ワクワク好奇心研究室 Vol.28 

お知らせ

    平井芽阿里先生 国際関係学部国際学科 准教授

    沖縄の聖なる森、御嶽と書いて「ウタキ」と読みますが、この御嶽の研究を20年ほどされていらっしゃいますが、この「御嶽」とは何なのですか?

    ― 御嶽は沖縄の各地に点在する神様の宿る聖なる森のことです。鎮守の森の神社のようなもので、神社との違いは、御嶽は自由に入ることが許されなくて、地元の方々に守られている森という認識です。

    観光客の方とか分からずに入ってしまうこともあるかもしれませんね。

    ― 観光地化された御嶽もありまして世界遺産に登録されるとこは入っても大丈夫ですし、分からずに入った場合は、神様のお咎めはないと言われています。

    世界遺産に登録された首里城横の園比屋武御嶽石門
    宮古島の創世神話に由来する漲水御嶽(はりみずうたき)

    神様はちゃんと観ていてくださるのですか?

    ― 知らない人には何もしないという文言があって、間違って入ったりしても一応は大丈夫です。

    悪い心を持って、知ってるけど入っちゃおうというのはダメなんですね。

    ― バレてしまうようです。子どもたちにも入ってはいけないという教育がされるようです。

    御嶽はどうなっているのでしょうか?

    ― 多くの木が密集していて、クバなどの特定の木があって日本化していった時に、鳥居が神社のように建てられていった場所もありますが、森の中に突然に、広々としたポッカリと空間があって小さな祠があるような場所です。宮古島だけでも800箇所はあるのではないかと言われています。

    御嶽の森

    そこにはどのような神様が祀られているのですか?

    ― 記録によると太陽神、生命の神、風の神とか書いてあるのですが、実際その中で神様を見ることができるような人たちによりますと、琉球王国時代の王様の姿をした3メートル位の巨大な神様がいる御嶽や、信じられないくらい美しい女神様がいる御嶽、蛇の神様などもいるようです。

    御嶽の中ではどんなことが行われているのでしょうか?

    ― 御嶽の神様を祀るのですが、具体的には神歌(かみうた)といって神聖な歌を歌ったり、供物をお供えして1年間で行事を行います。年中行事として、豊漁祈願、豊作祈願が行われます。

    西原の男性神役によるミャークヅツ

    どのような方がそれを行うのですか?

    ― 沖縄の場合は、女性の方が神様に近いとか霊的能力が強いので地元の女性が入ったり、血筋で琉球王国時代から代々選ばれてきた女性たちが入ります。宮古島の西原という地域では、46歳前後の女性が10年間入って、そこを守るようです。今も年間で45回以上の行事を続けていらっしゃる珍しい地域で、子どもの安全、家族の健康、事故がないようにとか、家族を守ることが叶う場所として、御嶽での行事が必要とされてきています。なくてはならない存在で維持されています。

    西原地区では男性は女性を尊敬してサポートしている感じで、皆で守っているからこそ、伝統が守られているのでしょうか?

    ― 前はそのようであったのですが、今は時代によって変えてもいいのではないかとか、維持するのは難しいという方々もいるので、有志の少人数で守っているという感じです。
    (平井芽阿里「村落祭祀の継承に関する一考察―宮古島西原の「ミャークヅツ」を事例に―」田窪行則編2013『琉球列島の言語と文化 : その記録と継承』くろしお出版 参照)

    西原の祭祀で供物を供えるバショーの葉

    先生も宮古島は通われていたと思いますが。

    ― 今でも時々行っています。空港についたらまず売店でお線香、お酒、お塩、お供物を買って御嶽の神様に「また来ました!」と西原式に従って挨拶するように通してもらうことをずっとやり続けています。

    池間島の海

    御嶽に入って感じられたことがあると思いますが。

    ― 私は高校生の時に名古屋市から宮古島の高校に転校して編入をしたのですが、同級生たちが真顔で、「御嶽に入ったら死ぬよ」と言うのです。凄く怖くて絶対入りたくない場所だったのですが、縁あって御嶽の調査をすることになって、実際凄く暖かくて、女性たちの笑い声や優しくて柔らかいそよ風が吹くようだったので、こんなに心地の良い安心感のある場所だったのだと、認識が変わっていきました。畏怖を持ちつつ、安心感がある空間です。

    先生は生活の中の民俗宗教から現代社会を考える研究をされているのですね。

    ― 沖縄の神様の話をすると、「今、このような時代にそんな人達がいる」とか、変わった人という認識で見てしまう事がありますが、私達はどうかと言うと、神社に初詣に行ったり、合格祈願をしたり、お守りを持ったりするのを、自分たち事として見ると当たり前のことですね。宗教への理解というのは国際社会を生きていく上で不可欠で、宗教に加入していないから日本人は無宗教ではなく、実際に身の回りで知らない間に身についているものを民俗宗教と言い、そういったものから逃れることはできないので学生たちに伝えています。

