ワクワク好奇心研究室 Vol.20 

お知らせ

    中野智章先生 国際関係学部国際学科

    先生がエジプトに魅せられたきっかけは何だったのでしょうか。

    ― 一つの思い出は名古屋市博物館で小学校4年生の時に見たエジプトのカイロ博物館の展覧会です。その時に、ヒエログリフという古代エジプトの象形文字が彫られた遺物があったのですが、それを見た時にすごく感動して読んでみたいと思いました。象形文字は最初単なる文字だと思っていたのですが、実際は色々なものを表す記号のような感じで、暗号を解いていくような面白さがあったのです。

    エジプト展見学を記した小学4年生の頃の日記

    エジプト=ピラミッドと浮かぶのですが、今でも謎がいくつもあるようですが、まず、どこに建っているのかから教えてください。

    ― ピラミッドはナイル川の西側、南から北の地中海に向かってナイル川は流れていますが、その西側に建っています。そのあたりは石灰岩台地です。ナイル川の比較的近いところの際に建っているのです。

    ギザの2大ピラミッド

    それはどうしてでしょうか?

    ― 一つは皆が見てわかるランドマークのようなものであったと思います。クフ王のピラミッド(一番大きなピラミッド)はとても有名ですが、高さ150メートルぐらいありますので、学生に授業で話す時は、「名古屋駅のタワーズのビルを見上げるようなものだ」と言います。皆から見える位置に造ることが大切だったと思います。

    それにも意味があったのですね。

    ― よく知られたところだと、夏至の日(6月20日頃)に北半球で昼間の太陽が一番長く照っている時は、スフィンクスから見て、クフ王のピラミッドと、ほとんど同じ大きさのカフラー王という次の王のピラミッドとの間に太陽が沈みます。古代エジプトの象形文字でいうと、その時に「地平線」という文字の形になるのです。「地平線」は「天国」とか「あの世」という意味になります。ですから他のピラミッドにもそのような意味があったのだろうと思っています。

    砂漠というのは亡くなった人の住む世界の入口で、死者の世界です。東は太陽が昇るので生きている人の世界で、西は沈む方ですから、砂漠の入口にピラミッドを建てておいて、皆が見た時に、「あそこにあの世があるな」とイメージさせたものではないかと思っています。

    地平線を表す象形文字アケト

    ピラミッドを見てあの世だと認識し、あの世に行った時に自分はまた生き続けるという思いもあるのですか?

    ― 我々は平均寿命が80代の世界で生きていますが、古代エジプトの人の平均寿命は発掘したデータや墓地で見ると30代半ばから後半ぐらいです。ただ30代半ばになると死ぬのではなく、若いときの生存率がとても低かったのです。5歳くらいまでの生存率が5割くらいだったとされています。今なら簡単に治るような病気でも、早く亡くなる人が多かったということです。

    人間は死んだらどうなるのだろうという疑問はいつの時代にもありますが、古代エジプトの場合には人が亡くなることが非常に身近だったので、死んだら終わりではなく、その先にも続くと考えたのです。

    エジプト文明の前半にピラミッドが存在したのですね?

    ― エジプト文明はおよそ3000年続きましたが、ピラミッドは最初の500年です。その後は神殿(神様を祀るお社)が全国に広がっていきます。ピラミッドの持っていた役割が神殿に引き継がれたと考えていいと思います。

    この神殿がまた面白い世界なのですね。

    ― 神殿の柱が象形文字の形をしていて、「永遠」という意味だったり、一番大きいカルナック神殿は空から見ると、衛星画像ですが、壁が「天空」という象形文字を表しています。暗号を解いていくような面白さがあって、神殿そのものが世界全体を表している構造になっていると思います。

    カルナック神殿

    神殿の魅力の奥深さを感じられるようですね。

    ― エジプト文明の始まりにあたるおよそ500年がピラミッドの時代でしたが、その後は神殿に変わってきます。そこでは、例えば人間の五感、見る、聞く、匂い、触覚、味覚がありますが、神殿にはそれらの要素すべてが含まれているのです。

    カルナック神殿多柱室の窓と柱

    どういうことでしょうか!

