ワクワク好奇心研究室 Vol.25

お知らせ

    津田一郎先生 創発学術院院長

    毎年ノーベル賞の週間が近づきますと中部大学は活気づいてきます。実はノーベル物理学賞のメダルの秘話があるとのことで、ここからお話しいただけますか?

    ― 朝永振一郎先生がノーベル賞を貰われた時、ノーベル賞のメダルの裏を見たらこんな感じだった!という話から始まったのです。ノーベル賞のメダルの裏は自然の女神がベールを被っていて、ベールを引っ剥がしている人がいますが、その人は科学の神です。先生は、そのような乱暴なはしたないことをするのはやめましょうと話されて、ベールの上から女神の素顔が分かるような科学をこれからやらなければならないのではないかとの話で、非常に印象的でした。

    ノーベル化学賞・物理学賞のメダルの表裏

    “引っ剥がす”というのはどういう意味ですか?

    ― 引っ剥がすというのは、考えるシステムを部分に分解して、分解したものを理解してシステム全体を理解しようというやり方を象徴して、「引っ剥がす」と言っています。これを要素還元による理解と言います。このようなやり方ではわからない現象が自然現象や社会現象に数多く現れてきたということで、ベールを被ったままベールの上から女神の素顔をどの様に推測したら良いか、そのような学問が新しく始まっているということです。これを“複雑系科学“と呼んでいます。

    その複雑系がよくわからないのですが。

    ― 例えば、脳を取り上げます。脳を身体から外してしまうと多分脳は機能しません。身体の中にあって脳は機能します。心臓もそうですが、心臓だけ取り出してそれをいくら研究しても、身体の中に入ったときの心臓の役目を正しく理解することはできません。体全体として、全体が機能するように心臓や脳の研究をしていかなければならないということです。

    臓器一つ一つを取り出しての研究
    臓器は体の中全体でこそ機能する

    体の中で全部が繋がることが大切なのですね。

    ― まさにそうですね。ですから複雑なのでむしろ論理的にやらないといけない部分があって、それ故に数学が大事だと言うことなのです。

    そこで、数学なのですね。

    ― 曖昧模糊としたものを如何に正確にやるかは数学が絶対に必要になってきます。

    先生は数学嫌いのための数学入門ということで、「数学とはどんな学問か?」のご本を上梓されていますが、カオス理論の権威の先生にこんなことを伺うのは誠に失礼かと思いますが、数学のどこが面白いのでしょうか?

    ― 我々の使う言語は、おそらく発声から来ていて、それは何らかの欲求、叫びのようなものを岩にガッと書きつけると、それが文字や記号になったと思います。それは普段私達がコミュニケーションで使っている言語になったと思いますが、数学はそういう意味では言語なのです。もっとも抽象化された言語で、元々は人々の欲求、心の叫びが抽象化されたものが数学なのではないかと思います。

    ご著書の「数学とはどんな学問か?」

    記号が言語になっていったのですか?

    ― 一つ一つのアルファベット、文字が意味を持つ世界が数学なので、そういう意味では色々な欲求を表現できる自由な学問です。

    先生はご著書の中で数学は人の心を抽象化している学問であるとおしゃっていますね。

    ― 色々な面積を測りたい!数を数えたい!というのも欲求ですね。それを抽象化すると積分や代数になりますので、数学の発生の段階では、人々の欲求を如何に普遍的な言葉で抽象化して表現するかが必要だったと思います。それが逆に数学という学問になっていき、それが技術に使われたりすることで社会がどんどん変わってきたと認識しています。

    ご著書の内容の抜粋

    数学がもしなかったら、文明の進化はなかったのでしょうか。

    ― 過去にいくつかの社会変革の時代がありますが、その裏には必ず数学の発展がパラレルのようにあります。人々が社会をどう変えたいかと思ったときに根底にあるのが、数学の発達だったので、数学と社会は非常に密接に関係しているものです。

    先生は北海道大学にも長い間いらして名誉教授でいらっしゃいますが、教授陣も聞きたくなる面白い授業が学生に大ウケだったとのことですね。

    ― ダーウィンの進化論「種の起源」を学生に配って読んでもらい、交代で黒板の前で説明してもらうというものです。ただし、一つだけ条件があり、「種の起源」に書かれていることと数学がどう関係するか、それを一言述べて、私がコメントします。

