ワクワク好奇心研究室 special thanks Vol.34 

お知らせ

    黒田玲子先生 先端研究センター教授 
                        

    先生は「巻き貝」を使ったご研究ですね。

    ― 貝殻ってすごく綺麗で色々な形や色や模様をしていて魅力的だと思いませんか?貝殻集めるのが大好きで、海岸に行きますとついつい拾ってしまいます。巻き貝には、右巻きと左巻きがあるのに気がついていたでしょうか。貝殻の巻き方は、柔らかい体の上にできるので、貝殻が先にできたのではなくて、体の部分が先なのです。その柔らかい体の部分がどうやって左右に決定づけられるかに興味があります。

    先生が世界の海岸で見つけた様々な貝殻

    1個の遺伝子が決める巻き貝の体の左右決定が先生のご研究ですね。

    ― 例えば人の背が高いとか目が青い色をしているとか、簡単に見えるようなことでも複数の遺伝子が決めています。人の性格とか頭の良さはもっと複雑なものです。しかし私が扱っている巻き貝の巻き方は1個の遺伝子で決まっているものすごくレアなものです。

    これは面白い!と思って始めました。私が扱っている貝はヨーロッパの淡水産のものです。殆どが右巻きですが極まれに左巻きがいます(2%)。その違いの原因を長年かかって突き止めました。なんとその遺伝子は、植物も動物も私達人間も含めた全ての真核生物が持っている基本的な遺伝子だったのです。その遺伝子にはタイプ1とタイプ2という9割そっくりさんの2つの遺伝子があって、右巻きの貝にはタイプ1とタイプ2両方が働いています。でも左巻きの貝にはタイプ2しか働いていない事を見つけました。でもこれはまだ完全な証明ではないですから、本当にこの1個の遺伝子が巻き方を決めているのかを調べるために、もう一度汗水垂らして実験しました。それが、2020年ノーベル化学賞をとったゲノム編集、クリスパキャスナインという方法ですが、この方法で右巻き貝のタイプ1の遺伝子を1個変えて、働かなくしてみました。遺伝的には右巻きになる貝が、代々、子どもも、その子どもも左巻きになったのです。実は人も1万人に1人内蔵が逆の人がいます!完全に鏡に写したように逆になっています。健康診断の時にお医者さんがびっくりします(笑)。その研究にも間接的には繋がっていくかなと思います。巻き貝だけではなくて拡がりがあると思います。

    研究用の巻き貝

    すごい研究ですね!何年前からのご研究ですか?

    ― 約20年くらい前からです。

    このご研究は実際にどのように役に立っていくのでしょうか?

    ― 私達の体がどの様に作られていくのか、例えば小島さんの皮膚も肝臓も骨も実は、1個の細胞から分かれてきました。同じ遺伝子、ゲノムを持っています。どの遺伝子にスイッチが入っているかで細胞の種類が決まるわけです。細胞が何になるのかという予定運命を決める時期が、私の扱っている巻き貝ではすごく早いのです。そこで、左右性の決定プロセスに加えそれも追う、応用範囲の広い根源的研究です。

    2つ目は社会に直接関係する研究です。今医療に応用しようとワクワクしています。それはなぜかと言うと、クリスパキャスナインを軟体動物で成功させたのはまだ世界で我々だけなのです。私はその方法を使って医療に展開したいのです。一つが認知症です。私が右と左の研究で20年間扱ってきた巻き貝は実はとてもお利口さんで、長期記憶を持ちます。パーキンソン病、アルツハイマー病などで記憶が悪くなることと関連した遺伝子が見つかってきているのですが、なんとこの巻き貝にもそれらの遺伝子がある事がわかってきています。これらの遺伝子の働きをゲノム編集で調べられないかというのが一つです。

    もう一つは、熱帯地方の感染症の研究です。昔は日本の特定の地域でも猛威を振るいました。ヒト住血吸虫という寄生虫がいます。この寄生虫によって毎年世界中で2.5億人が病気になり20万人が死んでいます。経皮感染と言って、その原虫がいるところに足や手を突っ込むとすぐに皮膚に入っていくので怖いですね。人に入るには巻き貝の中で変態しなければなりません。ですから巻き貝の中でそのような形に変わらないようにできれば人に感染しなくなります。米国連邦政府NIHの研究資金を得、さらに、長崎大学とも共同研究を始めたのです!

