究会は、いわば、先生方のお声がけで日本全国に派遣されてゆく考古学の実働部隊だったのです。考古学研究会に入ったおかげで、日本全国あちこちに泊まり込みで発掘調査に行くことができ、鍛えられました。その経験が、現在の海外での考古学調査に大いに役立っています。

    先生は人間力を鍛える人間力創成教育院での授業をされています。

    ― 全学共通教育科目の教養科目(人文・社会リテラシー)を主に担当しており、例えば、「世界の歴史と日本」という歴史系の科目や、「芸術の世界」という芸術の魅力と奥深さを伝える授業などを行っています。教養の授業なので、理系・文系問わず全学の学生が対象です。中心的なテーマは、これまで日本の小・中・高の学校教育であまり扱われてこなかった西アジア、南アジア、中央アジア世界の理解を深めることです。これらの地域は、人類の歴史や文化の中で実に大きな貢献をしてきたことを伝えるようにしています。

    また考古学というのは、遺物や遺構を発掘して過去を考える学問と思われていますが、実際の海外調査は、現地当局のスタッフ、職員や一緒に発掘する作業員さんたちとのコミュニケーションが重要で、人間を見る目、というものがとても大切になっています。これまでのフィールド調査の経験を踏まえて、学生のみなさんにも人間を知ることの大切さ、難しさを伝えられればと思います。

    2016年、ヤシン・テペ遺跡での最初の調査が終了した時の集合写真:
    日本人、クルド人など発掘調査に参加・協力した人々。©ヤシン・テペ考古学プロジェクト

    先生がフィールド調査で行かれている場所は、イラク、レバノンなどで、政情が不安定なのではないかと言われていますが、その点はいかがですか?

    ― 日本のニュースだけ見ていると確かにこの辺りは戦争や紛争が過去にあったり、時には爆弾が爆発したり、などと報道されますが、実際に現地に行ってみるとみなさん普通に生活されていて、私達と同じように家族でピクニックや遊園地に行ったりしています。ですから報道されるニュースだけを切り取って、その国全体が危険地域とするのは違うのではないかと思います。ニュースをどう読むか、というメディア・リテラシーというものにも、私のかよっている中東地域の経験は使えるのではないかと考えています。

    実は西アジア(中東)は、食べ物がとても美味しかったりしますよね。

    ― 西アジアと言いますと、キャバーブなどの肉料理とイメージがありますが、海の近くに行くと魚介類がいただけるし、山の方だと様々な果物や木の実、ハーブを使った料理などもあるので、料理のバリエーションは非常に多いのです。また、意外と知られていないのですが、日本人がよく食べているパンは西アジアで最初に生まれています。その他、チーズ、ヨーグルト、ビール、ワインも西アジアで誕生しました。つまり、日本の食生活の中にも西アジアの文化が入ってきているのです。

    イラク・クルディスタンの名物料理の一つ、羊肉のキャバーブ 
    ©ヤシン・テペ考古学プロジェクト

    時は縄文ブームがおこっていますが、先生は学生のときに南は福岡から北は岩手まで全国で発掘をされたと伺っています。それから30年以上の時を経ていますが、世界の遺跡に魅せられたことは何ですか?

    ― 遺跡から出てくるものはその国や地域に生きた過去の人たちが残したものです。それをどのように理解するかはその国や人々によります。多くの国では自分たちの国から出てきたものなので、これは自分たちの祖先が残したものだと理解し、ナショナリズムと結び付けられる場合もあります。しかし、私はもっとフラットな見方をしています。過去の人たちの生活を知ることで、現在の私たちの暮らしぶりを考え、そこに未来へのヒントがあるような気がするのです。また、何百年、何千年前の人たちが残したものをどう次の世代に伝えていくかを考えることも重要だと思います。過去にいた人たちがどのように我々と繋がっているのかももちろん重要ですが、出土したものをどう次に繋げていくのかも同じように大切なのです。今、遺跡が大切に思われ、ブームが来ていることはとても良いことです。過去の遺産をどう護って、自分の孫、ひ孫、さらにその先の世代まで繋げられるかが、私たちの未来を考えることにつながるのではないかと思っています。

    インタビュアー感想:
    考古学は憧れの一つですが、先生のお話を伺っていますと遺跡を掘る作業の大変さ、決断の先読みや見極め、文化や人種の違う方々との幅広いコミュニケーション力など、まさに人間力が鍛えられることばかりです。そして遺跡から、人間というのは時代を何千年と経ても基本的に変わらない生命体だとわかるというお話に、遠い先人をより身近に感じる機会になりました。

    西山 伸一
    人間力創成教育院教養課程教育プログラム(人文・社会リテラシー) 教授
    専門分野:西アジア文明史、考古学

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