ワクワク好奇心研究室 Vol.29

お知らせ

    岡本聡先生 人文学部日本語日本文化学科 教授

    豊臣秀吉の甥であった木下長嘯子のご研究をしていらしたとのことですね。ほとんどの日本人は知りませんね。

    ― 北政所の甥で歌人になったということで、文学史で1行触れられるかどうかの人ですが、芭蕉の俳句への影響が強かったと言われています。これについては、私は『木下長嘯子研究』(おうふう2003)をかつて出版しており、『挙白集和文評釈』(和泉書院、2023)を共同研究で出版しています。

    木下長嘯子坐像
    『木下長嘯子研究』の表紙
    『挙白集和文票評釈』の表紙

    具体的にどのように影響を与えたのでしょうか?

    ― 長嘯子に「鉢叩き暁方の一声は冬の夜さえも鳴くホトトギス」という歌がありますが、この「鉢叩き」とか「冬の夜さえも鳴くホトトギス」に関して、芭蕉が「長嘯の墓を巡るや鉢叩き」という句を作っております。また、「冬牡丹千鳥よ雪のホトトギス」もこの歌の影響だと捉えられています。このように長嘯子は芭蕉に影響を与えています。また、芭蕉の俳文「幻住庵記」などの中で、長嘯子の影響を受けたと見られるものが多く見受けられます。

    俳句は短い句ですが、その世界は深いですよね。

    ― 俳句は五七五で色々な世界を表現しますが、どうしてそんなことができるのかと言いますと、その中には典拠と言って、古典の出典を一言の言葉で表していたり、掛詞で表していたりします。つまり『源氏物語』の一節を凝縮した形で句に詠み込んだり、掛詞という二重に意味をもたせる言葉を用いて圧縮して、古典の世界を短い句の中に取り込むのです。例えば、芭蕉の20歳ごろの作品だと思いますが、「月ぞしるべこなたへいらせ旅の宿」という句がありますが、これは謡曲「鞍馬天狗」の『花ぞしるべなるこなたへいらせたまへ』というものをそのまま取ってきています。取ってきていることによって、単なる句が、もう少し奥深い謡曲「鞍馬天狗」の世界を取り込んだような形で表現されているのではないでしょうか。

    伊賀上野市
    「月ぞしるべこなたへいらせ旅の宿」句碑

    とても奥深い世界が醸し出されますが、よくそんな世界を作られたと思います。

    ― 死生観というのがありますが、普通は「死」は悲しいものだというのが一般的ですが、伊勢物語の39段の注釈を見ると、古い注釈では「死」は悲しいものとして表現されていますが、鎌倉時代くらいの注釈からは、「死」は悲しくないと言い始めます。死とは単なる循環の一つであり変化するだけだから、死は悲しくない。火・土・風・水(四大)は空(くう)を中心に循環をするという考え方です。全てのものは、真空から生まれ出て、真空に帰って行く。全ては単に循環しているだけで、そこには、有るとか無いとかいう概念も無いのです。

    まるで般若心経のようですね。

    ― まさに般若心経なんです。不生不滅という言葉とセットで語られます。それが39段の注釈、例えば、正徹(仏教徒)という人が39段の和歌について注釈するとき、「秘」「秘」という言葉で記しています。ところがその人の弟子の心敬が、その内容を書いています。そこには今話した内容と同じように、空から生まれて空に帰っていく、それを故郷という言い方をしていて、「本覚の故郷」という言い方でそれを表現しています。全ては循環であって、「死」という概念はないということを言っています。

    先生はくずし字を学生たちに教えていらっしゃるとのことですね。

    ― 「雨月物語」や芭蕉のものを取り上げて、社会人も入った形で教えています。

    『雨月物語』「浅茅の宿」影印のくずし字
    『雨月物語』「浅茅が宿」の挿絵

    なぜ推進されているのでしょう?

    ― くずし字を読める人がほとんどいないのです。1億人の人数で読めるのは3000人ぐらいだろうと九州大学の中野三敏先生が言われています。それは0.00003%で、くずし字の状態で残っている資料が国書総目録というもので、江戸時代以前の本が目録化されていますが、98%がくずし字の状態なのです。そうしますと、日本文化や日本文学をたった2%の活字化されたものだけで考えているということになります。ですから、もう少しくずし字を読めたほうが、日本とは何だろうと考えるアイデンティティの源になるかと思います。日本文化、日本文学に限らず、建築、天文学も江戸時代以前にもあるわけなので、そこにもさまざまなアイデアがあるのではないかと思っています。

    日本文化が98%わかっていないというのは驚きですね。

    ― わかっていないとまで言い切れるかどうかわかりませんが、少なくともその中には面白いものが埋もれているかもしれません。最近はくずし字読解ソフトを国文学研究資料館が中心になってやっております。「AI手書きくずし字検索」や携帯のアプリ「みを」などは、今後更に発展していくものと考えます。このプロジェクトが行われる何年も前にロボット理工学科の高丸先生と顔認証ソフトで学生にくずし字解読ソフトを作ってもらったことがあります。その時の文字認識から比べても、そのような形でも読解していこうという機運は高まってきていると思います。