    住血吸虫S.Mansoniの生活環

    先生のワクワクが止まらなくなってきましたが、先生は27歳の時に一人でイギリス・ロンドン大学にいらして10年の研究生活があったということですね。当時の研究に秘めた想いをお願いします。

    ― 日本では研究できなかったというところから始まります。現在のようにインターネットもeメールもなかった時代です。女性で博士号を持った人は非常に少なくて、指導教授は、「女性は家庭に入るのが一番だ」という考えの持ち主だったのです。それで調べていたら、素晴らしい研究をしている先生がロンドン大学のキングスカレッジにいらしたのでそこへ行きました。最初の契約は13ヶ月でしたが、仕事が上手く行ったので契約が延びてとても面白い研究が色々展開できたと思います。後半はがんに関連した研究をしていたのですが、最後はイギリスの癌研究所でパーマネントポストを得て、ずっとイギリスにいて研究しようと思っていました。

    ロンドン時代他
    ロレアルーユネスコ女性科学賞受賞記念会の冊子から抜粋(平成25年)

    先生は10年のイギリスの滞在がありまして、先生のご活躍が世界中に知られているからだと思うのですが、英語名で「Alice’s Adventures in Wonderland」和名で「不思議の国のアリス」、英語名「Through the Looking-Glass, and What Alice Found There」和名「鏡の国のアリス」ですが、ルイス・キャロル協会から、2021年に150周年の出版記念誌を出版するので、なにか書いて欲しいという依頼があったそうですね。

    ― 「不思議の国のアリスは」6年前が150周年だったのですが、「鏡の国のアリス」の出版は1871年12月27日なのです。これは偶然でもあるのですが、巻き型を決める遺伝子を見つけた論文を2019年に出したのですが、これが面白いとのことでNY Times やDaily Mailなどの一般紙も書いてくれました。それを読んだルイス・キャロル協会の秘書が、ロンドンに来た時に講演をして欲しいというメールをくれていたようなのですが、講演会自体が新型コロナ禍でなくなってしまいました。そこで150周年特別号を出版するので書いてくださいという依頼があったのに、私の前任校にメールで送っていたので実は見ていなかったのです。私にメールが届かないと話した相手が、私が中部大学に移ったことを知っている人で、連絡が来ました。もう一つ偶然と思うのは、その秘書さんはイギリスの癌研究所時代の知り合いだったということもわかりました。

    寄稿した「鏡の国のアリス」出版から150年周年特別号 
    表裏紙は“鏡”になっている。

    150年経ても全く古くない物語が「Through the Looking-Glass, and What Alice Found There」ですが、「鏡の国のアリス」は先生の研究と少し重なるところがありますね。

    ― アリスが「鏡の国に行ったらミルクは美味しくないわよね」というセリフがあります。私も鏡の国の化合物は味が変わり香りも変わり、薬の効き方、農薬の効き方も違うと紹介していますが、英語でいうとabsurd humor(馬鹿げたユーモア)があって、でもそこに深い意味があるのではないかと思わせるユーモアなのですね。ハンプティ・ダンプティやチェシャ猫など、子どもも皆知っている。150年間世界中で愛されているって凄いなと思います。

    「鏡の国のアリス」のハンプティ・ダンプティとアリス(左)チェシャ猫
    Ilustration by John Tenniel

    それを先生が科学的に証明しているという感じがまた面白いなと思いますが。

    ― 楽しんでいると言うか、アリスが「あのね、キティ、鏡の国のミルクって美味しくないわよね」って本の中では言っていますが、私も「ねえ、キティこんな事をしたら面白いんじゃないかしら?」なんて言って研究しているのではないかと、少し反省しました(笑)

    2021年世の中に一気に広がったのがSDGsですが、17の目標を達成しないといけない事を世の中がやっと気づいてくれたって先生が仰っているのですが、そもそもこのSDGsを先生はどう解釈されますか?

    ― 日本語にすると、「持続可能な開発目標」ですね。元々2001年にミレニウム開発目標のMDGsというのがありました。その後継として、2015年に国連で採択された2016年~2030年までの国際的な開発目標です。基本はダイバーシティ、インクルージョン、No one will be left behindの3つが重要な思想と思っています。ダイバーシティは生物多様性だけではなくて人間の、社会の中の多様性も。インクルージョンは、「年齢、性別、宗教、国籍、職業などに関わらず、お互いに尊重して認め合い、共に活躍する、成長する」という社会を構築することです。No one will be left behindは「誰も取り残さない」。これが基本だと思います。

    実は、私は2013年~2016年のバン・ギムン国連事務総長の時に、国連事務総長科学諮問委員を務めていました。世界から26人選ばれていて、2014年にベルリンで第1回の会合を開いたのです。SDGsを作るためにそれぞれの分野の人が集まって横串を通してディスカッションしました。SDGsを作成するための骨格を作ったということです。17をどうする?17でいいのか?クラスターするか?などを話し合っていたのです。

