ワクワク好奇心研究室 Vol.8 

お知らせ

    佐々井真知先生 人文学部歴史地理学科

    中世と言いますとどの時代になりますか?

    ― ヨーロッパの中世というのは、およそ500年から1500年の1000年を指します。具体的な出来事で言うと、西ローマ帝国の滅亡から大航海時代、ルネサンス、宗教改革の前ぐらいまでの期間です。大航海時代の始まりやルネサンスを中世の終わりに起こった出来事と位置づける見方もあります。

    ロンドンのギルドホール(中世の市庁舎)
    15世紀に建設
    イギリスのコッツウォルズの家並み
    中世に羊毛交易で繁栄した地域
    イギリスのコッツウォルズの羊毛取引所

    日本の歴史ですといつぐらいになるのでしょうか

    ― 古墳時代の後期と言われる時代、聖徳太子の時代から応仁の乱の頃までで、織田信長が出てくる前までという感じです。イギリスの歴史ですと、王がマグナカルタを認めたことや、ペストの流行、百年戦争、薔薇戦争が注目されています。

    マグナ・カルタ Magna Carta,
    British Library Cotton MS Augustus II, 106

    特にイギリスの中世史がご専門ですが、どのようなところが面白かったのでしょうか?

    ― 美術館や博物館で過去の人々が作った生活道具や工芸品や美術品を見るのが好きでしたので、このようなものを作った人はどんな生き方をしていたのかという好奇心から研究を始めました。中世という時代を選んだのは、産業革命の前、つまり産業が機械化される前の時代は、あらゆるものが手作業で沢山の工程を経て作られているわけで、それで非常に精巧なもの、美しいものができることに感動したからです。職人たちが作ったものは美術館・博物館にあるような小さなものから大聖堂のような大きなものまであります。大聖堂一つ作るにしても、木の枠組みを作る大工や石を切り出して積み上げる石工から、それを細工する彫刻師などまで、多くの人が関わっていました。その一人ひとりの職人が、どのような規範の中で生きていたのか、現代の私達から見たら作品と呼べるような素晴らしいものを作っていた彼らの生き方を知りたいと思いました。史料を見てみると、戦争や飢饉、疫病流行が注目される混沌とした時代の中でも商人や職人が取引相手と商品の代金の支払いで揉めていたり、徒弟修行をしている徒弟が親方の元から逃げ出してしまったり、祝日に仕事仲間と集まって大宴会を開いて大量の食材を消費していたりなど、日常生活が常にあったということがわかってきます。

    史料として残っているのですね。

    ― 中世は、同職組合(商人や手工業者の組合=ギルド)が役割を果たしていた時代です。私が専門としている時代は14~15世紀ですが、ロンドンの場合は、同職組合が会計簿や議事録を残しています。そこからわかることは、たとえば不良品を作って金儲けをして罰金を取られた職人がいて、毎年何人もそのような人がいたということです。同職組合としては誰かが不正をすると組合全体の不名誉になりますので厳しく罰するのですが、毎年あの手この手で不良品を作って罰金を取られる人がいたということが見えてきます。

    刃物工組合の会計簿(1494年度)
    London Metropolitan Archives, CLC/CL/D/001/MS07146/034

    あまり今の時代と変わらないですね。

    ― 非常に人間的なところが見えてきます。

    大学内の冊子で「670年前のパンデミックから考える疫病と私達」と題して、ペストに対する中世ヨーロッパの人々の対応を非常に面白い角度で書いていらっしゃいますね。

    ― この中では、中世のヨーロッパの人々の疫病の捉え方を書きました。当時の人々は疫病を神罰、つまり人間が犯した罪に対して神が下した罰と捉える一方、感染者に接触すると感染するらしいという感覚的な判断をしていました。当時の人々はキリスト教的世界観の中で生きていましたが、一方で眼の前で多くの人が感染して亡くなっていくのを見る中で、神罰だからと受け入れることはできなくてなんとか疫病から逃れたいと思ったのではないでしょうか。そうしますと、現代の私達との繋がりも感じられて過去と現在が近づくような気持ちになりますし、過去の人がそうであったように、私達も必死に対処するしかないのかと感じます。

    黒死病の犠牲者の埋葬(14世紀)

    歴史から考えられることは沢山有りますね。

    ― 歴史学は過去の出来事を扱う学問ですが、過去の社会を知るということは人の生き方や政治経済社会の仕組みは実に多様であることを理解するということです。私達は、世間はこうだから普通はこうだからと、一つの物差しで見てしまいがちですが、その物差しは多様にある多くの物差しの一つに過ぎないし、物差しは変わっていくかもしれません。歴史学に接することでそれを認識することができて、行き詰まっていた自分の人生が少し開けたり、社会のあり方を考え直して良い方向に変えていく原動力が生まれたりするのではないかと考えています。

    先生は1年生の「歴史学への案内」の授業も担当されていますが、学生が歴史を学ぶ学科に入学したことに対して親や友人から、「大学で歴史を学んでどうするのか?」とよく言われると伺いました。こう言えば反論できる!と先生が勧める提言があるのですね。

    ― 1年生の春学期に入学してすぐにある授業ですが、上記質問を言われたときに返す言葉として、歴史を学び研究することで身につく力を伝えています。3つだけお伝えしますと、まず“論理的に考える力”が付きます。歴史学は何十年前、何百年前、何千年前の人々の残した史料を読み解き、加えてこれまでの研究者に拠る研究も参照しながら、出来事や人々の考え方を自分なりに組み立てていく学問です。つまり、物事を整理して伝えることが身につきます。2つ目に“情報を扱う力”です。歴史学は史料を誰がどのような状況で何のために書いたものなのか常に意識して読んでいきます。その情報はどのような状況で生み出されたものなのか、何が真実なのかという、現代社会でまさに必要とされている能力が鍛えられます。3つ目は “物事を相対化する力”です。自分とは異なる考え方や生き方が当たり前である社会が存在することを知ると、今の自分今の日本今の世界を見直す力に繋がります。以上の3つの力は、自分が心地よく楽しく生きていくために、また他人も心地よく楽しく生きていけるような社会にするために、現代において特に求められていると思っています。

    カンタベリー大聖堂(私蔵)
       主に中世に建設された。建築物も歴史学を研究する際の手がかりとなる。
    カンタベリー大聖堂内部(私蔵)

    学生を含めた若者へのエールをお願いします。

    ― 視野を広く持ってください。今自分が生きている世界は空間的にも時間的にも多様な世界の一つに過ぎないと知って欲しいです。そうすることで、自分はどのような社会でどう生きていきたいかを考えていくきっかけを得られ、若い皆さんには人生の道筋が見えてくるのではないでしょうか。その視野を広げる手段として、歴史学を学び研究することを考えてもらえると嬉しいです。

    インタビュアー感想:
    中学2年生の時に10日間ご家族でヨーロッパ旅行をした時のインパクトが忘れられず、好きが高じて大学の教員になられたと前取材の時に伺いました。人間の根源に関わる史料を読み解く先生のような研究者がいるからこそ、歴史上の忘れられた普通の人々の可笑しさ、悲しさ、素晴らしさ、情けなさなどが浮き彫りにされていると改めて感じました。そしてそれが実は、現代人と同じ姿であるというのがなんとも微笑ましいですね。

    佐々井 真知
    人文学部 歴史地理学科 准教授
    専門分野 西洋中世史

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