    先生は江戸時代の和歌・俳諧のご研究ということですが、この江戸時代は現在よく聞く、SDGsに繋がっている話であると仰ってますね。

    ― 今、私のところに芦屋大学の准教授の大学院生が博士号を取るためにいるのですが、彼が行っているのがまさに江戸時代の循環型社会で、持続可能な経営、持続可能な社会をテーマにしています。灰屋という家業が成り立っているのです。「灰屋」とは、着物を古着屋に回し、雑巾に使って、燃やしてしまった後の灰の部分を釉薬で使うという需要はあったようですね。そういうところまで循環型社会が成り立っています。井原西鶴の『日本永代蔵』の老舗企業「越後屋」は現在の「三井住友銀行」まで繋がっています。彼は今、日本的企業倫理の方に重点を絞って研究しています。

    260年江戸時代が続いた、その時には現代のエネルギーがなかったですよね。

    ― SDGsを考える時に、化石燃料も無しで260年間も生きる事が出来た江戸時代というのは、その生活の実態だけでもおおいに現代人にアイデアを与えてくれるものと考えています。化石燃料は使用せず太陽エネルギーだけを使っていたんですね。参考になることは多いと思います。

    中部大学は日本伝統文化推進プロジェクトがあり、先生は初期から関わっていらっしゃいます。

    ― 全学に日本伝統文化の発想を広めたい、大事なものだから維持したいとの飯吉前理事長の発案で始まったプロジェクトです。観世流の無形重要文化財久田勘鷗先生や西川流家元の西川千雅先生、そのお姉様のまさ子先生、表千家の谷口剛久先生にも加わっていただき、日本の伝統文化とはどういうものなのかを、全学の学生に授業も展開しています。昨日はたまたま西川流の西川千雅先生が講義をしてくださいましたが、日本的な歩き方の講習をされた時に、AIロボティクスの先生が観ておられて「これはホンダのアシモだ!」と仰ったのです。今度、西川先生とヒューマノイドロボットに関するシンポジウムを開いたら面白いかもしれないという話まで進みました。

    このプロジェクトの良い所は、理系の人は独特の発想が広がるし、文系の人は理系がそう考えるんだと捉えられるということにあります。中部大学の文理融合がワンキャンパスとして存在しているところが魅力として繋がっているのだと思います。 他に、古典の素材、例えば源氏物語などを学生がYouTubeを使ってアニメーションにしています。

    日本伝統文化推進プロジェクト 
    能学鑑賞会
    日本伝統文化推進プロジェクト
    日本舞踊公演会
    日本伝統文化推進プロジェクト
    日本の伝統話芸

    能楽、日本舞踊など豪華絢爛な踊りや舞を目の前で観られる授業を行うとは、なんとも贅沢なことですね。久田勘鷗先生には、能楽の世界で以前源氏物語を扱っていただきました。

    ― 私の研究の一つである江戸時代の和歌の世界では、「源氏を知らぬ歌詠みは遺恨のことなり」と藤原俊成(藤原定家の父)がそう言ったということで大事にされたようです。

    一方仏教や儒教の世界では、主人公がどうしてこんなチャラ男なのだ、どうして一流の文学なのだとかつて学生に言われました。次の回には、本居宣長の「もののあはれ論」の現代語訳のコピーを配ったら、江戸時代にも私達と同じように考えていた人たちがいるんだという反応が返ってきました。それはどういうことかと言いますと、色々な恋のパターンが出てくるわけです。そこには、悲しみ、怒り、恨みなどが出てきますが、それは普遍的な問題をそこに宿していると思うのです。ですから、1000年たってもこういう状況ってあるよねという納得が出来る訳です。本居宣長が江戸中期に「もののあはれ論」の中で、『源氏物語』とは、「もののあはれ」(人間の心の動き)を捉えて描いたものと言っているのです。最近、宣長の「もののあはれ論」で卒論を書いた学生がいますが、宣長がその本質的な所を捉えていて、このもっと古くからある「もののあはれ」という言葉を『源氏物語』を描くのに使ったという事を論じていて面白い論文でした。

    本居宣長の「もののあはれ論」が記される
    『源氏物語玉の小櫛』の表紙

    現代の若者の率直な反応が、ハッと気付かされることってありますね。

    ― 1000年も前にそんなことが描かれているのだなと言うことが、『源氏物語』の面白いところなのではないでしょうか。これについても『源氏物語』屏風を本学では二点購入していただき、毎年源氏絵の第一人者であり、その屏風の旧蔵者である名古屋大学名誉教授の高橋亨先生に社会人向けの講座を2回やっていただいています。2024年6月には、三重県津市にある石水博物館にそれを貸し出し、そこでも高橋亨先生に講演していただく予定です。日本の伝統文化の再発見で、若者たちが豊かになってくれる事を望みますね。

    社会人学生の前で屏風を前に話される高橋亨先生

    インタビュアー感想:
    日本の地で日本人として生まれ暮らしながら、実は日本的なものから遠ざかった生活をしているのが現代人ではないかと思います。そしてそれに輪をかけたお話の、「日本文化の98%はまだわかっていない」というお言葉には驚愕しました。私は米国に長く暮らしていましたが、日本の感覚を説明しようとしても徒労に終わることが多く、自分自身でもなんと面倒くさい文化を持ち合わせて生きているのだろうと苛立つことさえありました。しかしそれは、長い長い日本の歴史の中で培われてきた奥深く大変貴重なものなので、理解されなくて当然と改めて納得しています。恵まれた伝統文化の再発見で、学生たちにとってより有意義な何かを見つけて欲しいです。

    岡本 聡
    人文学部 日本語日本文化学科 教授
    専門分野:江戸時代の和歌、俳諧

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