    日本では2016年から4年経過してもあまり話題にならなくて少し心配しました。中部大学は地道に一生懸命やっていたと思います。最近、社会全体で突然SDGsって皆が口にするようになったのでホッとしています。

    先生はなぜ環境問題に目覚められたのでしょうか。

    ― ローマクラブという国際的な団体があって、そこが1972年に『成長の限界』という本を出しました。この日本語訳を大学院時代に読んで、すごく影響を受けました。無尽蔵に成長すると破綻するということです。エネルギー、天然資源も有限ということです。その本に書かれているフランスのなぞなぞにも強い印象を受けました。イギリスに行って推薦された本が、レーチェル・カーソンの『サイレント スプリング (沈黙の春)』です。この2冊に影響を受けています。ですからローマクラブの正会員に選ばれて、すごく嬉しいです。

    沈黙の春Silent Spring(左)と成長の限界Limits of growth(右)

    世界で100名くらいの会員しかいないのですね。

    ― 日本では5名だったでしょうか、中部大学に日本支部ができていて林良嗣先生と私の2名がいます。

    SDGsに関する先生の具体的なご意見を教えていただきたいです。

    ― 17のゴールはご存じの方も多いと思いますが、それに169のターゲットが有るのです。ゴールは抽象的で長期的な目標ですが、ターゲットは、もっと短くて到達するのにもっと現実的なものです。日本はゴールをあげて安心しているのですが、海外はターゲットなのです。どうやるかを真剣に考えねばならないのですね。例えば、ペットボトルって石油から作る以外に何かから作れないの?とか、このようなことを全て置いておいて、レジ袋だけ有料化して免罪符になっては困るのです。もっと色々なことを考えていきたいです。例えば、家の窓は一番熱が出入りするところです。そこを二重にするとか、耐熱カーテンにすると全く違います。Life Cycle Assessmentと言いますが、資源を取ってきて、原材料にし、製品にし、流通させて、消費者が買って、使って、リサイクルに回してと、全体を見て、エネルギー的に、あるいは環境にいいかどうか考えることが重要です。水素エネルギーと言っても、水素ってどうやって作るの?電気自動車の電気はどこで作るの?このようなことを考えないと間違った方向に行きかねないです。根本的なところから考えることが必要で、最初のところに莫大なエネルギーを使っていたら意味が無いということです。リサイクルしますと言っても、リサイクルするために色々な化学薬品を使ったりエネルギー使ったりしていたら意味が無いのです。だから近視眼的ではなく全体を見る目がないとダメですね。

    今でも古巣の東京大学大学院で授業をされていらっしゃいますが、ディスカションがメインとお伺いしています。

    ― 実は1996年、21世紀に向けてどんな社会にするかをテーマにした朝日新聞主催の21世紀委員に選ばれました。たった一つの義務は、新聞に「21世紀への提言を書く」ことでした。ずっと考えて考えて考えた末に、「21世紀は社会と科学の関係性が重要になる」と思って、社会と科学を繋ぐ架け橋として、「インタープリター」が必要だと書きました。その記事の反響が大きくて、当時の中川科学技術庁長官がすぐ呼応して、科学技術と社会に関する懇談会を開いてくれたのです。これが今の科学コミュニケーション活動のきっかけでもあるのです。もう一つ、その記事を見て佐藤文隆先生から連絡があって、シリーズ『現代日本文化論』の一冊『日本人の科学』の出版計画があり、既に執筆者は決まっているが、あの主旨で5~6ページでいいので書いて欲しいと言われたのです。32ページも書いてしまいました。そのタイトルが、『社会の中の科学、科学にとっての社会』です。ICSU(世界科学会議)とユネスコが1999年に21世紀の科学についてブタペスト宣言を出すのですが、そこに同じ趣旨のタイトルがありました。私が3年も早かったのです。科学と社会の関係性が今後とても重要になると考えていました。実際に科学コミュニケーションに対して国の予算化がされたのが2005年です。これに採択されて東大大学院に作ったのがサイエンスインタープリター養成プログラムです。インタープリテーションというのは一度自分で取り込んで、咀嚼して解釈をし直して相手に伝えることです。そのまま伝える通訳とは違います。東大、北大、早稲田大学の3つが採択されて、東大は17年目(2021年当時)です。