    AI数理データサイエンスプログラムが全学部で始まっていますが、これについて教えてください。

    ― 文科省のプログラムです。文系理系問わずこれからはAI、数学、データサイエンスの基礎を必ず身につけてください、という日本全体のプログラムがあります。これは大学だけではなく、高専、短大も含めて、日本のすべての高等教育機関でAI、数理、データサイエンスを学生に学ばせてくださいというのが文科省の司令です。世界的にAI、数理、データサイエンスが非常に重要で、産業に関わってくるというので、世界中でこのプログラムがあります。日本も負けていられないので、全国的なものにしようと文科省が音頭を取って、中部大学も手を上挙げ、認証をいただきました。文系理系すべての学生に公開して単位を取ってほしいと思っています。

    文系だから数学はいらないという態度はこれからの世の中では通用しないということですか?

    ― 全く通用しないと思います。高校で不幸にも文系理系に分かれていて、文系の人は数学をやらなくていいとか、理科はやらなくていいとか、コンピューターもいいやと言うことになりますが、それは今後通用しなくなって、ありとあらゆるものの中にAIのようなものが入ってきます。データサイエンスも統計学が基本なのですが、統計で騙される人が多いのです。これは勉強しておくと変なものに引っかかりません。インチキはだんだん巧妙になってきますので、若い人も数学、統計学、AIがどういう理屈に基づいて成り立っているのか、現状はどういうことなのかを知っておく必要はあると思います。ありとあらゆる産業にAIが入ってきますので、否応なくAIとつき合わされるようになります。

    就職活動においてもAI数理データサイエンスが大切と言えるようですね。

    ― アメリカでは先行して10年以上前から、GAFA (Google, Amazon, Facebook, Apple) とMicrosoftの新入社員は数学科と物理学科の卒業生で90%は占めています。そのような状況になっていますので、数学・物理学の素養が今後重要になってきます。

    先生は昨年の夏に「数学とはどんな学問か?」を上梓され、このご本を私もいただいたときに、不思議な文字・数字を書かれました。「二不二」ニップニと読むようですが、これがどの様に数学と関係しているのか伺いたいです。

    ― 「二不二」というのは、臨済禅の言葉ですが、例えば、今私が手を打ちます。どちらの手が鳴りましたか?右手ですか? 物理的には両手が鳴ったのですが、禅ではそのように答えてはいけないのです。両手が鳴ったというのは物理現象としては理解できるわけですが、その思考の枠組から離れてください!というのが目的でこのような問答をするのです。「鳴っていません」と言ったら怒られるのです。「右です」と言ったら「そんな馬鹿な」。「左です」と言ったら「冗談じゃない」。「両方です」と言ったら「まともすぎる」からダメだと言われます。

     自分の思考をあるところに囚われていると、自由な発想ができません。その枠組の中だけでしか物事が考えられないわけです。それを取っ払って、思い切って違う前提を置いてみる、違う世界を想定してみるというのが禅の修行のようです。 数学も実はそのようなところがあり、一つの枠組みの中だけで問題を解こうとしたら解けないことがあります。そこからポーンと飛び出してみる、このような自由な発想が数学の問題を解くときに大事になってきます。そういう意味で、「二不二」の言葉を書いたのです。

    ご著書にサインを頂いたときの「二不二」

    「二不二」の解釈ですが。

    ― 二にあって二にあらず、2つであって2つでない。複雑系ですので(笑)

    インタビュアー感想:
    私にとって津田先生へのインタビューは、ある意味挑戦でもありました。「分かるのかしら?」という高い壁に向き合うことになると思ったからです。しかし、ただ難しい数学という概念が少し解けて、数学の根本に少しだけ触れた感覚は貴重でした。二不二のお話もとても興味深く、枠を大きく持って前提を変える考え方は、生き方にも通じ奥深さを感じます。今回“数学嫌いのための数学入門”と書かれたご著書の副題に大いに救われました。津田先生のような先生が中学や高校教諭にいらしたら、その後の人生の方向はかなり違っていたかもしれないと、“もし~”などと空想を巡らせておりました。

    津田 一郎
    創発学術院 院長
    専門分野:複雑系科学、応用数学、脳神経科学。特に、カオス、複雑系の数理、脳と心の数学理論

    中部大学について