    我々は家を建てる時に地鎮祭を行いますが、まさに身近に行われていまね。

    ― 家に神様を宿らせたり、神様の許可を得て建てることをしています。他に企業も神様を祀っていますね。屋上に神社があるところなどは普通であるのに、宗教はおかしいとなると、自分が就職する先の年中行事の中に、ここの神社への参拝が組み込まれているので、そこの意識をしていきませんか?と学生には伝えています。

    日本人は生まれたときから宗教がそのまま入り込んでしまっていて、取り立てて「宗教」と言われてもピンとこないということでしょうか。

    ― 宗教は“加入するもの”と考えているからだと思いますが、加入する宗教と別の「民俗宗教」があります。生後名前を一つ付けるのでも祈りを込めますね。祈りは何かというと宗教の基本は祈りです。そのことを認識することが大切です。

    合格祈願グッズ

    先生の授業は、どんなことをしているのかとても楽しみですが、教えていただけますか?

    ― 当たり前のことを疑って意味を考えるのが文化人類学の視点ですが、少し民俗学の要素も入れて、「幽霊」と「おばけ」は何が違うか具体的に説明できるのかとか、「怖い」ってどこから来るのかは民俗学のテーマですが、授業では、映画「貞子」はなぜ怖いのかとか、「貞子」が金髪でも怖いと思うのかとか、髪の黒さに日本人は恐怖を覚えることを考えていきます。例えば「ゾンビ」はなぜ怖いのか?は、その曖昧性ですが、そのようなことを突き詰めて考えたり、卒業論文で心霊写真について書いている学生が居ますが、心霊写真を見てなぜそれが心霊写真と思うのか?それは日本人が共通的に「心霊」を理解しているからこその心霊写真なのです。アニメの世界も同じで、色々なアニメの中に、生霊とか呪術が入っていてもその概念を理解しているから楽しく見られるのです。意識をさせて考えてもらいます。自分の生活の意味をもう一度説明をしていく授業をしています。

    先生は宮古島のご縁が高校生の時に突然訪れたわけですが、ここ3年はユタの研究もされていらっしゃいますね。

    ― ユタは、奄美・沖縄で霊感のある方々が原因不明の病を治したり、亡くなった人の声を伝えたり、未来のことを占ったり、神や仏と呼ばれる存在と交流ができると信じられている人たちのことで、その方々の研究をしているのです。ただユタのこれまでの概念は固定化されてしまっていて、令和時代に入ると、ユタの概念だけでは説明できない人々がどんどん増えてきているのです。ですから、ユタの境界を生きる人と定義して、現在捉え直す作業をしているところです。

    昔から言われているユタそのものではなくて、ユタのような人たちがたくさん出現しているということですね。

    ― 今のスピリチュアルブームなどと融合しているという視点を持たないと、その人達は居ない存在として捉えられてしまいます。そこで、新たな定義を付けて見直そうとしています。

    日本人って深いですね。

    ― どの国もありますよ。

    さて、先生は将来、学術研究を担う若手女性研究者と女子大学院生を支援する、中部大学の“伊藤早苗賞”を受賞されましたね。

    ― 文学の研究、人々のライフヒストリーを聞いてまとめる研究は評価が難しい部分があると思いますが、10年、20年と長い時間をかけてやり続けるのも大事ですし、固定化された概念の読み直しをしていくのは、どの学問にとっても重要な視点なので、もしかしたらその部分を見ていただけたのかもしれないと感じています。

    2022年の伊藤早苗賞小冊子の先生の箇所の写真

    先生は宮古島に通われて、御嶽の中でも泣かれて、ご著書『ユタの境界で生きる人々』でも多くのインタビューをされています。創元社から出ていますので、もっと知りたいという方は、このご本をお読みいただくと良いのかもしれません。

    ご著書の「ユタの境界で生きる人々」の表紙写真

    インタビュアー感想:
    青森のイタコ、沖縄のユタなど、直接会ってみたい方々ですが、その境界線上にいる人達に焦点を当てた先生のご著書を読みながら、実は我々が知らないだけで日本には多く存在しているのではと感じました。そして、御嶽(うたき)を伝統的に保存し未来に託す守り人が存在していることに心の底から感謝したい気持ちになりました。また日本人は宗教を「加入するもの」と捉えているので無宗教と捉えがちだとのことですが、いやいや、そこかしこに神仏を感じ祈りを大切にしています。日本人の「美学」が何千年の時を越えて、現代の日常の中にまで残っている世界でも珍しいの人々ではないかと思うに至っています。

    平井 芽阿里
    国際関係学部 国際学科 准教授
    専門分野:民俗学、文化人類学、沖縄の神々と聖なる森への信仰、学校のフォークロア

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