    現代日本文化論13(日本人の科学)
    ①~⑬までのカテゴリーに分かれ、
    それぞれ複数の執筆者による本。
    河合隼雄氏と佐藤文隆氏の共同編集の、
    21世紀を前にした現代日本論。

    科学者は、話が下手で、専門用語使って、ボソボソ喋って全然伝わりませんね。反省していますが、「どう伝えるか」「何を伝えるか」の2つをキャッチフレーズにして作りました。

    私は、「どう伝えるか」「どう展示するか」「どう文章を書くか」ということよりも、「何を伝えるのか」「自分のやっていることの社会における意味、科学における意味は何か」「話している相手はどのような立場の人か、こどもなのか、イスラムの信者なのか」、画面の向こう側にいる人の立場を考えられる人を育てたいという思いが強いのです。私が担当する講義はディスカッションが中心で、学生がテーマを選んで話をし、それに対して受講生がテーマの深堀、プレゼンテーションの仕方などについて幅広く議論します。専門の違う東大全学からの受講生なので、何をどうやって伝えるかの良い訓練となります。自分の専門分野への理解が深まったという学生が多いです。

    先生はG7やG20の諮問委員会のメンバーで意見も求められると思いますが、日本の科学、特にAIの未来はどの様に考えていらっしゃいますか?

    ― どんどん発展していきます。それを社会で応用していく時に、AIは実は社会の中にある差別、無意識の差別も含めて差別を反映しているということを見極めないと、AIが決めたことだから正しい、中立であると思ったら大間違いだということです。

    ついつい私達はそう思ってしまいますね。

    ― 私達が持っているバイアスを反映しているのです。それは既存のデータを使うからですね。 「AIさん、どうしてそんな結論になったの?」と聞いてもその過程を教えてくれません。だから怖いです。そこでAIが持っているポテンシャルの素晴らしさと同時に懸念もわかって欲しいです。これを主張してG7 GEAC (UK)でとりあげられました。

    ウィキペディアの編集者は主に男性であった
    (ウィキペディアの編集者に関する2011年のウィキメディア財団の調査による)

    先生も女性で、ジェンダーのことでも委員会のメンバーでいらっしゃいます。日本はジェンダーギャップで125位の位置ですね。

    ― 恥ずかしいですね。教育と健康の評価は日本は良いのです。何がいけないかと言いますと、企業のトップが少ないということと、一番足を引っ張って125位にするのは、政治家がいないということです。優秀な女性はたくさんいるので、頑張って出てきてもらいたいなと思います。

    ジェンダーギャップランクと内容
    日本125位(2023年)

    出てこられないのは労働の環境でしょうか?

    ― それはもちろんあります。そしてサポーターのような人がいるといいですね。海外の大学の学長は女性が多いです。実は素晴らしい男性のメンターがいて、優秀な人を勇気づけ、影で支えてくれたのです。これは男性でも女性でも構いませんが、メンターの力が必要です。「君、素晴らしいね」って言われて、自信が付くと良い成果が出て、良い成果が出ると自信が付きます。文句ばかり言っていないで皆で一緒にやりましょう!という感じでやると日本はもっと明るくなると思います。

    様々なご活躍 
    ロレアルーユネスコ女性科学賞受賞記念会の冊子から抜粋(平成25年)

    インタビュアー感想:
    今日は奈良県、明日は東京と日本全国、海外へも飛び回っていらっしゃるのに、いつも元気で明るいのが黒田先生。貝の話のときはとてもキュートでこよなく愛していらっしゃるのが感じられます。そんな人間味溢れる先生の、何に問題があるのかの追求は鋭く、社会的なアンコンシャスバイアス(無意識の差別)の問題など、AIの持つ不確かさにズバッと切り込む姿はハンサムウーマンそのものです。また、日本と海外の何が違うのか、日本の何が良くて何が足りないか全体像をいつも俯瞰で見つめ、根本的な問題まで掘り下げることを忘れず、科学と社会の微妙なバランスを上手く取り込み、理系では先陣をゆく稀有なご存在ではないでしょうか。日本の男尊女卑甚だしい時代に、その能力を海外で自由に開花させ、G7,G20の諮問委員会のメンバー、世界に100人しかいないローマクラブのメンバーになり得るのは、先生の明るさ、機転の良さ、創造力の塊が「信頼」になり世界が魅せられるからだと思います。

    黒田 玲子
    先端研究センター特任教授、東京大学名誉教授、 G7ジェンダー平等アドバイザリー評議会(GEAC)メンバー
    専門分野:化学、生物学、科学技術政策、環境問題、男女共同参画

    中部大学について