    ― 「見る」ということで説明しますと、人間は光を意識しますが、神殿は奥に行くに従って床が上がって行き、天井が下がり、狭くなり、光もどんどん届かなくなります。最後はそこにスポッと吸い込まれるような感覚を意識しています。

    「触る」ですと、壁のレリーフ(彫刻)がありますが、神殿の内と外で彫り方を使い分けていて、建物の内側にある、絵の周りを彫ったレリーフは、窓から入る薄い光で絵があたかも立体画像のように浮かび上がり、今で言う3Dのような効果があります。逆に神殿の外については、エジプトは太陽がギラギラしていて、絵自体を彫り込んでいるので、太陽の光が当たると影がくっきりついて、絵のシルエットが濃くはっきり出ます。このように人間の持っている感覚を駆使しています。また、神殿を発掘すると楽器が出てきます。音を鳴らして儀式をしていたのでしょうね。匂いも、お香を焚いていますしね。

    アビドスのセティ1世葬祭殿レリーフ

    今の人間と変わりないというか、むしろ5000年前のほうが、、、

    ― 感覚が鋭いですね。よくアロマセラピーなどと聞きますが、これもエジプトが発祥とされています。

    先生は今行われているエジプト展の監修を行っているということで、どんなことが今までと違うのでしょうか。

    ― エジプト展は日本では人気がありますので、今までで30回ぐらい行われていますが、かつては「ミイラ」や「宗教」といったテーマで紹介されることが一般的でした。今回はそうした紋切り型の展示ではなく、エジプトがヨーロッパでどのように知られ、その結果何がわかって、今後これから何が解明されていくのか、その流れを観て頂きたいと思って、オランダの有名な大学街ライデンにある古代博物館の所蔵品を使った展示をしています。特に観て頂きたいのは、「棺」を10点ぐらい立てて展示していることです。普通棺は寝かせるものですが、それでは中があまり良く見えません。立てることによって中がとても良く見えます。また、ミイラもCTスキャンの医療機器を使えば包帯を取らなくても中まで見えます。御本人には可愛そうですけれど、、。

    監修したエジプト展のチラシ

    まさか見られるなんて!と天で思っていらっしゃるでしょうね。

    ― 3000年くらい前の人たちの思いを探ることができるということですね。

    全国に古代エジプトの研究者として登録している人たちは7~80人いるということですが、教員は少ないということですね。

    ― 多分私を含めて7人だと思います。

    7人の先生方のお一人が中部大学にいらっしゃるという貴重な先生でもありますが、所属の中部大学国際関係学部国際学科は全国でも珍しい貴重な存在だということですね。

    ― 現在、「国際」という名のつく学部学科は100以上ありますが、中部大学の国際関係学部は今から40年近く前に日本で2番目に設立された老舗です。さまざまな地域や分野を専門とする教員がそろっていますから、何か世界のことに興味があって勉強したいという学生にとっては、最初から何をするか決めていなくても関心に合う先生が多いと思います。現地を実際に知っている先生が多いので、興味を引き出してくれるところがいいですね。

    ハイブリッド・プロジェクト
    複数の教員が授業に加わり、学生と同じ目線でさまざまなテーマを議論する

    若者に向けてエールを送って頂きたいです。

    ― 「実際にものを見る」「体験する」というのはとても大切です。実体験する面白さを持っていてほしいですね。それには机上の勉強だけではなく、自分の感覚を磨くような経験を積むことがとても大事だと思います。

    インタビュアー感想:
    小学生の頃行ったエジプト展の「ツタンカーメン」は、どうにも恐ろしく、あのような仮面をつけた人々が世界の裏側にいるのだと、家の中ではその記念冊子にも近づけませんでした。エジプトに行く機会があれば、長い時間を取ってゆっくりと太陽とともに過ごしたいと思います。エジプトでは死が身近であったがゆえの死の向こう側に想いを馳せたとのお話ですが、命ある間に身を置いて再認識できたら素敵だと思ったインタビューでした。

    中野智章先生
    国際関係学部 国際学科 教授
    専門分野:エジプト学、考古学

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